神奈川県座間市のアパートで10月末、若い男女9人の遺体が発見された。白石隆浩容疑者(27)がインターネットを通して自殺願望を訴える若者とつながりを持ち、「一緒に死のう」などと誘い出して次々と殺害したという。このようにネットに救いを求めて事件に巻き込まれるケースは、今後も増えていくのだろうか。
若者のインターネット事情に詳しいインターネット博物館代表の宮崎豊久さんに話を聞いた。
母親から厳しいしつけと教育を受けて幼少期を過ごした宮崎さん。親への恐怖心や生きづらさ、自分の居場所を見付けられない不安感から、やがてストレスがたまり、仕事ができない状態になった。しかし、そんな時でも友人が寄り添ってくれたおかげで、少しずつ症状が治まっていったという。
療養中に立ち上げたホームページには、多くの高校生や若者が閲覧するバーチャル上の「居場所」となり、やりとりをするうちに潜在的に悩みを抱える若者の存在に気付くことになった。
2000年頃には日本にもフィルタリング(有害サイトアクセス制限)が導入されたが、宮崎さんはその頃から、米国シリコンバレーのフィルタリング企業のプロダクトマネージャー、ヤフーのフィルタリングデータ部門責任者などを歴任して、その技術を日本に導入する働きをするようになった。それとともに、インターネットの出現によって表面化しだした、悩みを抱える若者の実態を、講演活動などを通じて発信し始めた。
「何か問題が起きると、今の社会は表面的なところで対策を打とうとします。例えば、『今の若者は安易にSNSを使ってしまうので、一定の制限や知識の向上が必要だ』というように。しかし、もっと水面下で、その行動に至った経緯を考えていかないと、根本的な解決にはならないのではないでしょうか。座間事件の加害者や被害者についても、何が彼らをそうさせたのかということです。以前は、周りの友達に漏らしていた悩みや、悩み抜いた末に『死にたい』と思ったその感情を、今はネットで吐き出している若者がいる。では、なぜ彼らはそこまで追い詰められているのかということです」
インターネットによるトラブルや青少年育成についての講演を全国各地で行う中で宮崎さんは、ホームページを介して多くの若者から相談のメールを受けるようになった。そこにはたいていの場合、「親には言えない」「親には迷惑をかけたくない」と書いてあるという。つまり、彼らにとって家庭はもはや居場所ではないのだ。そんな彼らがインターネット上に居場所を求め、悩みを聞いて相談に乗ってくれる誰かにすがるという流れは、現代社会ではもう誰も止めることができないという。
では、トラブルに巻き込まれる境界線はどこにあるのだろうか。宮崎さんは共著書『中高生からのライフ&セックス サバイバルガイド』(日本評論社)の中で次のように語っている。
トラブルを起こさない人と起こす人の違いは、根底に「コミュニケーション力が足りない」「人間関係の作り方がわからない」「自己肯定感が持てない」といったリスクが存在するのです。
そういう人は、自分の悩みを周りに相談できずにいたり、自分を客観的に見ることができずに自己肯定感が持てなかったり、実体験が少ないせいで想像力が乏しくなっていたりという傾向があります。そのせいで、承認欲求、所属欲求、安心欲求といった思春期の重要な欲求が満たされなくなり、やがてストレスをためていく。ストレスが限界に達すると、目の前にある安易な方法に走ってしまい、それが問題を引き起こすのです。
バーチャル以外の場で「居場所がない」と感じてしまう多くの若者は、自己肯定感に問題がある。そんな彼らにとって、顔の見えないネット世界は居心地がよく、承認欲求や所属欲求を満たしてくれる最高の場といえる。しかし結局、SNSだけのつながりでは欲求は満たされず、リアルなつながりを求めることになる。だからこそ、そうした弱みにつけ込まれてしまう危険性も高くなるのだ。
実社会で若者の居場所を作ることがネットトラブルの被害者を減少させる一助になるとすれば、教会がその場になれないだろうか。「駆け込み寺」ならぬ「駆け込み教会」だ。
1988年生まれの日本ナザレン教団小岩教会の稲葉基嗣(いなば・もとつぐ)牧師(29)に話を聞いた。
稲葉牧師は、幼稚園の頃から家庭にすでにパソコンがあり、それでゲームをするのが日常だったという。高校時代にはクラスメートの多くが携帯を持ち、ネットの定額制も始まった。現在はSNSを使いこなし、ネットもよく利用する稲葉牧師は、こうした現状をどう考えるのだろうか。
「今は、リアルな友達と、顔は見たことがないけれどSNSでつながっている友達との間で、あまり線引きがない子どももいると思います。そうした中で、子どもたちの居場所として教会はあるはずなのですが、残念なことに、彼らのアンテナに教会は引っかかってこない。例えば、『悩み相談』と自分の地域とを入れて検索しても、キリスト教会はまず出てこないでしょう。最近の子どもたちの連絡手段は、電話やメールではなく、LINEなどのSNSがほとんど。そうした意味で、教会が彼らの受け皿になるには、まだ少し時間が掛かる気がします。僕自身の課題でもあるのですが、ウェブでの対応に関してはもっと想像力が必要だなと感じています。若者や悩んでる人がどんな言葉で助けを求めて検索をかけているかを想像する力です。彼らの言葉を知っているか、また想像できるかによって、教会の情報発信の方法や、そこで紡(つむ)ぐ言葉は変わってくるでしょうから」
インターネットをほとんど使わずに生きてきた世代。会社や学校で使い始めた世代。生まれた時から身近にあり、自然に使いこなしている世代。そんな老若男女が共存している教会が、時代に合わせて大きく舵(かじ)を切るのは容易なことではない。しかし、座間事件のようなことを繰り返さないためにも、教会が社会に対してできる働きは多いのではないだろうか。