南太平洋にある環礁の1つで、鬱蒼(うっそう)としたジャングルの緑の葉の中から1人の褐色肌の現地人が現れました。兵隊が振り向いてライフルを向ける間もないほどの速さでした。その男は手を挙げて、たどたどしい英語で「ワタシ、イエスサマジン。ワタシ、カミサマノホンヨム」と叫びました。驚いた兵士たちが気が付く前から、この男は大きな黒い本を読んでいました。アメリカの軍隊が上陸するずっと前に宣教師が来ていた証拠なのです。
1819年もの昔、ハイラム・ビンガムはボストン港を12人の宣教師たちと共に出航しました。彼らはハワイで活動を始めましたが、これは何十という太平洋諸島に福音を伝えようとする働きのまず第一歩だったのです。ボストンの捕鯨船は危険を冒しつつも毎年ホーン岬を回って鯨を捕まえるために太平洋に向かっていました。しかし、捕鯨をしたり東洋と通商することで、このようなニュー・イングランドの勇敢な男女に太平洋諸島の世界が開かれたのでした。彼らは太平洋の果てに、受けるためではなく与えるために出掛けたのです。
ハイラム・ビンガム・ジュニアは、エール大学卒業後、父に倣って日付変更線のすぐ西、赤道から数キロ北のギルバート諸島に向かいました。そこで5年間病気と孤独という困難と闘いながら、ようやくマタイ伝を完成しました。訳稿はホノルルのミッション印刷所に送られました。ビンガムは13カ月もの間じっと待っていました。やっとのことで、ホノルルから荷物を積んだ船が到着しました。が、来たのはビンガムがあれほど待ちこがれていた福音書ではなく、一通の手紙だけでした。
それには、ホノルルは今忙しすぎてその原稿を印刷する時間がないので、お返ししますと書かれていました。その代わり、自分でその原稿を印刷するために使うことのできる小さな手動印刷機を送ってきました。彼は印刷のことは何も分かりません、それに急を要する仕事があって、疲れ切っていましたので、印刷機の使い方を自分で学ぶことなど考えただけでもいやになることでした。
次の日の朝、難破した船乗りでいっぱいの救命ボートが島に着きました。その中の1人は以前印刷業をしていた人でした。1カ月もたたないうちに、ギルバート諸島の島民はマタイ伝を持つことができたのです。
毎日、山積みになっている宣教の仕事の間にも、ビンガムはギルバート諸島の人々に聖書全巻を与えるという目標を見失うことはありませんでした。そして40年後にそれを完成し、この部族に神の教えの全体を与えたのでした。
翻訳の仕事は「宣教の世紀」が終わっても終わることはありませんでした。神の言葉に対する必要性が一層強く感じられ、聖書を印刷することが戦略上大切であることが認められるようになり、翻訳者の仕事はますます重要になってきています。「良きおとずれを伝えるもの」(ローマ10:15)の数は増え続けています。
*
【書籍紹介】
ユージン・ナイダ著『神声人語―御言葉は異文化を超えて』
訳者:繁尾久・郡司利男 改訂増補者:浜島敏
世界の人里離れた地域で聖書翻訳を行っている宣教師たちと一緒に仕事をすることになって、何百という言語に聖書を翻訳するという素晴らしい側面を学ぶまたとない機会に恵まれました。世界の70カ国を越える国々を訪れ、150語以上の言語についてのさまざまな問題点を教えられました。その間、私たち夫婦はこれらの感動的な仕事の技術的な面や、人の興味をそそるような事柄について、詳細なメモを取りました。
宣教師たちは、未知の言語の文字を作り、文法書や辞書を書き、それらの言語という道具を使って神の言葉のメッセージを伝えるのです。私たちは、この本を準備するに当たって、これらの宣教師の戦略の扉を開くことで、私たちが受けたわくわくするような霊的な恵みを他の人たちにもお分かちしたいという願いを持ちました。本書に上げられているたくさんの資料を提供してくださった多くの宣教師の皆さんに心から感謝いたします。これらの方々は、一緒に仕事をしておられる同労者を除いてはほとんど知られることはないでしょう。また、それらの言語で神の言葉を備え、有効な伝道活動の基礎を作ったことにより、その土地に住む人々に素晴らしい宝を与えられたことになります。その人たちは、彼らの尊い仕事を決して忘れることはないでしょう。
本書は説教やレッスンのための教材として役立つ資料を豊富に備えていますが、その目的で牧師や日曜学校教師だけのために書かれたものではありません。クリスチャン生活のこれまで知らなかった領域を知りたいと思っておられる一般クリスチャンへの入門書ともなっています。読者の便宜に資するために3種類の索引をつけました。①聖句索引、本書に引用されている聖書箇所を聖書の順に並べました、②言語索引、これらのほとんど知られていない言語の地理上の説明も加えました、③総索引、題目と聖書の表現のリストを上げました。
ユージン・ナイダ
◇