「イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。『・・・すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、子がだれであるかは、父のほかには知る者がありません。また父がだれであるかは、子と、子が父を知らせようと心に定めた人たちのほかは、だれも知る者がありません。』それからイエスは、・・・ひそかに言われた。『あなたがたの見ていることを見る目は幸いです。あなたがたに言いますが、多くの預言者や王たちがあなたがたの見ていることを見たいと願ったのに、見られなかったのです』」(ルカの福音書10章21~24節)
7月後半から2週間にわたって、メトロ・ワールド・チャイルドのビル・ウィルソン先生が来日して、日本各地で10回のセミナーを開催し、共に行動していました。メトロの働きによって、毎週世界中で20万人の子どもたちが教会学校に集い、生きた福音が語られ、家庭訪問が行われています。
この働きの原点は、ビル先生が救われたことにあります。犯罪歴のある父親は行方知れず、母親はアルコール依存症で子育てができない状況でした。12歳の時に母親に路上に置き去りにされ、捨てられました。
通りかかったクリスチャンの男性が、貧しさにもかかわらず、教会学校のキャンプの参加費を出し、参加させてくれました。そのキャンプで神様と出会い、人生が動き始めました。親もなく何も持たず、発育障害を持つ、どう見ても神に用いられそうにもない、とんでもないマイナスから人生を始めた彼が牧師となり、スラムに乗り込み、子どもたちに伝道を始めたのでした。
神に用いられるのは、特別な人ではありません。日本人はとかく長い物には巻かれろという考えで、みんなと一緒であることに安心したり、目立つ人をチヤホヤしたり、批判にさらしたりします。
しかし、2千年にわたってクリスチャンが聖書の教えを通して体験した恵みは、どれほど小さく無名の者でも、神によって用いられることを決して忘れてはならないということを証ししています。私たちがクリスチャンであることは、すでに神に選ばれていることなのですから、出て行って、家族や夏休みで久しぶりに会う人たちのために、愛と笑顔で救いのために祈りましょう。
ルカの福音書では、イエスは、周りにいるイエスを信じる人々を「小さい者たちよ」「小さき群れよ」と呼び、ほかの福音書にはない表現をしています。ここでは「弟子」は、単なるお世話役とか小間使いではありませんでした(ルカ9:1、2)。イエスと同じ力を与えられ、同じことをするようにと遣わされた者たちです。
また、12弟子だけでなく、別に70人も同じように遣わされました(ルカ10:1)。だから皆さん、私たちも遣わされて出て行き、祈り、証ししようではありませんか。私たちが「弟子」としての自覚を持って出て行くとき、確実に神の御業が行われ始めるのです。
今日の箇所で3つのことを押さえておきましょう。
1. 私たちが用いられることを喜ばれる主
イエスは、悪霊が言うことを聞くからといって喜ぶなと戒めるだけでなく、弱い者でも神によって用いられることを喜んでくださいます。それを感謝し、弱く愚かであっても、主に用いられる者となりましょう。
2. イエスを通してでしか分からない恵み
御子イエスと直接関わることを許された人しか、神の恵みに触れることはできません。それは、イエスの十字架のことです。この十字架によってイエスとつながることができ、その向こうにすべての恵みが備えられています。
3. 今イエスを信じてつながっている幸い
旧約の時代の王や預言者は、キリストの約束や癒やし、悪霊からの解放、教会が建て上げられていく様子を見ることはできませんでした。今私たちは、旧約の時代の人々があこがれていた素晴らしい恵みを見、体験しているのです。つぶやきや不平不満は似合いません。主によって、日々与えられている恵みを数え、前進してまいりましょう。
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