虐待の問題を論じるとき、私たちはその動機を「短絡的」に見てしまいがちです。それは、虐待と向き合うということが、私たち一人一人が抱えている痛みや苦しみ、心の傷をえぐり出し、さらけ出す作業となってしまわざるを得ないからです。多くの場合、虐待している保護者もさまざまな事情を抱えています。なかなか解決できない複雑な問題の中を右往左往してきた結果、虐待に至ってしまうというケースがほとんどです。どの場面で、どのようにして虐待を止めれば効果的か、それを追求していかなければならないからです。私はここに問題があると思っています。
虐待には、幾つかのキーフレーズが存在します。1つ目は「優秀な親でなければならない」。次に「子どもを優秀に育てなければならない」。そして、最後はその家族を取り囲む環境です。1番目は、「優秀な親」であるはずの自分の子なのに「なぜ、こんなことができないのか」と思ってしまうのです。2番目の場合は「こんなに優秀なんだから、もっとできるようにしてやらなければ」と思ってしまうのでしょう。環境とは、保護者に対するケアワークです。
私の出会った事例をモデル化したものをお示ししましょう。
1)「優秀な親でなければならない」という恐怖感
親御さんの誰もが「自慢のできる子どもを育てたい」という潜在的な欲求から、「自慢できる子どもにしなければいけない」という潜在的な義務感を自己生成してしまう状況に陥っています。世の中には「天才児はこう育てろ!」とか、「わが子を天才にするために」という親の欲望を増幅させるような情報があふれています。虐待する親の中に、自分もそうすれば「(親としての)成功者」になれると思わされている部分を多くの場合に見ることができます。実際、本に書いてある通りに育ててみたけどその通りにならないと悩む保護者も多いです。また一方で、子どもの先天的な疾患や障害などの介護がうまくいかないと思い悩む場合もあります。すると、思い詰めるあまり、外には出せないと子どもを巻き込んでの精神的、環境的な引きこもりが始まります。
そして、その時期に離婚や再婚などという大きなストレス要因が重なると、一番手近な弱い存在である子どもに対して、虐待が始まっていきます。一部の保護者は、虐待と同時にリストカットなどの自傷行為をする場合があります。実は虐待というのは、わが子や親である自分自身に対するモラルハラスメントのケースが多いのが実情です。そしてそれが止まらない理由は、その虐待に対して「正当な理由がある」と信じ込んでしまっていることにあります。
2)子どもにすべてを注いだ末の喪失感
両親にとっては、子どもの出来が良いことが唯一の救いとなってしまっていました。親は自分の人生の反省の意味も込め、食費や自分の小遣いまで切り詰め、一生懸命送り迎えもして勉強や習い事をさせていました。子どもの方も親が喜ぶ姿に励まされ頑張っていました。そんな中で虐待のきっかけとなる小さな事件が起こります。それは、テストで100点を取れなかったことであったり、疲れて決められていた勉強ができなかったことであったりします。すると、プツっと子どもの中のヤル気が途切れる場合があります。そしてそのことの故に「親子の相互了解の上」で罰を下すことが始まります。こうなると、まず自分たちで止めることは至難の技です。彼らは、自分たちが作り上げた虚構の世界におびえ、そこから逃れようとだけ努力します。
このようなことをきっかけに虐待が始まると、途端に愛情は虐待に変換されていきます。それは、憎しみを向ければ向けるほど、向けられた方はその憎しみを払拭しようとして従順になろうとするからです。そして、被害者の「従順にならなければ」という苦渋の選択が、親としての愛情をさらに虐待に変換していきます。こうなると虐待は止まらなくなります。
3)世の中の荒波の中での自己喪失感
サービス業で働く親が、顧客や同僚から過酷な扱いを受けていました。家に帰っても、イライラが止まらず、また、そのことを察した子どもが遊びたがって駄々をこねたり、別のケースでは、まだ小さい赤ちゃんが泣きやまない状況に直面して、たたいたり、首を絞めたくなったりしてしまうケースがあります。また、「あなたの子かもしれなけど、私のかわいい孫でもあるのよ」などと言う両親と折り合いをつけられず、最後には両親への反抗の手段として虐待が起きる場合もあります。こういうケースでは、支援という名の強制的な保護が行われる場合が多いようです。
目黒のケースを鑑みますと、被害児はとてもかわいらしく、また、利発なお子さんであったことが、保護者の「変な義務感」を誘発した可能性もあるのではないかと私は考えています。容疑者である父親は被害児の弟が生まれたときに、「ますます頑張らなければ」と言っていたとも伝え聞きます。「利発さ、かわいらしさに見合うように、勉強も、芸能活動もできる優秀な子」に育て上げなければいけないという、自分に対する親としての義務感が間違った結果を生んでしまったように思います。逆に言えば、本人は虐待をしていたという認識はなかったでしょうし、それに耐える被害児のためにもさらに厳しくというデススパイラルに陥っていたという理解も成り立ち得るケースだと思います。
こういうケースでは、周囲からの介入に関しても、もはや聞く耳を持たず、児童相談所や警察の半強制的な指導を逆にプレッシャーだと考えてしまいます。その中では「何が悪いのか」を客観視できず、これまでの虐待の枠組みをさらに強化してしまいます。「お前がしっかりしないから虐待で通報されるんだ」と・・・。
やはり、ここまで進んでしまったケースは対処が難しいと言わざるを得ません。命を救うことはできるかもしれません。しかし、その子が受けた心の傷や、家庭という環境的な損失は、どのようにしても取り戻すことはできないのです。
虐待は、その初期において、親が「育てられないかも?」という無意識の恐怖をどう乗り越えるかということにかかっていると私は思っています。それを力技で克服しようとするあまり、そのうちの一部が虐待になってしまうのです。今、必要なのは、親に対する温かい目と、「親がそんなに頑張らなくても子は育つよ」と言ってあげることです。つまり、保護者は伴走支援してくれる環境を必要としているのです。
冒頭、「環境とは、保護者に対するケアワーク」であると書きましたが、「泣かさないように」とか、「間違えないように」「文句を言われないように」というプレッシャーの中で息つく暇もない状態になっている保護者が少なくないように思います。実際、支援者の「大変だったね」の一言で、「わーっ」と泣き出す方もおられるほどです。
ここで1つ、聖書の話を見てみましょう。
イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(ルカ18:15〜17)
この場面のイエスと弟子たちは、これからエルサレム入りを果たそうとする状況にありました。弟子たちは「先生は、これからエルサレムにメシアとして入城されるのだ」「いよいよ、素晴らしい神の国を建設する時だ」という思いのみで動いていたのでしょう。だからこそ「先生が王となるとき、世の中は変わるのだ。先生はお忙しいのだ。もはやそんな小さなことには構っておれないのだ」と叱りつけたのでしょう。
私はこの箇所について、以前はイエスが子どもを祝福することに意味があると思っていました。しかし聖書によれば、弟子たちは押し寄せてくる親子を叱りつけたと伝えられています。なぜだろうと考えたときに、この逸話にもっと深い意味があることに思いが至ったのです。
そもそも、この逸話の中で、イエスの元に連れてこられた子どもたちとは、どういう子どもたちだったのでしょう。そのことに思いを寄せたとき、「ひょっとすると、難病などでもはや万策尽きた子、飢餓などでもはや諦めざるを得ない子、そのような問題を抱えた子たちではなかったのか」と思い当たりました。そしてそうした子どもたちを連れてきた親たちは、この平和な日本においては、虐待をせざるを得ない状況に置かれた親たちだったのかもしれません。そう考えてみると、ほのぼのとした幼児祝福の場面は幻のごとく消え、そこにはわが子をイエスの前に連れて来ざるを得なかった悲壮感と共に、イエスにこれまで付きまとってきた群衆と同質の求めを見いだすことができます。だからこそ、イエスは彼らを招き寄せ、「神の国はこのような者たちのものである」と祝福されたのです。
前回お話した「子どもを真ん中に立たせる神の義」は、教会の本義に関わるものだと思います。イエスがもたらす福音に最後の希望を抱いて、まさにすがるような思いで子どもを連れてきた人々を、イエスはひたすら慈愛と祝福で迎え続けました。そして、祝福を求める人たちに手を置き、神の独り子として、私たちと共に泣いてくださる友として祝福を与え続けたのだと受け止めています。私たちそれぞれも、それを既にあずかった者として、これから先、主の慈愛と祝福を語り伝えていく者であり続けたい、そう願います。(続く)
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