集まった100人余りの若者たちが、飛び跳ね、拳を突き上げ、そして涙して歌う――。その賛美はいつ終わるか分からない。次々と奏でられる賛美は、アップテンポであったりバラードであったり、まさに「主の霊のおられるところに自由があります」(Ⅱコリント3:17)という聖書の言葉通りの光景であった。
エレベートチャーチ(佐々木拓也牧師)主催の「In Him Camp 2017」が、奈良県生駒市の関西聖書学院で15日から18日にかけて3泊4日で行われた。参加しているのは、単立系の諸教会を中心とした100人あまりの中高大学生たちである。
学院内の施設をフルに用いての「室内キャンプ」であるため、キャンパーは3日間ほとんど外に出ない。バーベキューや体育館でのスポーツ大会、プールなどの時間もない。しかし、内容はてんこ盛り。しかも、プログラムのタイトルは知らされていても、中身は事前に一切知らされない。
例えば今年の場合は、「ひとりでできるもん」「ただ今充電中」「乗るしかないでしょこのビッグウェーブ」などである。これだけの情報でどんな内容か分かる人がいるとしたら、それは神様以外にはないだろう(笑)。
この「In Him Camp」という名前の由来は、使徒言行録17章28節「我らは神の中に(In Him)生き、動き、存在する」にある。この「神の中で生かされる」というコンセプトが、あらゆるプログラムに浸透している。
このキャンプは、2011年に始まっている。当初から佐々木牧師が抱いていたコンセプトは、ユース世代(中高生から大学生、20代前半の社会人)が教会に仕えることだという。
「キャンプはあくまで起爆剤であり、その火は何もしないなら継続しない。でも日々献身することを学ぶことによって、信仰の炎を燃え続けさせることができます。燃やされた情熱を大切に守り、自分たちの教会に仕え、牧師先生に仕えることが重要であると考えています」
少人数で、自前のキャンプができない諸教会が結集することでダイナミズムをなすとき、それぞれの教会のユースが信仰的に強められていく。筆者の教会もまさにこの端緒にある。だから大いに恵まれた。
昨年からキャンプに参加させてもらっているが、以下の2点で大いに驚かされた。
1つ目は、出身教会の枠を完全に壊し、年齢ごとの小グループを形成していること。従来のキャンプは、その出身教会ごとに集まり、一緒に座ったり分かち合ったりすることが基本であった。しかしこのキャンプでは、どこから来ているかということはまったく関係がない。各グループには年齢的に少し上のリーダーが2人ずつ付き、そのチームを導いていく。
すると面白い現象が起こってくる。それは引率の牧師、伝道師たちが手持ち無沙汰になるということである。佐々木牧師は「この4日間は丸投げしてください」と言う。そして「先生方は牧師先生たちとの交わりを楽しんでくださったらと思います」とも。
2つ目は、徹底した規律性である。参加してすぐ分かるのは、皆が礼儀正しく、そしてかなりの「体育会系」のノリだということ。これは昨今の体罰やパワハラまがいの所業が横行しているという意味ではない。皆で協力して1つのことを成し遂げる、という意味での規律があり、それを守る中での「楽しさ」や「面白さ」が、若者たちを信仰的のみならず、人格的にも高めているのである。それはある種、時代の流れに逆行するまでに厳しく、しかし確固たる理念に基づいた指導であるため、単なる「禁止事項」として彼らを抑圧することがない。
例えば、キャンパーに配布されるネームカードの裏には、キャンプ中に守るべき「約束」が書かれている。その中の1つにこんな項目がある。「異性との連絡先交換禁止」。この項目があることを見て、最初筆者は戸惑った。「こんなこと書いて、若い子たちに引かれないか?」と感じたのである。しかし、主催者側ははっきりとこう語る。「私たちはイエス様に出会うためにこのキャンプに来ているのです。異性間の交流はその妨げになるなら、禁止すべきでしょう」と。
だからといって男女がまったく会話しないということではない。普通に話をするし、交わりもする。だが、一緒に食事のテーブルにつくことはない。なぜなら、各小グループで食事を共にし、説教に対する分かち合いをするからである。
一見、旧態然としたやり方である。しかし、若者たちに迎合するキャンプではなく、彼らを目指すべきところへ導いていくキャンプであるなら、それは当然のことかもしれない。一方、小グループを中心としたゲーム大会や各プログラムは、若者たちに大ウケ(パ●スト、食用カ●ムシを使ったあのゲームは、大人中心の教会ではかなり物議を醸すことだろう・・・)で、決して古色蒼然(そうぜん)としたものではない。ちゃんと現代性を踏まえた内容になっているため、彼らは喜々としてゲームに興じ、真剣に勝敗を気にしながらエキサイトしている。
今回のテーマは「覚醒」。コロサイ4章2節の「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい」がテーマの御言葉となっている。講師は沖縄プレイズチャーチの池原仰一牧師。滑らかな語りで聖書の解き明かしをされる先生である。最後の集会では、献身(将来牧師となること)のみならず、海外への宣教師となる者はいないかと熱く語り掛け、それに多くの若者たちが涙を流して応答していた。
このキャンプの講師は常に若者たちのカルチャー、用語をうまく使いながら、聖書のメッセージをストレートに語り掛ける。かつて、筆者が中高生時代に体験した「学生キャンプ(当時はそういう名称だった)」と同じニオイを感じられたことを正直に告白しておきたい、私も大いに賛美し、涙し、自ら牧師として生かされていることの恵みをあらためて自覚させられた。
最終日のプログラムは、4日間で個々人が得たものをキャンパー全員が証しするという内容。ここがキャンプのクライマックスである。参加者すべてがキャンプを通して得たものを自分の言葉で語ることは、多くの感動を呼ぶ。特に語った本人は忘れられない体験となるだろう。聴いていて、こちらも勇気と希望を頂けた。
エレベートチャーチでは、このキャンプのために半年前から準備をするという。ゲームやプログラムのすべてを実際に教会のメンバーと共にやってみて、面白いもの、楽しいものを厳選するという。そうやって築き上げられるキャンプだったのである。そのダイジェストビデオをキャンプの最後に流してくれるが、それは面白くも感動的な内容であった。
またキャンプ1週間前からインターンシップ制度を採用し、この「In Him Camp」を通して教会でどうやってユース世代を建て上げていくかの実地訓練を受けられるようになっている。ここに多くの教会から大学生、社会人が参加している。彼らがキャンプの少グループでリーダーとなり、キャンプを支えることになる。
最後付け加えておかなければならないのは、キャンプ4日間の食事のお世話をしてくれた奉仕者の皆さんのことである。ほぼすべての時間を食事作りに専念した方々は、皆社会人の方々である。年休を取ったり、自分の仕事の都合をつけて、若者たちのために時間を使っておられた。その姿に教会奉仕の原点を見るような気がした。
「In Him Camp」は来年も行われる模様。クリスチャンの若者が減少し、教会の中から覇気が無くなりつつあると聞いて久しい。しかし、ここにはそんな悲壮感はみじんもない。このキャンプを体験するなら、日本のクリスチャンの将来は明るい、そんなことをはばからずに語ることができるようになる! ぜひ皆さんも来年、この感動を体験してみてはいかがだろうか。
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