がっちりした体格でショーツをはいた男が、マラカルの波止場で働いている裸のディンカ族の労働者たちと立ち話をしています。ここはエチオピアの山脈からヌバの丘陵地帯に伸びて果てしなく広がっている湿原地帯の真ん中で、ナイル川の堤防に抱きつくようにくっついている港です。この背の低い気取らないオーストラリア人が行く所にはどこでも、背の高く、誇り高いディンカ人の友人がいました。彼らの所で働き始めてすでに30年以上がたっていました。医者として彼らの体を癒やし、伝道者としてその魂へ癒やしのメッセージを伝えていたのでした。
アール・トルディンガー博士がその仕事を始めたときには、まだディンカ語の複雑な音調とか数の多い母音の分析などをした人はありませんでした。ちょっと聞いたところ同じ母音と思われるような音にもわずかな違いがあったり、ほんの少しの音調の違いでも意味が変わったりして、この人たちの心に通じるように話すのは、ほとんど無理ではないかと思われるほどの障害になっていました。
そればかりではなく、ディンカ人はよそ者が一緒になるのを好みませんでした。彼らは常に自分たちの生活様式が最高であって、外からの輸入品に勝ると考えていました。また古代ファラオ(古代エジプトの石柱に彫られた彫像人物とディンカ人のある人たちは驚くほど似ています)の持つ誇りと複雑な宗教的社会構造とが結びついて、福音の入り込む余地がほとんどない状態でした。
トルディンガー博士は何年も彼らの中で過ごしましたが、回心者は1人も得られませんでした。古代の神々とかよく現れる霊を信じるのをやめて、代わりにイエスを受け入れる者はありませんでした。何週間も、時には何カ月も、泥壁で草葺き屋根の小屋に住み、牛飼いと一緒に牛小屋の中で、くすぶっている糞の火の回りで寝たりしました。忍耐強く彼らの健康上の必要のために尽くし、また毎晩、彼らの話す古代の手柄話や、ライオンとの戦い、悪意を持った霊に打ち勝つまじないの話を聞いたりして言葉を身につけました。
やっと彼はディンカ語を自由に使えるようになり、人々の心理や考えが分かるようになりました。そこで以前にも増して、神との和解が得られるようにと、神の子として地上に来てくださったイエスについて語るようになりました。関心を持つ者はほとんどありませんでしたが、ついに1人、そしてもう1人がイエスを受け入れました。
しかし、それから何カ月、何年たっても、それ以上救い主に心を向ける人は出ませんでした。しかし、太陽に熱せられてオーブンのように暑くなった熱気や、乾期には熱帯地方独特の焦げ付くような暑さにも耐え、夏の雨期には滝のような雨が降るため、果てしなく続く湿地帯から上る湿気で息苦しくなることもあり、蚊の大群に襲われる恐怖もありましたが、それにもめげず、トルディンガー博士はそこに留まったのです。
ドクター・トルー(友達みんなからはそう呼ばれていました)は、薄っぺらな仕事には決して満足しませんでした。医師として「完璧主義」の教育を受けていましたので、言葉の学習法についても同じく完璧主義でした。辞書を作り、細かい意味の違いまで区別しました。単語には正確に音調の印をつけました。後に他の人が、この言語の不思議な語順の迷路に迷い込んだり、動詞と形容詞の珍しい使い方に出くわしても迷子になることがないように文法書を書きました。そして、最後に新約全書をディンカ語のンゴク方言に翻訳しました。
トルディンガー医師は、薬は吸収されない限り効くことはないことを知っていましたので、翻訳についても同様に考えました。パウロ書簡の最も難しい部分については、文法をできるだけ単純に、言葉の使い方もできるだけ自然にして、ディンカ人が、パウロの伝えようとしていることを明確に理解できるように心がけ、まるでパウロが自分たちのために書いてくれているかのように翻訳したのです。
宣教師の中には福音書だけ教えて満足している者もいますが、トルディンガー博士は何日も、何週間もかけてディンカのクリスチャンたちにエフェソ書やコロサイ書に描写されている霊的な生活というものを教えました。パウロが偶像礼拝や神秘主義の宗教から解放されたばかりの小アジアのクリスチャンにとって大切だと思ったことをそれらの書簡に書いたのなら、ディンカ人にとっても同じ教えがもっと必要ではないかと考えたからです。
最近ソバト川沿いの信者たちの集まりで、聖書をほとんど独学で読めるようになったある若者が次のように簡単な言葉で証ししました。「神様と主イエス様に対する信仰を捨てることなど決してありません。もし『信仰を捨てなければ殺すぞ』と言われたら『殺したいなら殺してください。私には神様は命よりも大切なのです』と答えます」
この言葉を聞いただけで、愛するトルディンガー博士が、徹底した自己犠牲による愛の行動と、その献身的な教えによって、たぐいなき人類の救い主を伝える器になっていたことを証ししています。
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【書籍紹介】
ユージン・ナイダ著『神声人語―御言葉は異文化を超えて』
訳者:繁尾久・郡司利男 改訂増補者:浜島敏
世界の人里離れた地域で聖書翻訳を行っている宣教師たちと一緒に仕事をすることになって、何百という言語に聖書を翻訳するという素晴らしい側面を学ぶまたとない機会に恵まれました。世界の70カ国を越える国々を訪れ、150語以上の言語についてのさまざまな問題点を教えられました。その間、私たち夫婦はこれらの感動的な仕事の技術的な面や、人の興味をそそるような事柄について、詳細なメモを取りました。
宣教師たちは、未知の言語の文字を作り、文法書や辞書を書き、それらの言語という道具を使って神の言葉のメッセージを伝えるのです。私たちは、この本を準備するに当たって、これらの宣教師の戦略の扉を開くことで、私たちが受けたわくわくするような霊的な恵みを他の人たちにもお分かちしたいという願いを持ちました。本書に上げられているたくさんの資料を提供してくださった多くの宣教師の皆さんに心から感謝いたします。これらの方々は、一緒に仕事をしておられる同労者を除いてはほとんど知られることはないでしょう。また、それらの言語で神の言葉を備え、有効な伝道活動の基礎を作ったことにより、その土地に住む人々に素晴らしい宝を与えられたことになります。その人たちは、彼らの尊い仕事を決して忘れることはないでしょう。
本書は説教やレッスンのための教材として役立つ資料を豊富に備えていますが、その目的で牧師や日曜学校教師だけのために書かれたものではありません。クリスチャン生活のこれまで知らなかった領域を知りたいと思っておられる一般クリスチャンへの入門書ともなっています。読者の便宜に資するために3種類の索引をつけました。①聖句索引、本書に引用されている聖書箇所を聖書の順に並べました、②言語索引、これらのほとんど知られていない言語の地理上の説明も加えました、③総索引、題目と聖書の表現のリストを上げました。
ユージン・ナイダ
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