12 わたしコヘレトはイスラエルの王としてエルサレムにいた。13 天の下に起こることをすべて知ろうと熱心に探究し、知恵を尽くして調べた。神はつらいことを人の子らの務めとなさったものだ。14 わたしは太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれもみな空しく、風を追うようなことであった。
15 ゆがみは直らず、欠けていれば、数えられない。
16 わたしは心にこう言ってみた。「見よ、かつてエルサレムに君臨した者のだれにもまさって、わたしは知恵を深め、大いなるものとなった」と。わたしの心は知恵と知識を深く見極めたが、17 熱心に求めて知ったことは、結局、知恵も知識も狂気であり愚かであるにすぎないということだ。これも風を追うようなことだと悟った。18 知恵が深まれば悩みも深まり、知識が増せば痛みも増す。(1:12~18、新共同訳)
12節からは文章が改まります。ヘブライ語聖書では、12節の前に文章を区切るマークが挿入されています。前回まで取り上げたところまでがコヘレト書の序文であり、12節から本文に入るといわれています。コヘレトは本文の最初のかたまりである12~18節において、「知恵による探求」と、「知恵そのものへの探求」について語ります。知恵についてはコヘレト書全体で触れられています。それはやはり、コヘレトが知恵というものを重視しているからでしょう。ちなみにコヘレト書は、旧約聖書において、ヨブ記、箴言と並んで「知恵文学」と呼ばれています。
知恵という言葉はヘブライ語で「ホクマー(חָכְמָה)」と言いますが、これは旧約聖書においてはとても重要な言葉です。箴言8章12節には「わたしは知恵」と書かれていますが、知恵はこのように、旧約聖書ではしばしば「人格」として取り扱われています。
箴言8章22節以下ではその知恵が、
「主は、その道の初めにわたしを造られた。いにしえの御業になお、先立って。永遠の昔、わたしは祝別されていた。太初、大地に先立って。わたしは生み出されていた、深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき。山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが、わたしは生み出されていた」(8:22~25)
と語っています。知恵は「天地創造の時に神と共にあった人格」として伝えられているのです(詩編104編24節「あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた」も参照)。
新約聖書においては、パウロがキリストを「神の知恵」(1コリント1:24、30)と言っています。パウロにそのように言わしめているのは、旧約聖書に「知恵が人格である」と記されているからでありましょう。パウロはそして、「神の知恵」と「世の知恵」(1コリント2:6)を峻別しています。実はコヘレトも、パウロと同じように、知恵を「神の知恵」と「世の知恵」に峻別しているように思えます。そのことについても、コヘレト書全体にわたって読み取っていきたいと思います。
12節でコヘレトはまず、自分がソロモン王であると名乗ります。これはソロモン王が知恵を極めた人と伝えられているからでしょう。列王記上には、ソロモン王に語り掛ける神の言葉が記されています。
あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。(列王記上3:11、12)
ソロモン王は神によって「知恵」を与えられたのでした。また同章28節には、「王の下した裁きを聞いて、イスラエルの人々は皆、王を畏れ敬うようになった。『神の知恵』が王のうちにあって、正しい裁きを行うのを見たからである」とあります。ソロモン王に与えられた知恵は、「神の知恵」であったのです。
ソロモン王に扮したコヘレトは、最初に天の下に起こることをすべて知ろうと、知恵を尽くして調べました(13節前半)。つまり「知恵による探求」を行ったのです。しかしどうやら、この最初の探求は失敗したものと思われます。「神はつらいことを人の子らの務めとなさったものだ」(13節後半)と、コヘレトは愚痴をこぼしているように思えます。
箴言によれば、「主を畏れることは知恵の初め」(9:10)であり、神を畏れ敬うことによってこそ「神の知恵」が与えられるのです(ヨブ記28章28節「主を畏れ敬うこと、それが知恵」も参照)。しかしコヘレトは、どうもこの最初の探求では「世の知恵」を追い求めてしまったように感じられます。実はそのことからも、コヘレトがソロモン王本人ではないことが分かってしまうわけです。ソロモン王は「神の知恵」を用いた人として伝えられているからです。
コヘレトは「世の知恵」による探求の結果、「ゆがみ(曲がったもの)は直らず、欠けていれば、数えられない」と言います。この言葉はコヘレト自身の言葉ではなく、格言を使用しているともいわれています。実はこの「ゆがみ(曲がったもの)は直らず」ととてもよく似た文が、7章13節にあります。「神が曲げたものを、誰が直しえようか」という言葉です。両節はヘブライ語原典でも似た文です。7章の方は「神の御業の絶対肯定」というコヘレトのモチーフに沿っての「神の曲げたゆがみ」という意味のことですが、1章の「ゆがみは直らず」は、神の曲げたゆがみのことではなく、一般的なゆがみについて言っているのだと思われます。人間社会におけるゆがみなどでしょう。そういったゆがみは「人間の知恵」を用いても、簡単には直せないというのです。
この話は、申し上げておりますパウロの手紙と読み比べると、分かりやすいように思えます。パウロもまた、ゆがみに直面した人でありました。パウロは宣教者でしたから、彼の直面したゆがみは、教会の中に起こっていたゆがみでした。コリントの信徒への手紙一は、コリントの教会内に起こっていたさまざまな「ゆがみ(問題)」に対処するために書かれたものです。
パウロは「世の知恵」の空しさを知っていたのでしょう。教会内のゆがみを解決するために「世の知恵」を使いませんでした。コリントの信徒への手紙一の冒頭にはこうあります。
知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。(1コリント1:20、21)
パウロは神からの示しによって、「世の知恵」でなく「宣教という愚かな手段」を用いることによって、教会内のゆがみを解決しようとしたのです。なぜ宣教は愚かな手段と言われるのでしょうか。コリントの教会への手紙のその後の部分にはこうあります。「神の愚かさは人よりも賢く・・・」(1:25)
「世の知恵」では、それをどんなに使ってもゆがみをなおすことはできない。しかし「神の知恵」であれば、それは愚かなように思えることでも、「世の知恵」より賢いのです。そしてそれが宣教、言い換えるならば、神が人となったイエス・キリストの十字架の出来事なのです。イエス・キリストの十字架によって、教会内のゆがみを直そうとしているのが、コリントの信徒への手紙一なのです。
パウロは「世の知恵」に頼ろうとしませんでしたが、コヘレトの最初の探求は、どうも「世の知恵」に頼ってしまったようです。その結果が「ゆがみは直らず、欠けていれば、数えられない」だったのです。コヘレトは次に「知恵そのものへの探求」を行います(16節以下)。しかしそれも「世の知恵」への探求であったようです。その結果としてコヘレトは、「知恵も知識も狂気であり愚かであるにすぎない」と言うことになってしまいます。
「世の知恵」に頼っての2つの探求の結果、コヘレトは「風を追うようなこと」という言葉を繰り返します(14、17節)。この言葉はコヘレト書において何度も出てきますが、「空しい」という言葉とセットにされている場合が多いです。この世の価値観を探求した場合に、そのように言われていることが多いように思われます。
コヘレトは、当初は「世の知恵」に頼って探求をしてしまったのです。コヘレト書を読み進めてまいりますと、「神の知恵」について語られている箇所があり、コヘレトが「神の知恵」と「世の知恵」を峻別していることが分かりますが、ここでは「世の知恵」に頼って失敗してしまったようです。そして失敗を率直に認めているように思えます。しかし失敗を認めたコヘレトは、次のさらなる探求に向かいます。
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