宗教改革500年記念ウィークを開催中の日本聖書協会は15日、町田市立国際版画美術館元副館長の佐川美智子氏を講師に招き、宗教改革時代の美術についての講演を行った。会場となった日本基督教団銀座教会東京福音センター(東京都中央区)には約50人が集まり、宗教改革が文化に及ぼした影響について考えた。
この講演では、15世紀末から16世紀半ばにかけて、宗教改革の大きなうねりの中で活躍した6人の画家の作品を通して、「北方ルネサンス」と呼ばれる当時のドイツ美術のアウトラインが示された。取り上げられたのは、アルブレヒト・デューラー、ベーハム兄弟、ルーカス・クラーナハ、マティアス・グリューネヴァルト、ハンス・ホルバイン(子)、マティアス・ゲールングなど。また改革派(プロテスタント)と教皇派(カトリック)とが互いに応酬した、強烈な版画をあしらった扇動的な文書も紹介された。
グーテンベルクが活版印刷を考案したのは1450年頃。それまで書物は人の手によって書き写されてきたが、活字によってその生産量は飛躍的に増大した。まさに西欧の「メディア革命」と呼べる出来事だった。活版印刷以前の羊皮紙に書かれた手写本は、主に教会や修道院、王侯貴族のものだったが、活版印刷と製紙術の発展は、より広い社会階層の間にも本が広まっていく機会をもたらした。そして、印刷された書物の挿絵や扇動ビラの図像として「版画」の需要は飛躍的に増え、広く普及するようになったのだ。
「15世紀後半の間に印刷技術は飛躍的に発達しました。活字の美しさは完成の域に達しています。版画も1500年頃には、需要の高まりとも相俟(あいま)って、技術的にも美術作品としても優れたものが作られるようになり、最盛期を迎えました」
佐川さんは、当時の画家たちの優れた絵画や版画をモニターで示しながら、制作の背景や作品の内容について詳細に解説した。
ドイツ・ルネサンスの巨匠アルブレヒト・デューラーは、現代までの500年の間、1度もその人気が衰えたことのない重要な画家だ。イタリア・ルネサンスの影響も受け、絵画においても版画においても当時の最高峰を極めたと言っても過言ではない。
絵画では「4人の使徒」(ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク所蔵)に注目した。
「宗教改革との関わりの中で、1526年に描かれたこの作品は重要な意味を持っています。というのも、本作は注文によらず画家自身が自発的に制作し、ニュルンベルク市当局に寄贈したものだからです。本作が描かれる前年の25年、ニュルンベルク市参事会はルター派に転じましたが、民衆の間にはさらなる変革を求める動きもありました。4人の足元に書かれているルター訳新約聖書の引用は、偽預言者や偽善家の出現を警告するものであり、この激動の世にあって正しい道を見極める重要性を示すデューラーからのメッセージが込められていると考えられます」
デューラーの日記や知人に宛てた手紙の中には、早い時期からルターへの強い関心が示され、「ルターの肖像画を描きたい」と望んでいたとも伝えられている。
6番目にマティアス・ゲールングの木版画が紹介された。改革派に転じたプファルツ=ノイブルク公爵オットー・ハインリヒの命により、改革派の説教師セバスティアン・マイアーが書いた『黙示録注解』の挿絵として制作されたものだ。
町田市立国際版画美術館が所蔵する本作の特徴は、黙示録の場面とカトリック陣営に対する強烈な風刺的場面が組み合わされている点だ。佐川さんはこれらの版画を非常に達者な「職人的熟練技」と表現する。
「宗教改革を挟んで、イタリア・ルネサンスの影響を受けながら、北方でも素晴らしい美術が展開していきました。しかし、1550年前後を境にマニエリスム的な傾向(極度に技巧的・作為的であり、時に不自然なまでの誇張や非現実性に至る美術様式)が顕著になります。ゲールングの版画はまた、改革派のプロパガンダとしても強烈です。
しかし、デューラーの『黙示録』に見られるような、力強く先駆的な素晴らしさはこの作品にはありません。ドイツの美術はこの後、職人的熟練の世界に変わっていってしまうのです」
宗教改革500年を記念し、「聖書の宝を新たに見いだす」として、聖書に関する記念展示会も会場で同時開催された。ギリシャ語の写本や英訳聖書系図、最初の日本語訳聖書、来年完成予定の新翻訳聖書の一部も展示された。