宗教改革の力強い物語や聖書物語が伝えられるのは、英語やドイツ語、チェコ語(ボヘミア語)だけに限定されるものではありません。真理のたいまつが聖書の記事に光を当て、前述のほかにも数知れないほどの多くの言語でも明らかにされるようになったのです。
16世紀の終わりまでに聖書全巻が出版されたのはイタリア語(1471)、カタロニア語(1478)、オランダ語(1522)、フランス語(1530)、スウェーデン語(1541)、デンマーク語(1550)、スペイン語(1553)、ポーランド語(1561)、教会スラブ語(1581)、アイスランド語(1584)、スロベニア語(1584)、ウェールズ語(1588)、そしてハンガリア語(1590)でした。それに続く2世紀の間に、聖書はその他に49もの言語で出版されました。その中には、マサチューセッツ・インディアン語への聖書全巻の翻訳が含まれています。
ケンブリッジ大学で教育を受け、ロックスベリという小さな教区の清教徒牧師であったジョン・エリオットがマサチューセッツ湾植民地に着いたのは、最初の清教徒がそこに着いて11年後のことでした。しかし、「あの哀れなインディアンたちを殺してしまった。ああ、そのうちの何人かでもキリスト教に改宗させることができていたら、良かったのに・・・」とメイフラワー号の乗員を非難したジョン・ロビンソンの言葉が、彼の心には響いていました。
エリオットは先住民アルゴンキン族と最初に接触して15年後、ノナンタムにおいて、その地方に住むマサチューセッツ族の酋長ワバンの大集会所で説教をするまでになりました。彼の先生になったのはジョブ・ネスタンという聡明な先住民族の若者でした。彼は英語を知っていたので、エリオットの家に住み込み、彼らの言語の奇妙な音声とそれ以上に奇妙きてれつな文法とを教えたのでした。それは、エリオットがケンブリッジ大学で学んだヘブライ語やギリシャ語とはまったく違っていました。
ジョン・エリオットはまた長期にわたりアルゴンキンの戦士とも寝食を共にし、彼らの語彙(ごい)を身につけ、彼らの暮らし方を覚えました。一緒に生活している間に「マグワンプ」(Mugwamp)という単語を覚え、創世記36:30にある「首長」にこの言葉を当てました。
というわけで、彼の聖書では「マグワンプ・ディション、マグワンプ・エツェル、マグワンプ・ディシャン・・・」と訳されています。1663年に全聖書が出版されましたが、これは西半球で出版された最初の聖書です。しかし、エリオットが亡くなって50年もたたないうちに、この部族は事実上、消滅してしまいました。戦争や疫病、そして白人の容赦のない暴力の結果、一部族が地上から消えたのです。
19世紀、すなわち「宣教世紀」になって初めてたくさんの翻訳が現れるようになりました。この1世紀だけで、聖書は494もの言語や方言に翻訳出版されました。このペースは20世紀になっても落ちてはおりません。ただ494言語とはいっても、ほとんどは部分訳だけであり、新約聖書全体が翻訳されたのは数えるほどで、さらに聖書全体が出版されたのはほんのわずかでした。19世紀には部分訳しかなかったこれらの494言語のうち、20世紀前半には100以上の言語で全聖書か少なくとも新約聖書が出版されました。
大宣教時代には、地球上のありとあらゆる場所に開拓宣教師が出掛けました。そして、新しく翻訳がなされたのはペルシャ語、ベンガル語、ビルマ語、カルムイク・モンゴル語、アッサム語、マレー語、中国語、日本語、朝鮮語、チェロキー語(合衆国)、アステック語、ミスキート語(ニカラグア)、アラワク語(イギリス領・オランダ領ギアナ、現スリナム、ガイアナ)、ヨルバ語(西アフリカ、現ニジェール)、ヘレロ語(南アフリカ、現ボツワナ)、スワヒリ語(東アフリカ)、ブル語(カメルーン)、バッタ語(スマトラ)、ギルバート語(ギルバート諸島、現キリバス)、クサイエ語(現コスラエ語、カロリン諸島)、ラロトンガ語(クック諸島)、マラガシ語(マダガスカル)などの言語でした。宣教の歴史の中でもこの重要な時代を知るためには、これらの翻訳がどのようにしてなされたか、その幾つかを見てみる必要があると思います。
アドナイラム・ジャドソンは、落胆していました。1813年にビルマ(現ミャンマー)で宣教の働きを始めてから6年がたっていました。もともとインドに入りたかったのですが、東インド会社から許可が得られませんでした。6年という長い間、ジャドソンは努力してビルマ語を学び続け、人々に説教をしたり、彼の貧弱な翻訳を読んで聞かせたりしたのですが、ほとんど手応えはありませんでした。彼の働きに対する政府の妨害は目に見えてひどくなり、せっかく3人の回心者が与えられたのに、弱気の彼らは見つかってしまい拷問にあって殺されるのではないかとびくびくしていました。かけて加えて彼の長子が亡くなり、夫人も健康を害してしまいました。
ジャドソンは決心して、アヴァにあるビルマ国王の贅沢(ぜいたく)な王宮を訪ねました。しかし、彼の直訴も何の役にも立ちませんでした。この働きを断念しようとさえ思ったのですが、ビルマ人の回心者がひたすら願ったため、ビルマに残ってもう1度宣教の働きに身をささげる決意をし、ビルマ語の学びと翻訳に心血を注ぐことにしたのです。ビルマ語の学習について、彼は次のように書いています。
文字や単語はわれわれが今まで遭遇したどんな言語ともまったく似たところがない。西洋の書き方のように、単語と単語を切り離したり、句読点を付けたり、大文字で書いたりして、単語をはっきり区別することすらない。一続きで書いてあるので、文や節が、一見長い単語のように見える。また、紙の上に切り離して書いた文字ではなく、乾かした椰子の葉をつなぎ合わせたものの上に不鮮明なかき傷をつけただけのものが本と呼ばれている。単語1つ説明してくれる辞書も通訳もないのに、この言葉をある程度知らなければ、現地の先生の助けさえ得られない。しかし、これこそがわれわれの仕事なのである。
しばらくして、ジャドソンと同僚のジョナサン・プライス博士が宮廷に呼び出されました。ジャドソンは通訳の、またプライス博士は宮廷医師の任を言い渡されました。が、その直後、英国とビルマは戦争に突入し、白人の外国人はすべて投獄されることになりました。
11カ月もの長い間、ジャドソンは重い鎖と足かせをつけられ、ネズミやモグラのはびこる牢獄につながれたのです。そこでは蚊やアブの大群に刺され、猛暑に悩まされ、息苦しいほどの高湿度の中で、辛酸をなめることになりました。奥さんの勇気と助けがなかったら、死んでいたことでしょう。
しかし、ジャドソンが一番気にかけていたのは、ずっと書き続けていた原稿のことでした。それをミッション・ホームに置くのは危険でした。ホームはすでに捜査の手が入っていました。ジャドソンは、その後の苦しいレトマユントン刑務所生活の間中、それを枕として寝ました。やっとのことで、ジャドソンは枷かせをとかれましたが、待っていたのは、さらに悲惨な死への行進の長蛇の列でした。
ウンペンラでは、死刑の執行を待つことになるのです。ジャドソンの必死の願いにもかかわらず、枕は取り上げられ、捨てられてしまいました。その行進は明らかに完全な敗北のように思われました。
以前にも増して過酷な7カ月が過ぎて、ジャドソンは突然釈放され、護衛つきの通訳となりました。しかし、それから間もなく、英国がビルマに勝利を収め、ジャドソンはもう1度自由の身になりました。そして奥さんや同僚、また忠実な信徒から大歓迎を受けたのです。
最初にクリスチャンとなった3人のうちの1人、モーン・イングが「先生」のところにやってまいりましたが、その手には古く薄汚れた枕がありました。それこそ、彼がレトマユントン刑務所から持ち出すことのできたたった1つの持ち物だったのです。その枕のすり切れた布の中には、貴重な原稿が入っていたのです。
ジャドソンは、すぐ神の言葉をビルマ語に翻訳・出版するための仕事に戻りました。彼の翻訳の最後のページが印刷所に渡ったのは1835年12月29日のことでした。その後、彼はさらに5年間、この聖書の改訂に真剣に取り組んだのでした。
福音を東洋に伝えることはほとんど手に負えないほど困難な仕事であると、ある合衆国のクリスチャン・グループに語っていたとき、世界宣教の未来は明るいでしょうかと尋ねられました。それに対し、ひどい苦痛も、激しい失望も、終わることのない骨折りもすべて経験していた神の人ジャドソンは確信をもって答えました──「明るいこと、神の約束のごとしです」と。
神の約束こそ彼の生きていく力であり、彼のメッセージの中心だったのです。
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【書籍紹介】
ユージン・ナイダ著『神声人語―御言葉は異文化を超えて』
訳者:繁尾久・郡司利男 改訂増補者:浜島敏
世界の人里離れた地域で聖書翻訳を行っている宣教師たちと一緒に仕事をすることになって、何百という言語に聖書を翻訳するという素晴らしい側面を学ぶまたとない機会に恵まれました。世界の70カ国を越える国々を訪れ、150語以上の言語についてのさまざまな問題点を教えられました。その間、私たち夫婦はこれらの感動的な仕事の技術的な面や、人の興味をそそるような事柄について、詳細なメモを取りました。
宣教師たちは、未知の言語の文字を作り、文法書や辞書を書き、それらの言語という道具を使って神の言葉のメッセージを伝えるのです。私たちは、この本を準備するに当たって、これらの宣教師の戦略の扉を開くことで、私たちが受けたわくわくするような霊的な恵みを他の人たちにもお分かちしたいという願いを持ちました。本書に上げられているたくさんの資料を提供してくださった多くの宣教師の皆さんに心から感謝いたします。これらの方々は、一緒に仕事をしておられる同労者を除いてはほとんど知られることはないでしょう。また、それらの言語で神の言葉を備え、有効な伝道活動の基礎を作ったことにより、その土地に住む人々に素晴らしい宝を与えられたことになります。その人たちは、彼らの尊い仕事を決して忘れることはないでしょう。
本書は説教やレッスンのための教材として役立つ資料を豊富に備えていますが、その目的で牧師や日曜学校教師だけのために書かれたものではありません。クリスチャン生活のこれまで知らなかった領域を知りたいと思っておられる一般クリスチャンへの入門書ともなっています。読者の便宜に資するために3種類の索引をつけました。①聖句索引、本書に引用されている聖書箇所を聖書の順に並べました、②言語索引、これらのほとんど知られていない言語の地理上の説明も加えました、③総索引、題目と聖書の表現のリストを上げました。
ユージン・ナイダ
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