日本基督教団統一原理問題全国連絡会は2月23日、日本キリスト教会館(東京都新宿区)で、同教団の総会議長名義で1月に発表された本紙などに関する声明についての説明会を開催した。クリスチャン新聞は3月11日号で、説明会の内容を詳報。事実誤認もあるが、本紙社長や副編集長の発言もある程度取り上げるなど、比較的中立な立場で伝えた。同紙の編集陣が正常化しつつある兆しともいえる。
今回、議長声明が出された契機について、連絡会側は説明会ではっきりと、同紙編集顧問の根田祥一氏による講演会(2016年9月)がきっかけだったと明らかにした。根田氏は、本紙に「疑惑」を持っているのであれば、日本基督教団のような大きな教団を利用して声明を出させるなど、教界の権力を利用するような方法を取るべきではない。ジャーナリストを自認するのであれば、紙面を通して訴えるべきだ。同紙は紙面で、本紙に説明責任を果たすよう伝えたので、本紙は以下の通り説明する。
裁判の結果について
クリスチャン新聞は説明会に関連して、13年に本紙が勝訴した民事訴訟について「引き分け」と伝えた同紙記事についても触れた。東京地裁は被告に対し、名誉毀損表現の削除と95万円の賠償金などの支払いを命じた。被告側は控訴を断念し、本紙の勝訴が確定したが、それを「引き分け」と解釈するのは無理がある。「引き分け」ならば、なぜ賠償金の支払いが命じられたのか。自身の主張に有利なものだけを針小棒大に伝える根田氏の報道は、キリスト教界を混乱させるもので、新しい疑惑をまた作り出そうとする意図しか感じられない。
説明会で提示された判決(東京地裁の判断)の要旨は以下の通りだ。
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① 張在亨氏が再臨主であるかについては、K氏所有の「東京ソフィア教会における講義ノート」の内容から、その可能性があるものの、実際に張在亨氏が再臨主であると明確に記された部分はなく、張在亨氏が再臨主であることが教え込まれていたという客観的な証拠もない。
② ACM脱会者からのメールによる証言は、張在亨氏が再臨主であったことを示す記載があるものの、脱会者を名乗る人物が特定できないことから、客観的な証拠とはなりえない。
③ 韓国基督教総連合会の異端対策委員会は、張在亨氏疑惑について「嫌疑なし」と結論し、それを世界福音同盟も追認していることから、張在亨氏が再臨主であるとの異端的教義が信奉され、教え込まれていることを認めるには不十分である。
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このように明確な判決が出されているのに、なぜこれを蒸し返し、「再臨(来臨)のキリスト」などという疑惑提起を繰り返し、説明責任を果たせと求めるのか。裁判では幾つか「証拠」とされるものが提出されたが、いずれも「客観的な証拠」とは認められず、張氏を「再臨(来臨)のキリスト」などと信じる「キリスト教として同一の線に立つことはできない」信仰が教え込まれていたことは否定された。白は白であり、黒は黒だ。
それにもかかわらず、いまだにそれを言いふらすのは、司法判断を軽視、あるいは無視する行為だ。「説明する必要がない」と本紙が今まで取っていたスタンスは、「判決文を見よ」という意味である。この問題に関する説明は、今回が最後のものであり、再び繰り返しとなる疑惑提起をしないよう願う。
クリスチャン新聞にはその他、本紙がキリスト教メディアの世界的ネットワークの一部であることを問題視するような記述もあるが、それの一体何が悪いのか。国境で隔てられることなく、主にあって1つの働きのために協力する。それは、多くのキリスト教団体がしていることだ。
「張在亨牧師グループ」という表現について
議長声明は、本紙などを「張在亨牧師グループ」とし、すべて一体であるかのように表現している。しかし、互いは同じキリスト教信仰という点では共通しているものの、それぞれは法人、また組織としてはまったく独立している。それを知りつつも「グループ」などと主張するのは、そのように言わなければ本紙を誹謗する理由を探せないため、貧弱な根拠を作ってそれにすがらざるを得ないからに他ならない。「張牧師グループ」などというものは存在しない架空のものだ。
クリスチャン新聞を発行するいのちのことば社も、スウェーデンの宣教の働きに端を発したものではないか。スウェーデンならよくて韓国はだめだとでもいうのだろうか。日本基督教団のある牧師は、今回の問題の根底に、韓国人宣教師が開拓した教会を色眼鏡で見る人種差別的な意識があるのではないかと指摘さえしている。
東京ソフィア教会は、張氏が当時代表を務めていた韓国の教団に所属する宣教師によって開拓された教会だが、それを「張牧師グループ」の教会とする認識自体が非常におかしい。「パウロが伝道したら、パウロの教会になるのだろうか。キリストの血によって贖(あがな)われた教会が、なぜ『張牧師グループ』の教会になるのか。そうした発想自体が非聖書的だ」と、ある牧師は指摘している。
東京ソフィア教会とK氏のノートについて
東京ソフィア教会に問題があるから、同教会に通った人間が関与した新聞も問題だという理論は、すでに崩壊している。同教会で「キリスト教として同一の線に立つことはできない」信仰が教えられていたという「疑惑」については、ある「講義ノート」の記述が発端となった。しかし、ノートの持ち主であるK氏は、異端対策講義を記したものだったと述べ、明確にそれを否定している。裁判でも、ノートが「張氏が再臨主であることが教え込まれていたという客観的な証拠」にはならないと否定されており、疑惑はこの時点ですでに解消されている。また、当時同教会に通い、同じ講義を受けたという2人の存在も最近になって明らかになった。この2人も当時の講義内容を記録したノートを所有しており、訴訟時に証言者として出ていれば、さらに厳しい判決となったに違いない。
東京ソフィア教会はかつて早稲田大学の近くにあったが、一連の嫌がらせのため閉鎖せざるを得ず、元信徒たちは早稲田奉仕園の一室を借りて主日礼拝を守るなど、あちこちに散らされた。しかし、疑惑が解消されたということで今年に入って再結成の動きも見られる。東京ソフィア教会に関する事柄で不明なことがあれば、今後は再結成された同教会に直接問い合わせるべきだ。同教会に関する問題をまるで本紙の問題であるかのように歪曲し、間違った印象を与えようとしてはならない。
証言者Aさんについて
裁判の結果、「再臨(来臨)のキリスト」疑惑は否定されたが、連絡会は今回、約15年前に教会に通っていたというAさんを連れ出してきた。説明会では、Aさんと、連絡会に関係する牧師とみられる男性数人が登場するビデオが上映された。上映されたのは30分ほどに編集されたものだったが、Aさんが進んで証言したというよりは、インタビューを企画した人たちが意図を持って十数年前の信仰について話を聞く場面が展開した。
その証言によると、「張在亨牧師は来臨のキリストであるとの信仰に誘導する聖書講義」があったというが、これは主観的なものにすぎない。それが教会単位の信仰告白であったのか、あるいは個人がそのような雰囲気を経験しただけなのかが不明であり、個人の非常に主観的な証言だと見られる。
また、Aさんは本紙社長もそのような信仰を持っているだろうと話したが、他人の信仰を推論して述べるのは、客観性が欠如したものだ。こうした問題提起に関し、本紙社長はそれを明確に否定した。本紙社長は説明会で明確に正当なキリスト教信仰を告白しており、現在所属する教会の牧師や信徒らがその証人だと語った。また本紙においても、2008年にこの問題に関する信仰告白を掲載した通りだ。
まず、Aさんが当時通っていたという教会の信徒が何人であったかを明らかにしてほしい。本紙が確認したところ、2、3人の開拓教会だったようだ。これが事実であれば、集団生活や組織的な無償労働などはあり得ない話になる。Aさんにインタビューした人たちは、当時信徒が何人いたのか、正確な事実確認から始めるべきだ。しかも、Aさんの夫はそのような信仰を持っていなかったと、Aさん自身が手記で明らかにしている。これはどう説明するのか。
さらに説明会には、Aさんと同じ教会に通い、同じ聖書講義を受けていたという女性のBさんも参加した。Bさんは、Aさんが苦労していたことは知っていたとしつつも、Aさんが非正統的な信仰を持っていたことはこの日初めて知ったと言い、自身はそのような信仰は持っていないと否定した。
当時2、3人の教会で、そのうち1人が否定したとすれば、Aさんの証言に大きな疑問符が付く。たとえ、Aさん個人が誤った認識を主観的に持っていたとしても、関係する教会全体がそのような信仰を持っていたとする証拠にはならない。それだけでなく、直接関係のない本紙に対してまで「キリスト教として同一の線に立つことはできない」とするのは、まったく論理の飛躍だ。
Aさんのケースと同じように、意図的な質問をもって歪曲された回答を得ようとした騒動は米国や韓国、香港でもあった。これらはすべて、本紙が記事の翻訳などで提携している海外紙と競合関係にある現地紙が主導した疑惑提起であった。
米国での証言は競合紙がすべて匿名で伝えたため、説得力に乏しいものだった。問題とされたのは、パラチャーチやフェローシップのような小グループで聖書研究をする中であった討論の話であり、その中で幾人かの間違った信仰を持った漠然とした匿名の証言者がいたにすぎない。現地の競合紙はこれを、証言者が通っていた教団や教会の共通の信仰告白であるかのように扇動したが、匿名の証言者が顔を出さなかったことで論議が終結した。
韓国と香港ではいずれも現地の調査委員会による厳密な調査の結果、証言者の話が虚偽であったことが分かっている。韓国では、ある男性が実名で証言したが、韓国基督教総連合会(CCK)による長期間にわたる調査によって、張氏の疑惑については「嫌疑なし」という結論が出ており、一連の調査結果は前述の裁判でも採用されている。また香港では、ある女性が記者会見に登場したが、会見後に女性の夫がこれを覆す証言をし、女性の証言を否定。女性の話が虚偽であったことが明らかになっている。
Aさんがいたとされる教会は、正式な教会の形態もできていない幾つかのパラチャーチのようなものだった。その2、3人のうちの1人であるAさんの話だけを基に、特定の教団全体や本紙を「グループ」と表現してひとくくりにし、全員が間違えた信仰を持っているかのように作り上げる行為は根本的に否定されなければならない。
しかも、張氏本人が一貫して「私は再臨主ではない」と繰り返し、長期間にわたって否認している。それにもかかわらず、Aさんの主観的な信仰だけをもって強弁するのは、論理的ではなく、異端捏造の陰謀としか言いようがない。
元従業員について
本紙前編集長は契約満了であり、解雇を言い渡したり、解雇したりした事実はない。声明に署名した他の従業員らは、本紙社長と副編集長(当時・編集補佐)の処遇をめぐる要求が通らないと分かると、2月中旬に自ら複数の条件要求と共に退職願いを提出した。同26日に開かれた取締役会で、受け入れ可能な条件要求と退職願いの受理が確認され、27日付で契約解除を通知している。
クリスチャン新聞は「28日付」「全員が契約社員」と伝えているが、いずれも間違い。契約社員は6人のうち2人のみで、他は業務委託(フリーランス)などだ。
また、同紙は従業員声明の内容として、本紙社長(同紙では「編集長」と誤記)と副編集長が「創設当初からいる」と伝えているが、本紙の創設が2002年であるのに対し、社長は05年、副編集長は07年からの勤務で、いずれも事実と異なる。
会見については、本紙の主張のみを伝える会見は根本的な解決にはならないとして、代表権のある本紙会長と社長が早急な開催に同意しなかっただけだ。
齋藤篤牧師による虚偽発言について
連絡会の世話人の1人で、根田氏と説明会の事前打ち合わせを綿密に行っていたとされる齋藤篤氏(日本基督教団深沢教会牧師)に対しては、本紙元従業員らが出した声明に関与した疑いがある。
説明会で本紙社長が問いただすと、齋藤氏は「関与していない。(事前に)内容の確認もしていない」と返答した。しかし本紙には、齋藤氏の回答と明らかに矛盾する複数の証拠がある。それらは、声明公開前に齋藤氏が関与したことを示す非常に具体的な証拠だ。それ故、齋藤氏は、多数の教界関係者が参加した場で、公然と虚偽の発言をしたことになる。
世話人の1人である豊田通信氏(同教団仙台五橋教会牧師)は、齋藤氏の疑惑を伝えた本紙記事について訂正するのかを尋ねたが、本紙の「疑惑」を追求する前に、まずは調査委員会を組織して身内の疑惑を丁寧に調べてもらいたい。
根田、齋藤の両氏による共謀について
本紙が得た情報によると、根田、齋藤の両氏はこれまでも、説明会の直前だけでなく、議長声明や従業員声明が出された前後にも打ち合わせをしていた。つまりこれは、公益を図るべき連絡会が、本紙競合紙の編集顧問と共謀し、本紙を不当に攻撃している疑いがあるということだ。日本基督教団は、これがどれほど深刻な問題であるのかを認識すべきだ。
議長声明は、本紙に対し正式な問い合わせや確認など一切なく出された。疑惑があるのであれば、両者から公平に話を聞き、中立な立場で追求すべきだ。連絡会は、声明を出す前に両者の話を聞いたのか。一方の話だけを聞けば、白が黒にさえなり得る。これはあたかも調査する検察官が、自ら裁判官の座にも着き、弁護側の主張を聞かずに判決を下すのと同じことだ。これは魔女裁判の典型的な手法であり、日本基督教団は知ってか知らずか、まさに同じことをしているといえる。
今後の対応について
宗教改革500年を記念した直後に、本件のような事態に直面していることを積極的に捉え、希望を持ってキリスト教メディアとしての責任を果たしたく願っている。
その上で、本紙に対する営業妨害を含む言論破壊工作に対しては、法的追及を行う予定だ。首謀者が誰で、誰が利用され、具体的にどのような工作があったのか、また教界権力を利用した魔女狩り、齋藤氏の虚偽発言についても、本紙は確実な証拠を基に追及していく。
■ 日本基督教団統一原理問題全国連絡会などに宛てられた再検証連絡会による公開質問状
■ 当社に対する「謝罪と告白」受領のお知らせ
■ クリスチャントゥデイをめぐる日本基督教団総会議長声明などについて