「神は仰せられた。『地が、種類にしたがって、生き物を生ぜよ。家畜や、はうもの、野の獣を、種類にしたがって。』そのようになった。・・・神はそれを見て良しとされた。神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。・・・』神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。・・・神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日」(創世記1:24~31)
この創世記1章、天地創造の物語を神話やおとぎ話だと言う人がいますが、そうではありません。聖書を学び、研究していくと、私たちの理解を超え、現代科学の説明をはるかに超えた、人間やこの世界についての大切な真理がしたためられています。ご一緒にひもといてまいりましょう。
1. 神によって造られ、与えられた命
あなたの命は、どこから生まれたのでしょうか? 両親が私に命を授けてくれたと語る人もいますが、しかし親になると、自分が子どもに命を与えたなどと、大それたことは思えません。神から与えられた命を受け継いだだけです。
聖書は、はっきりと神が神の形(ラテン語:イマゴディ)に似せ、人間を造ったとあります。私たちの命は、神によって造られ、与えられたのです。それは、神が私たち人間を造りたい、生かしたい、愛したい、そして共に歩みたいと願ってくださったからです。
神をあがめ、感謝したいと思います。私たちは、造られた方の御心を聞くことにより、本能のままに生きるのではなく、愛することや、死後の霊的な世界を考える、本当の生きる意味、目的が分かるようになります。
2. すべての良きものを与えてくださった
神は人を祝福し、この世のすべての良きものをお与えになり、生めよ、増えよ、地を従え支配せよと語られています。生きていくために必要なものは、すべて与えられていますから感謝です。不足感や欠乏感を訴えるのではなく、感謝する者でありたいと思います。
本当の命の生き方、人の歩みが確かにされるのは、憲法や法律ではなく、神の御言葉にあります。神に立ち返り、命の基本を思い、神から離れてはいけません。
また、私たち人間は、その与えられたものを、責任を持って支配し取り扱わなくてはなりません。人間の都合で自然破壊するのは、神の御心に背いた愚かなことです。聖書は生きることを語り、生きよと言われます。決して自分で死を選んではなりません。必要な恵みを与えられている者として、精いっぱい生きようではありませんか。
3. それは非常に良かった
神は、天地宇宙を創造された1日1日の締めくくりに「それを良しとされた」と語っています。私たちの人生は、命もすべてのものも、良きもので満たされているのです。しかし、いつの間にか愚痴や不平不満、怒りを口にする者となっています。
神は私たちが、自分の力だけでは楽しく生きられないのを知り、御子イエス・キリストを地上まで送ってくださいました。悪の力に左右されて、まっすぐに生きられない私たちに、キリストがご自分の命まで捨てて救いの道を開いてくださいました。この救い主(ぬし)イエスを通して、命の与え主の神と、厳かに向き合うことができます。
神の形をもって生きるようにされ、すべての良きものが与えられ、祝福された私たちの命です。これからは不平不満、欠乏感や不足感の中に生きる乏しい人生ではなく、すべては与えられ、満ち足りていますと感謝し、喜んで歩んでまいりましょう。神に立ち返り、本当に価値ある人生を手に入れられますように。
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