「群衆の中から、ひとりの人が叫んで言った。『先生。お願いです。息子を見てやってください。ひとり息子です。ご覧ください。霊がこの子に取りつきますと、突然叫び出すのです。・・・なかなか離れようとしません。お弟子たちに、この霊を追い出してくださるようお願いしたのですが、お弟子たちにはできませんでした。』イエスは答えて言われた。『ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまで、あなたがたといっしょにいて、あなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。あなたの子をここに連れて来なさい』」(ルカの福音書9:38~41)
悪霊につかれた独り息子を持つ父親が、助けを求めて群衆の中から叫びました。お弟子たちに、この霊を追い出してくださるようお願いしたのですが、お弟子たちにはできませんでした。イエスは嘆いて、そこに集まった群衆と弟子たちに、こう言われます。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまで、あなたがたといっしょにいて、あなたがたにがまんしていなければならないのでしょう」。今日は、この41節の御言葉をしっかりと受け止め、もう1度、信仰の姿勢をはっきりとしたいと思います。
1. 癒やしの御業は主イエスと共にある
この父親は、子どものことを心配し、偶像、占い、人の力、真の神・・・一生懸命でした。弟子たちに祈ってもらっても、癒やされませんでした。本物の癒やしの御業は、主イエスと共にあります。聖書は、イエスは父なる神の完全な啓示、神の現れだと語ります。だから、どんな癒やしも悪の力の解放も、すべての祝福は主イエスと共にあるのです。私たちは、人の顔色をうかがったり、人に頼ったり、人のせいにしたりする弱い者ですが、人ではなく、イエスに集中し、私の癒やしは主と共にあると、信仰の姿勢をはっきりとさせましょう。
2. イエスに喜ばれる信仰を持とう
「ああ、不信仰な今の世だ」。イエスは、祈って癒やされなかった弟子たちの信仰、人々の心、信仰の在り方を嘆かれました。2千年たった今を生きる私たちは、愛と救いの力、癒やしの恵みをもってイエスがこの世に来てくださっているのに、神を信じる以外に、人間的に当てにできるものが多く、不信仰がもっと深刻になっているのかもしれません。では、私たちがイエスの前に立つとき、あなたの信仰は立派だと言われるには、どうしたらよいのでしょうか。大きな3つの鍵があります。
(1)御言葉に立つ――イエスの御言葉をそのまま下さいと頼んだ百人隊長は、すぐにしもべの癒やしを頂きました。「あなたの御言葉は、わが足のともしび、わが道の光です」と聖書が語るように、御言葉に立ち、御言葉をいつも告白する信仰を持ちたいと思います。御言葉は神の御約束です。信頼しましょう。
(2)神はどんなことでもできると信じる――信仰は、神にはどんなことでもできると信じることです。祈るとき、心の中でできないだろうと決めつけると、悪魔の思うつぼです。神にはできると信じましょう。
(3)常に神への感謝、栄光をお返しする――どんな素晴らしい祝福にあずかろうと、すべての栄光は神のもの、主をあがめ、礼拝し、栄光をお返ししましょう。10人の重い皮膚病の人が癒やされた話では、神に栄光をお返しし、感謝するために戻って来たのは、わずか1人でした。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではいけません。
この3つのことを胸に刻み、信仰を持って、神の前に立つ者でありたいと思います。
イエスに受け入れられる、シンプルで素朴で、純粋な素直な信仰を働かせましょう。恵みを与えようとする神、それを素直に受け止めようとする「私」がいるところに、神の素晴らしい御業が起こります。
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