11月24日に対馬で伝道している日本人の牧師が種子島の教会に来ました。礼拝に出席し、初めて日本語のお話を聞きました。まず、聖書の神は愛であることが語られました。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(ローマ5:8)
神の愛は象徴的なものではなく具体的であり、神は生きておられ、天地万物を創造された神、目に見えない霊の神、何でもできる全能の神、何でも知っている全知なるお方、どこにでもおられる遍在の神であり、永遠不変であることも知りました。
聖なる神であり、義であり正しく公平で完全な神であり、全人類を愛しておられる神、そしてその愛の神が天の父であることも聞きました。
天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。(マタイ5:45)
すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。(ヤコブ1:17)
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。(マタイ7:7〜11)
父が厳しかったので、神が天の父ということは驚きでしたが、神の愛が分かれば分かるほどに、父の理想の姿を聖書に見いだすことができました。(続く)
※ 本コラムは、小冊子「雪よりも白く」から転載・編集したものです。クリスチャントゥデイをご覧になり小冊子をご希望される方には、1人1冊を無料でプレゼントします。申し込みは、榮義之(メール:[email protected])まで。
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