ルター神学の第一人者ハンス=マルティン・バルト氏による「現代世界における宗教改革の意義」と題した記念講演会が18日、有楽町・朝日ホール(東京都中央区)で開催された。教職者、神学生、信徒など約400人が集まり、宗教改革の今日的な意義について学んだ。
宗教改革から500年目の今年、日本聖書協会では「宗教改革が問いかけるもの」をテーマに、「宗教改革500年記念ウィーク」(12日〜18日/22日)を開催している。同講演会はその一環として行われた。
バルト氏はマールブルク大学プロテスタント神学部組織神学・宗教哲学教授(現在は名誉教授)。1997年~2009年、ドイツ福音主義同盟議長も務めた。何度も来日し、仏教とキリスト教の対話に関する本を日本で出版し、12年には京都大学客員教授に就任するなど、日本文化も熟知している親日家だ。
グローバル化や深刻な政治的・経済的緊張の中にある現代世界において、宗教はその伝統的な支配力を失いつつある。講演会では、そういった現代社会において宗教改革がどのような意義を持つのか、4つの観点から検証した。
〈宗教改革の精神的な主要要素〉
現代のキリスト者に必要なのは、宗教改革においてよく用いられる「キリストのみ」「信仰のみ」「恵みのみ」といった「のみ」定型句ではなく、「包括性」と「連帯」。それはキリスト教信仰の包括的なメッセージであり、ルターの宗教改革における次の5つの主要概念とも深く関連している。すなわち、「神体験の媒介としての聖書」「価値観の逆転としての十字架の神学」「生活の源としての驚くべき恵み」「教会と社会における変化への挑戦としての全信徒祭司性」「教会と社会への挑戦としての、神が世界を統治する二通りの方法」だ。この5つの要素の内実は御言葉をよりどころとしており、十字架の神学の下で形づくられること、全信徒祭司性を共有すること、「キリスト者」と「市民」の緊張関係の中で行動することが重要だ。
〈ルターの宗教改革がもたらした直接的・間接的な影響〉
宗教改革は初めに教会に影響を及ぼしたが、宗教と文化と政治は互いに密接に関連しているため、文化的、社会的、政治的にも影響を及ぼすことになった。宗教改革がなければ、近代西洋世界が違う仕方で発展したことは確実だ。現代の多元主義、自由主義、世俗主義は、ルターと宗教改革抜きには説明できない。
〈現代世界にとってのルター宗教改革の実際の意義〉
現代においてルターの95箇条の提題が意味するのは、解放をもたらす神の義に信頼することだ。私たちは他の人や被造物への憐(あわ)れみと連帯のうちに生きるよう励まされている。キリスト者は、自分が何を信じているかを知らなければならない。そして、他宗教の信者や無神論者、原理主義者と対話をする上で適切な知識を養うことが必要だ。
宗教改革は、キリスト教以外の宗教・世界観にとって予期せぬ間接的な仕方で注目すべき意義を持っている。宗教改革は、「改革は必要であり、また必要とされる」という発想を宗教界にもたらした。「常に改革されるべき教会」という原理は、すべての教会、諸宗教に当てはまる。
〈キリスト者、キリスト教、人類にとってのルターの宗教改革の意義〉
ルターの宗教改革の目的は、喜びをもって自らを受け入れること。全信徒祭司性を担うメンバーとして教会の中央に場を持ち、社会のただ中で責任を担うこと。そして、日々の生活の問題に理性と信仰をもって立ち向かい、社会と文化の問題を解決する道を探求し、誤解を招きかねない信心の形態から解放され、熱心に学び、研究しながら新たな社会的実践を始めることだ。
最も問題なのは、教会や教派の多様性ではなく、キリスト教の中の福音派とリベラル派の大きな違い。福音派やカリスマ派のグループは活発。一方、リベラル派は、世俗的な世界に生きるキリスト教的生活を真に解放するものが福音だと考えている。福音派とリベラル派は、それぞれのたまものと能力を結び合わせながら、世に向けて共通の愛の証しを行うよう努めるべきだ。
ルターは聖書を解釈する際、自らの理性を徹底的に用いることをためらわなかったと同時に、神の御言葉に深く根差した。彼は、敬虔(けいけん)でありながら、聡明(そうめい)さと知恵を備えた神学者の見本だ。ルターの宗教改革は、すべての人に自信を与え、未来を恐れずに能力を発揮するよう招いている。
「もし明日、世界が滅ぶとしても、私はリンゴの木を植える」とルターが言ったように、私たちもリンゴやマンゴーや桜の木を植えようではないか。その木は、神の驚くべき恵みのもとに花開き、多くの実りを結ぶことだろう。