ロバート・モリソンは奇妙な格好をしておりました。中国服を着、厚手の靴を履き、髪は弁髪にして後ろに垂らし、広東市の広大な城壁と珠江に挟まれた場所で、当時空き家となっていたフランス貿易会社の倉庫に1人で住んでいました。公式布告が出され、一般の宣教活動はほとんど不可能になりました。中国の法令には次のような内容のことが書かれていました。
今後、密かに本を印刷したり、自らの宗教を広めるための説教者を定住させるヨーロッパ人は下記に留意されたい。その組織の長ないし指導者は死刑に処する。
モリソンは中国語学習の助手となる先生を表立って雇うことはできませんでした。しかし、ついに2人の中国人学者の助けを得ることができました。この2人は自分の命を懸けて教えてくれたのでした。捕まえられたら最後、じわりじわりと拷問にかけられ殺されることは明らかでした。2人のうち1人は、捕まえられて拷問にかけられるよりはましであると、そのような恐ろしい死から身を守るためにいつも毒薬の入った小瓶を持っていました。
モリソンが素晴らしい教育を受けていることや、ロンドン宣教会の支援を得ていることが分かっても、東インド会社からは広東行きの許可は得られませんでした。事実、彼はニューヨークまで行って、何度も拒絶されたり、がっかりさせられるような忠告を受けた後、やっとのことで1人の船長を説き伏せ、船倉に匿(かくま)ってもらい、広東の海岸に降ろしてもらうことにしたのです。
そして、ニューヨークを出航し、113日後に広東に到着したのでした。1807年のことでしたが、広東が中国でたった1カ所開かれている港でした。といっても毎年6カ月間しか開港しておらず、残りの6カ月はポルトガル植民地であったマカオに行かなければなりませんでした。
広東に戻るために、モリソンは東インド会社の通訳官の仕事を受け入れ、昼間は貿易業務を取り扱い、東インド会社が関心を持っている英漢辞書と中国語文法の準備をしました。そして夜間、中国人助手と共に聖書翻訳をしたのです。
1809年の9月までに、モリソンは使徒言行録を完成し、手彫りの木版でなんとか出版にこぎつけました。印刷した本には偽の表紙をつけて製本され、無料で本屋に渡されました。本屋はそれを安く販売したのですが、その純益は100パーセントであったわけですので本屋は喜びました。
住まいをマカオに移さなければならない6カ月間、見つからないように版木を保存するため、モリソンは版木を地中に埋めておきましたが、その期間が終わって広東に帰ってみると、版木は白アリに完全に食い尽くされていました。
さまざまの困難に遭ったりして、何度も遅れましたが、新約聖書は1814年にやっと完成しました。ロンドン宣教会から派遣されたウィリアム・ミルンがこの働きを助けてくれたのでした。ミルンは広東ばかりかマカオにさえ住むことが許されませんでした。そこで遠く離れたマラッカでモリソンに貴重な援助を与えたのでした。
中国の東インド会社はモリソンの業績を喜び、彼の文法書と辞書を印刷しようとしましたが、中国人の印刷業者が敵意を抱いた官憲に捕らえられ、版木もろともモリソンの原稿まで幾分か没収されてしまいました。さらに悪いことに、熱心すぎるほどのモリソン支持者が、モリソンの成果を大々的にロンドンで言い広めたため、東インド会社本社は心配して、中国支社に手紙を送り、ただちにモリソンを解雇するよう指示しました。
しかし、広東支社ではこのような貴重な人材を失いたくなかったので、ロンドンとの交信をわざと長引かせ、結局彼はその後も滞在することになったのでした。1819年までに全聖書が完成しましたが、これも10書をミルンが翻訳してくれたおかげでした。1823年までには、東インド会社からモリソンの画期的な『華英・英華辞典』が出版されました。
モリソンは1834年に亡くなりましたが、生きている間には宣教活動が固く閉ざされた広東の城壁を越えるのを見ることはありませんでした。しかし、彼の翻訳が道を開き、地を備えたおかげで、何千人もの献身的な男女宣教師が彼に続き、中国の何千万という人たちに御言葉のメッセージを伝えるためにその生涯をささげたのです。モリソンが亡くなって100年もたたないうちに、聖書は毎年数百万冊の割合で配布されるようになりました。
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【書籍紹介】
ユージン・ナイダ著『神声人語―御言葉は異文化を超えて』
訳者:繁尾久・郡司利男 改訂増補者:浜島敏
世界の人里離れた地域で聖書翻訳を行っている宣教師たちと一緒に仕事をすることになって、何百という言語に聖書を翻訳するという素晴らしい側面を学ぶまたとない機会に恵まれました。世界の70カ国を越える国々を訪れ、150語以上の言語についてのさまざまな問題点を教えられました。その間、私たち夫婦はこれらの感動的な仕事の技術的な面や、人の興味をそそるような事柄について、詳細なメモを取りました。
宣教師たちは、未知の言語の文字を作り、文法書や辞書を書き、それらの言語という道具を使って神の言葉のメッセージを伝えるのです。私たちは、この本を準備するに当たって、これらの宣教師の戦略の扉を開くことで、私たちが受けたわくわくするような霊的な恵みを他の人たちにもお分かちしたいという願いを持ちました。本書に上げられているたくさんの資料を提供してくださった多くの宣教師の皆さんに心から感謝いたします。これらの方々は、一緒に仕事をしておられる同労者を除いてはほとんど知られることはないでしょう。また、それらの言語で神の言葉を備え、有効な伝道活動の基礎を作ったことにより、その土地に住む人々に素晴らしい宝を与えられたことになります。その人たちは、彼らの尊い仕事を決して忘れることはないでしょう。
本書は説教やレッスンのための教材として役立つ資料を豊富に備えていますが、その目的で牧師や日曜学校教師だけのために書かれたものではありません。クリスチャン生活のこれまで知らなかった領域を知りたいと思っておられる一般クリスチャンへの入門書ともなっています。読者の便宜に資するために3種類の索引をつけました。①聖句索引、本書に引用されている聖書箇所を聖書の順に並べました、②言語索引、これらのほとんど知られていない言語の地理上の説明も加えました、③総索引、題目と聖書の表現のリストを上げました。
ユージン・ナイダ
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