フィリピンは、貧富の差が天と地ほど開いています。全人口の数パーセントが国の富を握っており、残りの大多数は貧困層に属しています。貧困層の人々は、どうしてもそこから抜け出る道が見いだせないのです。そのため、父親の飲酒と暴力に悩まされ続けるケースが多くあります。
マニラの神学校で学んでいた1人のフィリピン人の男子学生も、例外ではありませんでした。物心がついた頃から、覚えていることは父親が酒を飲んで暴れて、母親や子どもたちに暴力を振るう姿ばかりでした。この学生は子ども心に、自分が大きくなったら必ず父親を殺して母親を助けるのだという、固い決心をしたのでした。
彼はその思いを一筋に幼少時代を過ごし、今は力がなくてどうすることもできないけれど、大きくなって力ができたら必ずこれを実行するのだ、と心の奥底で自分だけの秘密として固く誓っていたのでした。
そのようにして何年かが過ぎていきました。父親の酒癖と暴力は、一向に収まる気配がありません。家はいつも極貧で、母親は苦労が絶えず、家庭は暗く地獄のようなところでした。やがて青年になった彼は、体も大きくなり力もついてきました。小さい時に心に誓ったことを、彼はひとときも忘れたことがありません。今か今かと、その誓いを実行に移すチャンスをうかがっていました。
ある晩のこと、いつものように父親は酒を飲みに出掛けて行きました。彼は今日がその日だと決めて、外が暗くなったとき、手におのを持ち、家の近くの茂みにじっと隠れ、父親が外から酔って帰って来るのを待ち伏せしました。
闇の中でじっと父親が近くを通るのを待っているうちに、彼は何か声を聞くのでした。「それで本当によいのか」という声でした。彼は心の中でその声を打ち消そうと、葛藤(かっとう)し始めました。しかし、その声はますます彼の心の中で大きく強くなっていくのでした。
ついにその声に耐えられなくなって彼は、手に持っていたおのをぽとりと地面に落としました。ちょうどその直後に、父親がフラフラと目の前を通り過ぎて行ったのです。
キリスト教が浸透しており、神概念のはっきりしているフィリピン人の彼は、それが神の声であったと認識するようになり、そのことがきっかけで神の働き人となる決心をしたのでした。将来、彼はきっと自らの体験を基に貧困者のために立ち上がることでしょう。
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