ライデン大学(オランダ)名誉教授の村岡崇光(たかみつ)氏(79)が、聖書学の分野で著しい貢献をした学者に贈られる「バーキット・メダル」を受賞した。村岡氏は20代からジェームズ・ストーカーの『キリスト伝』(いのちのことば社)やマーティン・ロイドジョンズの『教会の権威』(キリスト者学生会)などの訳者として活躍し、師である関根正雄氏が主事をしていた日本聖書学研究所編『聖書外典偽典』(教文館)の訳者の1人としても知られる。世界的に著名なセム語学者で、ヘブライ語学や旧約聖書のギリシャ語訳である「七十人訳聖書」の研究に対する業績が評価された。
バーキット・メダルは、新約聖書や東方教会の研究で大きな貢献をした英ケンブリッジ大学のフランシス・クローファッド・バーキット(1864〜1935)の業績を記念して、1923年に創設された。英国学士院が25年から旧新約の各分野の研究者に対して隔年で授与しており、今年は旧約の年だった。2014年には、日本でもよく知られている英国の聖書学者、N・T・ライト(英国国教会)が受賞している。
授賞式はロンドンにある英国学士院で9月27日に行われ、同院が授与している人文学関係の他のメダル・賞の受賞者約20人も出席した。村岡氏は受賞スピーチで、英マンチェスター大学に赴任したとき、デヴィッド・リーン監督の映画「戦場にかける橋」(1957年)を見たことに言及した。これは、第2次世界大戦中、旧日本軍が英国を含む連合軍兵士の捕虜を使ってタイ・ミャンマー間に敷設した全長415キロにわたる「泰緬(たいめん)鉄道」を取り上げた映画。終戦時7歳だった村岡氏は、こうコメントした。
「祖国の歴史の暗いページに気付いたのはこの時が初めてでした。英国人に計り知れない痛みを与え、多くを過酷な死に追いやった民族の子孫である私がバーキット・メダルを頂けるなどということが可能なのでしょうか。私ごときがこの栄誉にふさわしいとお考えくださったとは、これは驚くべき恵みとしか言えません」
村岡氏によると、バーキット・メダルをアジア出身者が受賞するのは今回が初めて。日本の聖書学界が国際的に評価されている証しでもあり、村岡氏は、「日本だけではなく、韓国やその他のアジア諸国でも聖書の学問的な研究の水準が上がっている」と見ている。
村岡氏は広島市に生まれ、鹿児島県で育った。東京教育大学(現筑波大学)大学院で修士課程修了後、エルサレムのヘブライ大学で博士号を取得。マンチェスター大学(1970〜80)の後、オーストラリアのメルボルン大学(80〜91)、ライデン大学(91〜2003)で教えるなど、海外在住歴が半世紀を超える。
著書や論文の多くは英語で出されているが、邦訳書としては、現在も読み継がれているジェームズ・ストーカーの『キリスト伝』『キリストの最期』『パウロ伝』(いのちのことば社)をはじめ、『聖書外典偽典』(教文館)の一部、「岩波訳聖書」の『旧約聖書(14)ダニエル書 エズラ記 ネヘミア記』(岩波書店)など多数。
ライデン大学退職後は、太平洋戦争の傷跡がいまだに残る諸外国との関係修復のため、毎年約5週間を使い、アジア諸国の大学や神学校でヘブライ語やギリシャ語の講義を無償で行っている。こうした働きが評価され、2014年には日本聖書協会の聖書事業功労賞を受賞。訪問国での活動をつづった『私のヴィア・ドロローサ―「大東亜戦争」の爪痕をアジアに訪ねて』(教文館)も記念出版された。
キリストが十字架を背負ってゴルゴタに向かった道である「ヴィア・ドロローサ」(ラテン語で「悲しみの道」)に自分の歩みを重ねて、村岡氏は次のように受賞のあいさつで語った。
「このメダルを頂戴したことで、私がこれまで歩んできた聖書語学、文献学というヴィア・ドロローサを今後も歩み続ける覚悟がさらに固まりました。でも、1人でではなく、妻子たちの支援を得つつ、上から『村岡、使命完了』という声が掛かるまで歩み続けるつもりです」
オランダ在住の村岡氏は、オランダ日本語聖書教会の代表役員。妻の桂子さんとの間に2男1女がおり、授賞式には桂子さんと娘の3人で出席した。
バーキット・メダルは直径約7センチの青銅製で、「知の根源である神の言葉が私の歩みを導いてくれた」とあり、その反対側には、開かれた聖書の図柄と共に「神の言葉は生きており、現に働いている」という言葉がラテン語で刻まれている。