我々は日本宣教の躓(つまず)きを、その不幸な歴史の中から見てきた。日本宣教における問題の1つは、福音が衣服としてまとってきた文化にあることが明らかである。
プロテスタント・キリスト教が衣服としてまとってきた西欧的な文化はアジア的、日本的な文化と合致しない。また歴史をたどるなら、総じてプロテスタント・キリスト教は有色人種的なものを見下し、価値を認めず、あまつさえ残虐に振る舞ってきたことは否定できない。
これではどんなに親切そうに、また愛情深そうに振る舞って見せても、日本人は心を開かないのである。特に日本はアジア、アフリカ諸国の中では、例外的に西欧からの侵略を数世紀にわたって警戒し、対策を立て、独立を守ってきた。そのような独立心の根底にあるものは、民族的な意識と、日本的なエートスに対する愛好である。
この文化から起こるさまざまの問題を克服して、日本宣教を前進させていく道はどこにあるのだろうか。解決のカギはもちろん、福音と文化の関わりの中にある。そうして解答は福音の衣としての文化の複数性ということにあるのではないか。
そのことについて、ここでは小生の個人的な意見を述べたい。ここに述べるものは、自分の思索の方向とも言うべきもの、試案であって、仕上げられ、整理された思想ではない。1つの参考として、現在のキリスト教思想に対する修正の申し立ての1つとして見ていただきたいのである。
今までの日本宣教
ラインホルド・ニーバーは「キリスト教はその成立時に倫理を持っていなかった。そこでストア派の哲学を借りてキリスト教倫理を形成した。それにより『敵をも愛す』というイエスの戒命は曇ってしまった」と言っている(Reinhold Niebur, An Interpretation of Christian Ethics,Harper & Brothers 1935、『基督教倫理』、上與二郎[かみよじろう]訳、新教出版社、1949年)。
ニーバーは、正統派キリスト教はこれによって硬化してしまい、実社会に対して無力になったと言い、またその反動としてのリベラル・キリスト教は、 ヒューマニズムに立脚しようとして無力になったという。彼はそこで新しくイエスの愛による倫理というものを提唱しており、これこそ過去の欠陥を克服する真のキリスト教倫理である、としている。
どうも過去の欠陥を発見して、自分がその代替案を出すと、それが2千年以来の初めての「真理」であると主張したくなるのは、内村鑑三やジェームス・H・コーンだけではないらしく、ニーバーにもその傾向が見える。
たぶんストア派の倫理は、当時の紀元1世紀の世界に福音が浸み込んでいくための衣服だったのであろう。キリスト教がストア派の倫理との結婚を実行したのは、宣教学的には正当性があった。ストア倫理の2つの柱は克己心、義務感の2つとされており、それらが伝統的キリスト教倫理の中心を構成した。
新約偽典には、パウロとセネカ(ストア派の哲学者)との往復書簡と称せられる14通の文書が収められており、この学派が初代キリスト教に対して持っていた影響の大きさをうかがわせる。
福音が衣服としてまとう文化、倫理は時と所によってさまざまであっていい。つまり、キリスト教信仰がまとう倫理は複数で、1つでない。それは、旧約聖書を見れば明らかで、前述したように旧約は遊牧民時代、戦国時代、古代王国時代、外国の圧政下など、4つの歴史区分に分かれることは述べた。
特にその中では、部族的な遊牧民の時代の文化と倫理が、イスラエルの理想とされているようにも見える。預言者は砂漠の旅の時代精神に戻れとしばしば叫んでおり、特にエレミヤにその主張が強い。
旧約の性倫理は、一夫多妻を許容している。だからといって、それは乱れた社会ではない。姦淫(かんいん)は死をもって禁じられていた。なお、旧約では「姦淫」の定義は現代のそれとは違って、男性が他人の妻と関係を持ち、それによって相手の家庭を冒涜(ぼうとく)し、破壊するものを指す。それが、旧約聖書の社会の秩序である。アブラハムもダビデも、その文化の中にいた。
信じたら一夫多妻の文化をやめよ、そのような社会にいるべきでない、そこから出て行け、などとは命ぜられなかった。数千年前の旧約の聖徒たちは、そういう文化とそういう倫理の中で生き続け、神の栄光を現すように召されていた。
このような旧約の性倫理を現代の世界でどう考えるかは大きな問題である。例外的にこれが現代でも適用される地域はあり得るのだろうか。
フラー神学校のチャールズ・クラフトは、自身のナイジェリア宣教の経験よりして宣教地の文化は修正すべきでないとしている。いずれにしても、この問題はキリスト教界全体であらためて問い直す作業を行わねばならないと感じる。
西欧的なエートスに包まれた福音
これまでの日本宣教は、西欧的なエートスと価値観にくるまれたままのキリスト教を伝えようとしてきた。すなわち、日本における福音宣教とは、福音とともに西欧の価値観を教えることでもあった。すなわち、福音を伝えることとともに、独立した個人、また個人の決断などの理念を教えることとがワンセットになっていた。
強烈な「個人」の主張のある、西欧社会で発達したキリスト教である。それに引き換え、日本の社会は弱い形の「個人」の存在しか認めない社会である。その意味では、クリスチャンが西欧的な人間像に近づくほど、彼は日本社会に対して違和感を持つことになる。
そのような「個」の自覚が低い社会では、西欧的キリスト教は当然伝わりにくいのである。ごく一般の日本人、また日本的なままの社会では伝達が難しい。そこで日本宣教が進むためには、日本社会の体質改善が必要であるとする認識が成立した。こうして礼拝説教も、教会員の訓練も、日本人の体質改善教育みたいな観を呈することになる。説教では、日本文化の後進性を叱責するような例が多くなる。
ある時、小生が聞いた伝道説教は、まず「日本文化には愛はない。あるのはしがらみだけである」という語り出しで始まり、続いて一連の日本文化に対する叱責があった。そうしてこの日本社会に欠けているものを福音が与えようとしている、という話であった。
その牧師は、西欧のキリスト教国には愛が豊かにある、さすがに日本とは達う、とは言葉に出して言わなかった。しかし、説教の根底にはそれがあり、出席者はすべてそのように理解した。
これは一例であるが、このように日本の社会と政治の形態に関する叱責が説教において表現される、そういう傾向がある。
福音の宣教が進まないのは、日本の社会が悪いのだ。これが変わってくれればもっと宣教は伸びるはずだ、という思い入れも強い。しかし、社会が変わればキリスト教の伝道も楽になるなどと考えていると、説教の内容が社会改良の勧めになる。
(注:もちろん、これは日本だけの問題ではない。アジア・アフリカでの伝道一般において見られた傾向である。西欧からの宣教師は「未開」のハダカで暮らしている所に行けば、パンツとシャツを着せ、靴を履くことを教える。手づかみでなくナイフとフォークで食べることを教える。そのように入信と同時に、ライフスタイルも変えさせた。それで、カタコトの英語ででも証しができれば大成功である。
そういう人を本国に連れて帰って、宣教の成績として「展示」する。内村鑑三は、こういう西洋の教会の外国宣教大会のありさまを見て、これこそまさに教会主義の腐敗の1つであると、『余は如何にして基督信徒となりし乎』の中で述べている。鑑三の留学は1884〜88年で、まさにそのような雰囲気の強い時期であったことは、先に見た通りである)
もちろん、いつの世でも、自国の文化を好まず、外国の価値観に憧れる者はいる。自国の文化を嫌悪し、事ごとに外国が優れているような発言をする。実は、日本の教会はそういうような人々に合わせてメッセージを発信してきたのかもしれない。もともとのバタ臭い宗教というイメージと一緒になって、社会よりの孤立の姿勢は修正されぬままである。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
*
【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
ご注文は、全国のキリスト教書店、Amazon、または、イーグレープのホームページにて。
◇