私たちの鴻峰(こうのみね)小学校は、中学になると古田中学校に通学します。ところが私に入学案内が来ません。不思議に思い父に聞いてみると、「お前は古田には行かせない。星原中学へ行け」とのこと。星原は中種子(なかたね)町だから、西之表市からすると越境入学になります。越境入学といえば格好よく聞こえますが、漁村の中学校で知っている友達は一人もいません。いくら話をしないとはいえ、みんなと別れて9キロも山道を通うなどとは・・・。
けれども父に逆らうことはできません。星原中学校に入学することを心で決めました。人生には人の思いを越えた大きな力が働いているのです。
中学2年生の最初の音楽の時間でした。「これから発声練習をする」と、鹿児島から赴任してきた東亮吉先生が大声で呼び掛けました。一番嫌な音楽の時間です。「こともあろうに発声練習とは」と思いましたが、歌ってやろうと決心しました。
ピアノの前に立ち、ドレミに合わせて、あーあーあーと三声を出した途端、「榮義之か。お前音痴だな。本物の音痴だ!」と大声で言われてしまいました。みんなが笑いをかみ殺しているのが分かります。穴があったら入りたいといいますが、もうそれどころではない恥ずかしさ、悔しさでした。
けれどもこのままだったら、ここに書くことはなかったでしょう。東先生は「今日は発生練習はやめじゃ。お前ら待っておれ」と教室を出ていきました。蓄音機を抱えて戻ってくると、「音楽は歌うだけではない。もっと高尚な喜びがあるんじゃ」と、聞かせてくれました。
のこぎりの音としか聞こえなかったレコードから、突然メロディーが分かるように流れてきました。奇跡が起こったわけではありませんが、下校の時にいつも流れている、ドボルザークの家路の部分でした。先生がかけてくれたのは何と、ドボルザークの交響曲「新世界より」だったのです。
歌は歌わなかったのですが、歌詞を覚えて口ずさんでいたので、「たどる家路いそいそと、母の姿しのばるる」その歌詞が、シンフォニーの調べと共に流れ込んできました。
東先生は80歳を過ぎてもお元気で、鹿児島県国分市で、体を鍛えながらお仕事や執筆活動に励んでおられました。一度お訪ねしたとき、イエス・キリストを心にお迎えくださるようお願いしました。先生は躊躇(ちゅうちょ)されましたが、奥様が「お願いします、と申し上げればよろしいんですね」と言われて、ご夫妻で「イエス様、私の心にお迎えします。お入りください。信じます。アーメン」と信じ、88歳で天国へ召されました。
人生は出会いで決まるといいますが、東先生と出会えたことは大きな祝福でした。先生は私のことを『サバンナに愛の光・永遠に』という小説に書いてくださいました。『サバンナに愛の光・永遠に』は多くの方々に愛と勇気を届けてくれました。
あんなに行きたくないと思っていた星原中学校でしたが、素晴らしい出会いと祝福を神様は用意しておられたのです。そればかりではありません。種子島でも山の中と漁村とでは方言が少し違います。ですから中学の頃から意識して方言を使わないようにしていました。
現在、朝日放送でラジオ牧師を47年続けています。方言訛りがなく話せるのは、星原中学校に通ったからだと感謝しています。また9キロも山道を休まず歩いたので、健康も守られているように思います。
今の環境が嫌だと思ったり、なぜ自分がこんなところで苦労しなければならないのかと考えたりしますが、そこを通ることによって新しい幸せが訪れるのです。(続く)
※ 本コラムは、小冊子「雪よりも白く」から転載・編集したものです。クリスチャントゥデイをご覧になり小冊子をご希望される方には、1人1冊を無料でプレゼントします。申し込みは、榮義之(メール:[email protected])まで。
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