1809年までに、ウィリアム・ケアリーと2人の同僚ウィリアム・ウォードとジョシュア・マーシュマンの評判は英国にまで達していましたが、オックスフォードやケンブリッジの学者たちは、インドの諸言語に聖書を翻訳したこれらの開拓者たちを指して「生まれも育ちも良くない職工」だと皮肉たっぷりに呼んだのでした。
確かに、ケアリーは熱心なバプテストの説教者ではありましたが、貧しい教会員からは自分を支えるのに十分なものを受けられませんでしたので、靴屋として自分の生計を立てなければなりませんでした。きちんとした教育は受けていないとはいえ、ラテン語、ギリシャ語、そしてヘブライ語を学んでいました。ウォードはハル出身の印刷屋にすぎませんでしたが、素晴らしいまとめ役としての才がありました。マーシュマンはブリストルの慈善学校の校長でした。
ところがこの3人は、イングランドの桂冠詩人ロバート・サウジーが1809年に断言しているように、「異邦人の間に聖書の知識を広めるために、彼らはこの14年間、これまで全世界が成し遂げた以上のこと、いや試みさえしなかったことをした」のです。
ウィリアム・ケアリーがインドに着いたのは、1793年のことでしたが、資金はなく、村人たちには疑いの目で見られました。東インド会社からは宣教活動に反対されたため、インド滞在を合法化するためには、東インド会社の仕事をしなければなりませんでした。仕事の合間を縫って、ケアリーは根気強く新約聖書のベンガル語訳を進め、1799年に完成しましたが、東インド会社は彼にその印刷をさせてくれませんでした。
もう助けは得られそうもないと思っていた折りも折り、1800年にウィリアム・ウォードとジョシュア・マーシュマンがカルカッタに到着しました。そして、この3人が家族共々当時デンマークの支配下にあったセランポールで宣教を始めたのです。マーシュマン夫妻はヨーロッパ人の子どもたちのための学校を始め、宣教の費用に充てました。ウォードは印刷機を設置し、インド人の鍛冶屋に金属から活字を作ることを教えました。
一方、ケアリーは自分の翻訳を改訂し、1801年に出版しました。ケアリーの素晴らしい語学の才能は、やがて政府からも認められるようになり、カルカッタ国立大学のベンガル語教授のポストを与えられ、以後30年間その地位にとどまりました。
ケアリーは間もなく、インドの多くの言語には密接な関係があることを知りました。サンスクリット語を勉強することによって、サンスクリット語から派生したグジャラーティー語、マラーティー語、ヒンディー語のような言葉に聖書を翻訳することができるようになりました。ケアリーは英国に宣教の援助を要請しました。これらの勇敢な宣教開拓者の要請に応えた者の中には、英国内外聖書協会(1)がありました。これは1804年3月7日、ロンドンのホテルで設立されたものです。彼らの海外に向けての最初の援助は、困難と闘っているセランポールの翻訳3人組に送られたのでした。
ケアリーとその協力者たちは次々と驚くほど仕事を進め、1813年の3月には、出版済み、原稿になっているもの、進行中の翻訳を合わせると、インドの重要な10言語に及ぶと報告することができました。ところが3月11日の夜、悲劇が起きました。印刷所で火事が発生し、500キロにおよぶ活字、何百キロもの紙、聖書と文法書と辞書の原稿がすべて焼失してしまいました。
気の弱い人たちばかりであったら、セランポールの宣教はこれでお終いになっていたことでしょう。しかし、ケアリー、ウォード、マーシュマンの3人は違っていました。「がっかりはしても絶望はしない。1度通った道を2回目に通るときは、普通1回目よりもずっと簡単であるし、確信も持てるものだ。失った翻訳をさらに良いものにしよう」
このような大事業と彼らの信仰にキリスト教世界が応え、援助を申し出、50日もたたないうちに、英国の人々は1万ポンドの献金を集めたのです。次の年の末までには、印刷所は再建され、稼働し始めましたが、以前の2倍の量を出版することが可能になったのです。
1834年、ケアリーが亡くなるまでに、このセランポール3人組は44言語の聖書出版を行いました。そのうちケアリーが翻訳したのは完訳、部分訳、個人訳、共訳を含め26言語に上ります。彼は自分の生涯のモットーであった「神のために大風呂敷を広げよ。そして、神から大きな成果を期待せよ」が応えられ、現実になるのを、生きている間に見ることができたのです。
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【書籍紹介】
ユージン・ナイダ著『神声人語―御言葉は異文化を超えて』
訳者:繁尾久・郡司利男 改訂増補者:浜島敏
世界の人里離れた地域で聖書翻訳を行っている宣教師たちと一緒に仕事をすることになって、何百という言語に聖書を翻訳するという素晴らしい側面を学ぶまたとない機会に恵まれました。世界の70カ国を越える国々を訪れ、150語以上の言語についてのさまざまな問題点を教えられました。その間、私たち夫婦はこれらの感動的な仕事の技術的な面や、人の興味をそそるような事柄について、詳細なメモを取りました。
宣教師たちは、未知の言語の文字を作り、文法書や辞書を書き、それらの言語という道具を使って神の言葉のメッセージを伝えるのです。私たちは、この本を準備するに当たって、これらの宣教師の戦略の扉を開くことで、私たちが受けたわくわくするような霊的な恵みを他の人たちにもお分かちしたいという願いを持ちました。本書に上げられているたくさんの資料を提供してくださった多くの宣教師の皆さんに心から感謝いたします。これらの方々は、一緒に仕事をしておられる同労者を除いてはほとんど知られることはないでしょう。また、それらの言語で神の言葉を備え、有効な伝道活動の基礎を作ったことにより、その土地に住む人々に素晴らしい宝を与えられたことになります。その人たちは、彼らの尊い仕事を決して忘れることはないでしょう。
本書は説教やレッスンのための教材として役立つ資料を豊富に備えていますが、その目的で牧師や日曜学校教師だけのために書かれたものではありません。クリスチャン生活のこれまで知らなかった領域を知りたいと思っておられる一般クリスチャンへの入門書ともなっています。読者の便宜に資するために3種類の索引をつけました。①聖句索引、本書に引用されている聖書箇所を聖書の順に並べました、②言語索引、これらのほとんど知られていない言語の地理上の説明も加えました、③総索引、題目と聖書の表現のリストを上げました。
ユージン・ナイダ
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