8月も残りわずかとなりました。3週間ぶりの百人一読ですが、皆さんはこの夏をどのように過ごしましたか?
海に行った方もいるでしょうね。「海は汚れるから、私はプール派なんですよ」という人も多くいるでしょうね。また、「この夏、恋人ができました~!』という方もいるかもしれませんね!そして、「恋人?何かの嫌味ですか?コイビトのコの字も感じない夏でしたよ。私はね・・・」というような方もいるはずです。でも、いつか素晴らしいこともあるはずですよ。
ちなみに、世界のベストセラーである聖書の中で、キリストの神様はこのように語っておられます。
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」
うれしいですね!キリストの神様が私に持っておられるご計画はそのようなものなのです。だから、クリスチャンになってキリストの神様に従っていれば、スゴイことが起こって当然になります!
「恋人できなかった・・・」と泣くくらいなら、この夏最後のチャンスとして、キリストの神様を信じて、クリスチャンになりませんか?(クリスチャンになる方法は後ほどご紹介しますね)
「恋人は、まだいない!何か文句あんの?でも、私はクリスチャンになったんだよ!これから、スゴイことが起こるんですよ~!」と言ってやりましょう。それこそ、本当の幸せです。
恋人なんて(こんな言い方はよくないかもしれません。恋人いる方ごめんなさい)、急にいなくなってしまうこともありますからね(重ねて、恋人いる方、こんなこと言ってごめんなさい。でも人っていう生き物は、男も女も心がコロコロ変わるもの、そんなものです)。
逆に、ありがたいことに、キリストの神様の愛は永遠です!あなたが失敗しようが、あなたに恋人がいなくても、今日はあなたの調子が悪くても、そして最近は旦那(奥さん)にきつく当たってしまっているとしても、キリストの神様は愛してくれていますよ。あなたを。キリストの神様は、そのようなお方なんですね。
さて、篠原の話ですが、この夏はかなり充実した(遊びではなく、仕事で)日々でした。そしてこの夏、飛行機で北陸旅行、初富山に行ってきました!京都にいる従弟(同大生)が、前に富山県に行ってきたと聞いていたのですが、篠原も初めて富山に行きました。世界遺産の五箇山の合掌造り集落、世界で一番美しいといわれたスターバックスとかに行ったりして、翌日は石川県にも行きました。
当然ながら野宿するわけありません。車中泊も考えていませんでした。昔よく見ていたテレビ番組「田舎に泊まろう!」をまねして、「すみませ~ん。東京から来ました。今晩泊めてください!」と、富山県の皆さんや石川県の皆さんと交渉するつもりもサラサラなかったので、最初からホテルを予約して出発し、富山でも石川でもホテルに泊まりました。
で、ホテルの客室は、というより、普通部屋というものは壁に囲まれていますよね。皆さんのご自宅や寝室もオフィスも壁に囲まれていますよね。「いいえ。窓もありますよ。扉もありますよ。壁だけじゃないですよ」とか「壁じゃなく、奥さんの冷たい目線(娘たちからのきつい視線)に囲まれています・・・」というような答えは無しで、お願いします!
それで、富山の氷見と石川の金沢のホテルに泊まったわけですが、当然、部屋には壁がありました(もちろん、扉や窓ガラスもあるわけですけれど)。一般的には、壁には絵や時計やカレンダーなどですよね。皆さんのご自宅の壁には、カレンダーが貼られていたり、時計が掛けられたりしているでしょうね。ホテルの客室だと、写真が飾ってあったり、何かよく分からない字が書かれている掛け軸とかですね。
何が言いたいかというと、間違っても人の耳が壁から出ていましたとか、客室の壁をよく見たら、耳らしきものがついてましたとかって、あり得ないですよね。
もしそんなことがあったら、客室もホテルの中も外も警察だらけになってしまいますね。そんなホテルは、「幽霊が出るホテル」といううわさが広がり、すぐに潰れちゃうでしょうね。
だから篠原も「金沢市の兼六園近くのホテルに泊まりました。そうしたら、なんと壁から人間の耳らしきものが出ていたんですよぅ」とか言って、皆さんを怖がらすつもりは一切ありませんし、実際にそんなことはありませんでした。
実際、皆さんもそうですよね。夜会社から戻ってきて、部屋に入ったら、壁に何かが・・・。ゴキブリでも嫌でしょうけどね。もし人の耳のようなものだったら大変ですよね。その耳らしきものから、赤い血のようなものがツーと流れていたら・・・。考えただけでゾクッときますね。(怖がらせてしまっているようでしたらすみません。ホラー的コラムではありません。ちゃんと最後はハッピーエンドにしますから、ご安心ください)
皆さんにご安心していただくために、大丈夫ですと言わせていただきますね。今日、そんな恐怖体験をすることなんてあり得ないはずですから、いつも通りご帰宅ください。(おそらくですよ。皆さんの奥さんや兄弟やご両親が、この「百人一読」を読んでいて、皆さんを驚かしてやろうと、変なことを企んでいるとかしたら別ですけど(笑))
さて、真面目な話ですが、私が今回泊まった2軒のホテルとも、部屋の壁に「赤い文字で不気味な言葉が・・・」とか「人の耳らしきものがついていたんですよぅ・・・」とかいうことはありませんでした。
でも、本題に入りますが「壁に耳あり」とよく言われますよね。よく使いませんか?この言葉。結論から言えば、実際にそんなことなんてまずあり得ないことですが。
まぁ、要するに、どこで秘密の話が第三者に聞かれてしまっているか分からない。また、話の内容性から絶対に聞かれてはいけない人の耳がすぐ近くにある・・・、とかそんなことは実際にあるかもしれません。
映画「恋は雨上がりのように」(2018年5月公開。大泉洋さん、小松菜奈さん初共演作)を見られた方は、どれくらいいますか?非常に面白い作品でした。映画を見ていない方は、DVDが出たらレンタルしてみてください。
17歳のかわいい女子高生が、40代のバツイチ中年男に恋をして・・・というストーリーです。なかなか、あり得ないようなストーリーですよね。
映画の中で、主人公の女子高生・橘あきら(小松さんが演じます)が、無理矢理その40代のオジサン店長(大泉さんが演じます)とデートするわけです。中年のオジサンの方から誘うのではなく、女子高生のあきらが嫌がっているオジサンを誘うわけですから、なかなかあり得ない話だと思います。
で、そのデートがどう見ても怪しいわけですね。映画の中でも、周囲のお客さんたち(カフェでのデートです。しかも、女の人ばっかりのお店)が、ジロジロ2人を見ているわけですよね。援助交際ととられてもおかしくないような2人組ですからね、しょうがありませんねぇ。
で、何が言いたいかというと、主人公の橘あきらが恋しているのは、40代バツイチのおじさんなわけですが、彼が店長をしているファミレスであきらがバイトを始めるわけです。
それで、ある日のこと、事件が起こるわけです。あきらと同僚の女の子が話していた。そして、同僚があきらに向かって「店長って、臭いよね」というようなことを言うわけですね。
まぁ、若いバイトの女の子同士の他愛のないおしゃべりですね。でもです。でもですよ!そのおしゃべりを、店長がすぐ近くで聞いていたわけです!同僚の女の子がフッと見ると、店長が・・・。
女の子は大ピンチです。店長が去ったあと、「私、クビかなぁ」というようなことを、あきらに尋ねるわけです(普通なら、クビになるかもしれませんね)。
これは映画の話ですけど、本当にどこで何を聞かれているか分かりません。同僚たちと「部長」のことを言いたい放題盛り上がっていたら、突然後ろから肩をトンと叩かれた。「へっ?」と振り返ると、不気味な笑いをうかべたその部長が・・・というような、恐ろしいことが起こってしまうかもしれません。
女子2人で、怖い先輩の悪口をいつも通り言いながら、教室の掃除をしていた。そうしたら突然、教室の温度が零下になったような感じが・・・。「アレっ?」と後ろを振り返ると、鬼のような顔した、その先輩が・・・。
会社にずっといるお局さんのことを営業のみんなで話していた。「いつやめるんだ!」とか「うちの社の負の財産だ」。ふっと見ると、そのお局さんが!――というようなことにならないようにしたいですねぇ。
とにかく、どこで「その話」を一番聞かれてはいけない対象が聞いているか分かりませんから。言えることは、「壁に耳あり」は、絶対にまずあり得ません。しかし、「こんな所で、この人に聞かれてしまうとはっ!終わりだ~~!」、こんな場面は、かなりの割合であるはずだということです。
だからこそ、自分を守るためにも、また自分の地位や職を守るためにも、こんな時代に失業しないためにも、家族を路頭に迷わせないためにも、「聞かれてはいけない」ことは話さないのが一番です。
「悪口」は控えておくのが一番です。「上司や先輩や会社のお偉いさんの批判話」は避けておくのが一番です。自分のためですね。家族のためでもありますね。
でも、これを相手のためだと意識するのもいいと思います。つまり、「悪口」や「批判話」をされている本人が、何らかのことで自分の悪口や批判やらが飛び交っているのを聞いてしまったらどうでしょうか。ぜひ、皆さんも自分の立場で考えてみてください。
ある日、かわいい後輩たちが集まって楽しそうにワイワイ話している。
「オッ!何の話かな?恋バナかな?」と気になって、一緒に輪に入ろうと思って近づいた。すると、なんと自分の悪口でメチャクチャ盛り上がっている・・・。もうショックですよね。その場で怒鳴るとか、あとで復讐するとか考えてしまうでしょうが、とにかくショックですよねぇ。
また、会社の近くの店にランチに行った。奥の方で、部下たち(後輩たち)3、4人が1つのテーブルにかたまって食べている。「おっ。ちょうどいいや。一緒に食べよう」と思って近づくと、「うぜぇよなぁ」と聞こえる。「誰のことかなぁ?」と思いながら、さらに近づこうとすると、その瞬間、なんと自分の名前が出てくる。ショックですねぇ。
そこで、部下たち(後輩たち)の1人が、フッと振り向き、あなたに気が付く。そして、みんなに合図を。そして、その場が固まる。嫌ですねぇ、こんな体験は。したくないですね。
言えることは、「悪口」や「批判話」は、人を傷つけるということです。他人の言葉で人は傷つき、絶望し、生きる希望を失ってしまうわけですね。
自分の悪口、批判話。それらを、みんな(先輩、後輩、上司、部下、同僚、友人、クラスメートたち)が楽しそうにしているのを、その本人が聞いてしまう。彼(彼女)は大きな傷を負いますね。ショックです。もしかしたら、翌日から会社(学校、クラブ)に出られなくなってしまう、もしくは誰も信用できなくなるでしょうね。
そうならないために、自分を守るためにでもありますが、何よりも他人を傷つけないためにも(加害者にならないためにも)、「悪口」や「批判話」は控えましょう。それが、絶対に皆さんを守ってくれるはずです。
そんな話が飛び交う場になったら、すぐに席を外しましょう。そんな話が盛り上がりそうな人たちばっかりだったら、ちょっと何かしらの理由を付けて、すぐ帰りましょう。
自分の言葉で他人を傷つけないために。また、自分の職を失わないために。また、友人関係を粉砕しないために。自分のことも、他人のことも、大切な親友のこと、上司や部下や後輩、先輩たちを守るために。
「罪」というものがあります。人間は、口から出す言葉で罪を犯してしまうものです。そして、口から出す言葉で第三者を傷つけてしまいます。人の口からは、「悪口」や「よくない言葉」が出やすいものです。でも、それで第三者が傷つき、また自分自身が時として滅びて(降格、失業、友人関係の決裂、信用を無くすなど)しまいます。
だからこそ今日から、口から出す言葉に気を付け、「悪口」や「批判話」を避けていきたいですね。(一番良いのは、世界のベストセラーであり、偉人たちに読み継がれてきた聖書を朗読することです。世界で一番読まれている書物です。聖書を朗読するときに、心も良い状態になり、いろいろと良い精神状態になりますよ)
あと、口から出るものである、ウソ・偽りも時として罪になりますね。まず、「ウソは絶対に言っちゃダメよ。悪いことだよ」というようなことがよく言われていますが、一様にそうだとは言えませんよね。
確かに、聖書の中にはこう書かれているのです。「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない」。確かに、ウソは原則として罪であり、ウソを言ってはいけないものです。
でも、時と場合にもよります。どう見ても、どっちから見ても、角度を変えようが、ちょっと目を半開きにして見ようが、正直なところ「うーん。美しいとは言えないなぁ」というような女性が目の前にいるとしますよ。
その目の前の女性が真剣な表情で、「ねぇ。私ってどう見える?醜いよね。生きている価値ないよね?」と聞いてくる。そんな時に、「あっ。ウソは罪だからな。正直に言わないといけない!」と心の中で考えて、正直に「ウン。言っちゃ悪いけど、醜いね!ちょっと、私ならその顔で生きてくのは・・・」と言いますか?その言葉で、目の前の女性は命を絶つ決心をするかもしれませんね。
また、クラスメート(同僚)が急に学校(職場)で倒れて、救急車で運ばれた。そして、入院したと報告があった。お見舞いに行ったら、ご両親(奥さん)が出てきて、「本人には言っていませんが、末期のがんで。若いから全身に広がっていて・・・。余命1カ月なんです」と教えてくれる。
病室に入ると、クラスメート(同僚)がいつもの笑顔で迎えてくれる。「心配かけちゃってごめんね。軽い〇〇なんだよ」と。いつもの人懐っこい笑顔で自分を迎えてくれる彼(彼女)に、どうしますか?本当のことを言おうと考えますかね。
「〇〇!それは、お医者とご家族が君のことを心配してウソ言ってるの。私は、正直に言ってあげる。よく聞いてね。実はね、あなたは末期のがんなの。しかも、全身転移!でも、しっかりして。私は最後まで応援するからね」
こんなこと、言っちゃいけませんね。こんな酷いことしたら(ウソをつかなかったら)、目の前のクラスメート(同僚)は、どうなりますかね。そばにいるご両親(奥さん)たちも。
そんな時は、涙をグッとこらえてでも、「〇〇!頑張って、早く良くなって退院してね。みんな、〇〇がいなくて、寂しがってるからね」というようなことを言うべきですよね。
ウソも時と場合によっては必要になります。時としては、ウソを言わないことが、目の前の人を深く傷つけたり、目の前の人の生きる望みを奪う結果を生み出します。
でも基本的に、ウソは罪であり、間違ったものである。これが、真理です。ウソによって身を滅ぼし、ウソによってもう後戻りできなくなったり、時には1つの小さなウソによって、大きく大きくウソが広がっていきます。ある時は、ウソによって人が死んでしまうこともあるわけです。
映画「オーバードライブ」(2018年6月公開。東出昌大さんと新田真剣佑さん主演、森川葵さん出演作品)では、ある若者のたった1つのウソで、若い女性が死ぬことになります。
その若者が、彼女に「俺の兄には、他に好きな女がいるんだ」というようなウソをつくわけです。結論から言うと、彼女はそのウソを聞き、そのウソゆえに海外留学に行くことにします。そして、その留学先の国で銃の乱射事件に巻き込まれて死んでしまうわけです。
「兄ちゃんには、お前以外に好きな女がいるんだよ」というようなウソをあの彼女についてしまったあの若者は、その後ずっと苦しみ続けます。自分のたった1つのウソが、結果として彼女の命を奪ってしまうことになるとは・・・。
ウソゆえに、時として考えられないような、想像もしなかったような被害や犠牲が出てしまうことがあるわけです。
だからこそ、「悪口」「批判話」、そして「ウソ」(例外的な場合を除いて)は避けるべきです。それらで罪を犯さないようにすべきです。
ここまで、口から出る言葉による悲劇、罪などについて書いてきましたが、最後にウソや悪口、批判話、そして不倫や殺人よりも悪い罪、人間が犯すことのできる一番大きな罪について書かせていただきます。
それは、何でしょうか?殺人でしょうか。強盗殺人でしょうか。強姦でしょうか。誘拐でしょうか。
もちろん、殺人も罪です。(ただし、死刑はまったく問題ありません。聖書から判断して、「死刑廃止論」や「死刑制度廃止」が逆に間違いです。故意に人を殺したとか、計画して犯行におよび人を殺したとかいう場合、死刑にされて当然です。それほど、皆さんの周囲の人々の命、皆さんの命は尊い、大事なものです。死刑制度に何かの問題があるのではなく、死刑を求刑されるほどの残虐な罪を犯した者の側に問題があります)
ちなみに、110番通報の受理件数が、1日に約2万5千件らしいです(平成27年)。そして、約12億6千万円。この巨額の数字は何を意味しているか、分かりますか?これは、日本全国での1日の万引きの被害総額といわれています。
12億6千万円ですよ!とんでもない額です。となると、年間にすると、何千億円です!それほど、日本という国は万引き(罪)で溢れているわけです。また、不倫や婚前交渉、婚外交渉、獣姦、同性愛、同性婚、援助交際、売春も罪です。
それでは、人間が犯すことのできる最大の罪をご紹介します。それは、殺人、不倫、強盗、誘拐でもありません。その罪は、インマヌエル・カントが言っている言葉から導き出せるものです。
プロセイン王国の哲学者であり、『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』を発表したドイツの古典主義哲学の祖であるカントです。その彼がこう言っています。「人間のための書物として聖書が存在することは、人類がこれまで経験した中で最大の恵みである。それを見くびるどのような企ても、人間に対する犯罪である」(『100人の聖書』23ページ)
つまり、まず分かることは、世界のベストセラー聖書の存在は、人類がこれまでに経験した中での、最大の恵みであるということです。スゴイ言葉です。でも、まさにそうなのです。聖書とは、それほどの書物なのです。
多くの偉人たちや各時代の人々に希望や命を与えてきた書物です。まさに、永遠に生ける言葉。それこそ、聖書です。
そして、カントは続けて「それを見くびるどのような企ても、・・・犯罪である」と言っています。つまりは、この人類への最大の恵み、それが聖書の存在です。この聖書を見くびるどのような企ても、犯罪であるというのですね。
結論です。なぜ、聖書を見くびるのが犯罪になるのか。なぜ、カントがそう言っているのか?それは、こういうことです。
聖書とは、ただ単なる本、書物ではありません。皆さんが信じることができようが、疑おうが、私は確信を持ってハッキリと申します。聖書は、他の本や書物とまったく違ったものなのです。
なぜなら、聖書はキリストの神様(このお方だけが唯一の神)の言葉なのです。もちろん、聖書を書いたのは歴史上実在した人々です。でも、大事なのは、それらの人々が勝手に書いたのではなくて、キリストの神様によってそれらの人々が書いたわけです。
それが、聖書です。旧約聖書39巻、新約聖書29巻、計66巻、それが1冊の聖書として、今現代も読み継がれています。そして、あなたを救う言葉なのです。
さぁ、本気で、この聖書を読み始めませんか?この聖書を手にして、実際に開き、そして、「キリストの神様。聖書から、何か、私に教えてください。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン」と願い、読むならば、何かを見つけることができます。絶対に、今まで発見していなかった大いなるものを発見するのです。
そして、最後の最後に、重要なお勧めがあります。皆さんの人生を変えるお勧めとなります。人間が犯すことのできる最大の罪を犯したまんまにならないための、方法です。実は、この罪は多くの人が知らずに犯してしまっているものなのです。
映画「劇場版コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-」(山下智久さん主演。新垣結衣さん、戸田恵梨香さん、比嘉愛未さん、浅利陽介さんら豪華キャストが出演)は素晴らしい映画です。一度、見てきていただきたい作品です。近くに座っていた人が、かなり泣いていました。というか、篠原がかなり泣きました。
この映画の中で、緋山医師(戸田恵梨香さんが演じます)が、余命わずかの患者である富澤(山谷花純さんが演じます)という若い女性に言うわけです。「あなたに残された時間は短い」と。
ま、この場合は、富澤自身がそのことをハッキリとすでに自覚していますから、緋山医師がウソを言う必要はないわけです。
私は、映画の中の緋山医師のようにハッキリと皆さんに申し上げます。「あなたに残された時間は短いですよ」と。
「篠原!何言うんや。俺(私)はまだまだ元気だし、若いんだよ!」と思われるかもしれませんが、本当に人間は、いつ死ぬか分からない生き物です。
人間は、明日のことは分かりませんよね。明日、死んでしまうかもしれない。また、いつ大地震が皆さんの街に起こるかも分からない時代です。どんなに、希望に満ちて生きていても、信号待ちしているときに、後ろからダンプに追突されたら終わりです。どんなに、毎日が楽しくて、仕事もバリバリやっていても、通り魔事件に巻き込まれてしまったなら、予告なく、急に終わりです。
時代は悪い時代になっています。殺人事件や凶悪事件がどんどん起こるような時代です。だからこそ、「自分に残された時間は短いんだ」と理解し、今日、けじめをつけておきませんか?今日、最大の罪を犯したまんまの状態を解消しませんか?その解消方法が、以下の方法です。
また、映画の話ですが、この映画(「劇場版コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-」)で、余命わずかの患者である富澤が、看護師の冴島(比嘉愛未さんが演じます)に愛する男性のことを語り出すシーンがあります。
富澤が、まだ入院していなかった頃、ある日書店に「ゼクシィ」を買いに行った。その時、普段は買い物について来ない、彼(新田真剣佑さんが演じます)がついて来てくれたと言うのです。
彼女(富澤)が「なんで今日はついて来てくれたの?」というような質問をすると、彼(岩田)はこのような感じの答え方をしたというのです(あくまで、映画の中の話です)。「だって、この本(ゼクシィ)は重いだろ。だから、オレが持ってあげるために・・・」と。
確かに、あの「ゼクシィ」は重いですよね。いろんな付録やらが付いてくることもあって、重いです。だから、彼は彼女にあの重い「ゼクシィ」を持たせるのではなく、自分が持ってあげようと、普段は買い物についていかないのに、書店に行く彼女にその日はついて行ったというのです。
何が言いたいか。本当に最後です。キリストの神様もそのような、いいえ、それ以上のお方だということです。
キリストの神様は、「ゼクシィ」のような重いものを持つときに、「代わりに持ってやるよ」と言って、持ってくれるというような映画の中の感動シーンのレベルではありません。超越したお方です。
聖書の中にこのように書かれています。「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、・・・昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた」と。ここで主とあるのが、キリストの神様のことです。
また、キリストの神様はこう語っておられます。「あなたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう」
そう、キリストの神様というお方は、このようなお方なのです。そうです。シーズン2の2で詳しくご紹介したように、歴史上の事実としての、イエス・キリストの十字架に隠された真実。あの真実ほどに、今あなたを愛してくださっているのです。
だから、私はハッキリと申します。この、キリストの神様を心から信じて、新しく生きることを始めませんか。いいえ、人間はそうするべきです。なぜなら、キリストの神様は、あなたのことを愛してくれている、本物で唯一の神であり、何よりもあなたは、キリストの神様に創造された存在だからなのです。
キリストの神様は、天地を創造し、そしてあなたを創造し、2人の男女を通してあなたをこの世に存在する1人の人間として誕生させてくださいました。
だからこそ、自分を創ってくださり、今も自分を愛してくださっているお方、そうです、神社や寺で賽銭を待っているようなモノではなくて、本物の唯一の神であるキリストの神様を、本当に唯一の神様であると信じ(クリスチャンとなり)、そしてこのお方だけを拝み、そしてこのお方だけに祈りをささげるというのは、すべての人間に当然なことなのです。
さあ、今からこの当然のことをする人生、当然のことをする者となりませんか。この当然なことをする者こそ、クリスチャンです。
そして、クリスチャンとならないことこそ、自分を創ってくれて、愛してくれている、本物で唯一の神様を信じないことなので、人間が犯せる最大の罪を犯したまんまの状態を続けることになるのです。
(クリスチャンになる詳しい、そして簡単な、ご自宅でもトイレの中でも5分もかからずになれる、その方法はシーズン1の100でご紹介しています。)
さあ、あなたの最高の幸せを望んでくださっているお方、キリストの神様を今日、信じませんか?実に、クリスチャンになるというのは特殊なことではなく、人間にとっては当然なことなのです。
次回の「百人一読」は、英国の歴史小説家、作家であるウォルター・スコットが登場します。が、予告します。冒頭から皆さんに質問攻撃をさせていただきます。質問攻撃から始まっても、最後はハッピーエンドの情報です!
それでは、次回9月18日に「百人一読」でお会いしましょう。3週間、お体に気を付けてお過ごしください。
*
【書籍紹介】
篠原元著『100人の聖書』
本書を推薦します!
「他の追随を許さない数と挿話」
――奥山実牧師(宣教師訓練センター[MTC]所長)
「牧師の説教などに引用できて便利」
――中野雄一郎牧師(マウント・オリーブ・ミニストリーズ)
「聖書に生きた偉人たちの画廊」
――峯野龍弘牧師(ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会)
ご注文は、全国の書店・キリスト教書店、Amazon、または、イーグレープのホームページにて。
◇