ビジネス伝道団体「日本CBMC」の支部である東京ピースクリエイターによる「賛美と祈りの集会」が22日、日本基督教団東京信愛教会(東京都新宿区)で開催された。賛美とメッセージのほか、昨年衆院議員に初当選したクリスチャンの山川百合子氏による報告も行われ、参加した約30人が、日本CBMCが教団教派を超え、日本と世界の宣教のために用いられるよう祈り求めた。
参加者の多くは、この日昼から衆院第1議員会館で行われた国政報告会に参加し、その後、午後に開催されたこの集会に合流した。集会は菅野直基牧師(新宿福興教会)のリードによる賛美でスタート。その後、須原プリスカ牧師(高砂ハーベスト教会)が祈り、メッセージを伝えた。
東京都葛飾区の高砂で約8年前に開拓を始めた須原牧師は、最初の4年間は信徒が1人もいないというつらい時期を経験した。「しかし、神様はテストに合格すれば、惜しげなくすべてを与えてくださる」。須原牧師にとっての神のテストは、24時間教会を開放するということで、それが今になって神の目にかなったことだったと振り返る。現在は子ども伝道が祝福され、これまでに約70人の子どもたちに洗礼を授けるまでになった。一方、大人のクリスチャンには厳しくするという須原牧師。信仰者として厳しく歩むことが大切だと言い「祈りと御言葉を心から愛してください」と伝えた。
その後、参加者全員で祈りの課題を共有。日本CBMCの働きや会員のため、来年3月に予定されている第19回国家晩餐祈祷会のためなど、祈祷課題と関連聖句がセットにされた7項目を2人1組になって祈った。
祈りの前には、日本CBMC理事の森敬子氏(日本基督教団富士見町教会長老)が、出エジプト記17章から「モーセが手を上げて(祈って)いるときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった」(11節)を引用。執り成しの祈りの大切さを強調した。
祈りの後、山川氏が太平洋戦争で犠牲になった日本兵の遺骨回収の課題について分かち合った。山川氏はNGO職員だった20年前と、埼玉県議だった昨年の2回、ビアク島というオセアニアの小島を訪れている。ニューギニア島の西部に位置するインドネシア領の島で、飛行場を設置するのに適した平たんな地形だったため、太平洋戦争では激戦地の1つとなった。
日本軍は増援合わせ1万5千人ほどの勢力で、その過半数は飛行場設営や輸送などのための後方部隊だった。島内に多数あった鍾乳洞に陣地を構え、兵力、戦力ともに大きく上回る米軍に抵抗したが、捕虜になるなどして生き残った約500人を除いて全員が戦死した。その死因の多くは戦闘ではなく、マラリアなどの病気や飢えだったという。
ビアク島にはそうした日本兵の遺骨が今も「その辺りにある」ような状態だという。現場を実際に見た感想として、学生時代に教えられた「棄民(きみん)」という言葉が頭に浮かんだ、と山川氏は話す。厚生労働省によると、日本の海外戦没者は約240万人で、そのうち回収できた遺骨は半数を少し超える127万柱。インドネシアの場合、遺骨を日本に移送するには政府間の交渉や手続きが必要だという事情はある。しかし「日本のために戦った兵士を大切にするというのであれば、政治利用するのではなく、こういうところをしっかりとするべきでは」と語った。
集会最後には、この集いのために1年以上にわたって会場を提供している東京信愛教会の鈴木武仁(たけひと)牧師があいさつし、次のように祈りをささげた。
「本当の平和、創造的な平和をつくり出せるよう、私たちの祈りを高めてください。日本の教会が強められたときこそ、日本が清められた神の栄光を表す国家となることを信じます。どうか主よ、われらをその祈り手としてください。まずはここからリバイバルを起こしてください」
CBMCは世界96カ国に支部を持つ世界的なビジネス伝道団体で、日本CBMCはその日本支部。米国ではマイク・ペンス副大統領も会員の1人だという。ちょうどこの集会に重なる形で、21〜23日には北アイルランド最大の都市ベルファストで世界大会が開催され、日本からは日本CBMCの青木仁志(さとし)理事長(アチーブメントグループ代表)や、山川氏の夫である瀬戸健一郎理事(元草加市議)らが参加した。