ジェームズ・フーストン氏(95)による特別セミナーが9月26、27の両日、上野の森キリスト教会(東京都台東区)で開催された。27日の講演会では、「疲れ傷つき、休職や辞職している多くの若手教職者、牧師たちの復活へ―召しや賜物のリバイブ」というテーマで語った。通訳は、翻訳家の深谷有基氏が務めた。
活動主義的だった福音派の中で近年、反省が出始め、静まってキリスト教的な霊性(スピリチュアリティー)を取り戻そうという動きが広まっている。ヘンリ・ナウエン『イエスの御名で』(後藤敏夫訳、あめんどう)などとともに、フーストン氏の著作『神との友情』(坂野慧吉監修、いのちのことば社)なども多くの支持を得てきた。
フーストン氏は1922年、スコットランドに宣教師の子として生まれた。『神について』で知られる福音派の神学者J・I・パッカーや、『キリスト教の精髄』などの著述家C・S・ルイスらと深い交わりを築きながら、オックスフォード大学教授を務め、69年にカナダのバンクーバーに移り住んでからはリージェント・カレッジの創立に関わり、その初代学長に就任した。
冒頭、テモテの手紙Ⅱ第2章1節~7節から、キリストに仕える者は、「競技者」(5節)や「農夫」(6節)、教職者であれ、「キリスト・イエスにおける恵みによって強く」なる(1節)と参加者を励ました。その上で、機能不全に陥りつつある教会の課題について述べた。
まず考えるべきことは「若者不在」の問題。このセミナーも若手をターゲットにしたテーマでありながら、会場に若い人の姿が見えないことから、「私の教会でも若者不在が加速している」と明かした。「それは、私たちの何かが間違えていることを意味しているのではないか」と問い掛け、教会における4つの問題を取り上げた。
第1に、一方通行のトップダウン方式による教育について。
「インターネットによって容易に情報を得られる現在、トップダウン方式の教師からの教えは必要とされていない。フェイスブックやツイッターは双方向的なもの。テクノロジーが必須な現代社会においては、それを自由に使いこなす若者と、まだ伝統的価値にしばられている高齢者の溝は深まっているのではないか」
また、むやみに教義を振りかざすことにも注意を促した。
「自分の教義に高い正当性を持っていれば、強く語らなくても優しく話せば通じる。機能不全の教会にいる知的な若者ほど、教条主義を振りかざす牧師に対して、自分が排除されていると感じて敵意を持つ」
第2の問題は、教会の働きが奉仕中心になり過ぎていること。
「教会に関わっている人たちが、その奉仕の多さにへとへとになっている。また、自信のない牧師たちは、自分を忙しくしていればごまかせると思っている」と厳しく指摘し、日本の儒教的な考えにも言及した。
第3の問題は、教会や神学校が官僚主義になっていること。
「私の所属する130年以上の歴史を持つ教会の現状がまさに『お役所仕事』的。何かを決めようとしても、ミッションステートメントから始めて、なかなか決定プロセスに進むことができない。伝統のある古い教会にその傾向が強い」
第4の問題は、教会の働きのために学ぶことが、いつしか学問自体を目的とするようになり、偶像崇拝的になっていること。
「教会がそれぞれの領分を守り、互いに協力することがめったにない。神学校でも互いをライバル視している。私たちは狭い領域にとどまるのではなく、神の国のために必要なことを見極め、開かれるべきことは開いていかなければいけない。その一方で、自分の領分を見極め、その場にとどまることも神の国では求められている。もっと大きな地平に立って見る必要がある」
そして、C・S・ルイス『ナルニア国物語』(全7巻)の最終巻『さいごの戦い』の中で、響き渡るアスラン(キリストを象徴する、ライオンの姿をしたナルニアの創造主)の声、「さらに奥へ、さらに高く」(Further up, and Further in)を引用した。
「『さらに奥へ』は、『自分自身の動機を掘り下げよ』ということで、自分の関心事ではなく、神の国にとって大事なことは何かを見定めていけ、ということ。『さらに高く』は、神の国とはどのようなものであるか、その視点で地平を見よ、ということだ」
最後にフーストン氏は、「日本だけでなく、世界的にキリスト教教育をアップグレードする必要がある」と述べ、そのために必要な4つの領域を挙げた。それは、科学・歴史、ビジネス倫理、美学、そして、大学で教えられてきたことをキリスト者の視点で「批評」すること。「現代社会は学際的な時代であり、いろいろな学問の分野が共同してやっていく時代にある。現代の若者は、史上まれに見る知識と情報量を持っている。多様なジャンルの教育が必要であり、全学際的な学問が求められている」と締めくくった。