進藤龍也牧師を中心に、刑務所伝道に重荷を負って取り組む罪人の友主イエス・キリスト教会(埼玉県川口市。以下、罪友教会)。塀の中からの声に耳を傾け、また塀の中に身寄りのいる人々、子どもの非行に悩む保護者たち、薬物を絶つことができない人々の相談が全国各地から寄せられる。
進藤牧師は、自身のブログ、フェイスブック、ツイッターなどはもちろん、毎週の礼拝もユーチューブを通して公開している。現在までに著書は5冊。テレビやラジオなどにも出演し、国内外から注目を集めている。講演会の予定は数カ月先まで埋まっており、行った先々で「刑務所にいるときに先生の著書を読んだ」「ユーチューブでいつも先生の説教を聞いている」と話しかけてくれる参加者の声は少なくない。
数カ月前に、大阪の集会で講演を行った際にも1人の男性との出会いがあった。鈴木豊さん(仮名)。40代後半の男性だった。彼は山陰地方の自宅でいつも進藤牧師の説教をユーチューブで見ていた。
鈴木さんは、生まれも育ちも山陰地方。幼いころから元気のいい子どもだったが、特に目立つこともなく、友だちとも仲良く遊ぶごく普通の子どもだった。中学生、高校生時代は、勉強はあまり得意ではなかったが、仲間といるのはとにかく楽しかった。思春期には、はやりの漫画の影響から、「女の子にモテたい」と思うように。そんな単純な理由から、暴走族にも一時入っていた。
高校を卒業し、しばらく暴力団の組員になっていたこともあったが、2年ほどで辞めた。この間、薬物を売ることも自分で打つこともなかったという。「体に悪そうなことはしたくなかった。健康的なヤクザですね」と笑う。少々道は逸(そ)れたものの、大きな問題を起こしたり、警察に捕まったりするようなことはなかった。
やがて20代前半で結婚。3人の子宝にも恵まれた。内装業者として独立し、従業員も十数人抱えた。バブル期は景気がよかったものの、仕事は徐々に減っていった。それでも、「子ども3人と愛する妻がいる家庭は幸せだった」と話す。
次男が小学校時代にいじめの被害を受けたとき、「強い男になってほしい」と、共に武道を覚えた。そこで鈴木さんはめきめきと頭角を現し、やがて師範に。地域の子どもたちをいじめの被害から守ろうと、道場の手伝いもするようになった。「人をいじめたら絶対にいけない」と教えていた子どもたちからも慕われ、地域の人々からも信頼される存在になっていた。幸せな家庭を築き、男気のある鈴木さんは、人を助けることも率先してやり、人望もあった。
転機は今から数年前。妻の浮気を疑った鈴木さんは、酒の勢いで妻を殴打。見るからに筋肉隆々で頑強な鈴木さんは、体そのものが凶器と化した。妻に手をあげたのはこれが初めてだったが、すぐに我に返って病院に連れていき、2つの病院で受けた診断結果は「打撲」。脳波にもレントゲンにも異常はなかった。
帰宅した妻とは和解をして、近々、旅行に行く約束もしていた。しかし、数日後、突然倒れた妻は容体が急変し、その数週間後、帰らぬ人となった。
突然、3人の子どもを残して逝ってしまった妻。当然悲しみは深いが、悲しんでいる暇もなく、鈴木さんの身柄は拘置所に。「傷害致死」の容疑で逮捕されたのだった。
その後2年間、警察や弁護士による調査が行われたが、今年に入って裁判が始まった。妻を失った悲しみ、多くのものを失った喪失感から、それまで信じていた仏を拝むことはもうなくなっていた。
「真実はどこにあるのだろう」。そう思っていた時に巡り合ったのがキリスト教だった。ユーチューブなどを通して、アーサー・ホーランド牧師や進藤牧師の説教を聞いた。進藤牧師の説教は、気が付くと朝から晩まで1日中見ていることもあった。「この人なら、俺の気持ちを分かってくれるのではないか」。そう思い始めていた。
第1審の判決は懲役5年。裁判で争う気持ちはもうなかった。亡くなった妻は戻ってこない。家族はバラバラになってしまった。ただ、収監される前に洗礼を受けたい・・・。その一心で上告した。
それまでユーチューブで見ていた進藤牧師に勇気を出して電話をかけ、初めて話をすることができた。巡回伝道で大阪に来ていた進藤牧師と初めて対面。そして収監前、洗礼に導かれた。4月末には罪友教会を訪れ、皆と交流も持った。鈴木さんは最後のあいさつでこう話した。
「僕にはもう何も残っていない。人を信じることさえできなかったが、イエス様が僕を救ってくださった。これは紛れもない事実。亡くなった妻には申し訳ない気持ちでいっぱい。突然、母親を奪われた子どもたちにもわびる言葉もない。何も残っていないけれど、イエス様だけが僕のそばにいてくれる。これだけで十分。5年間、頑張ってきます。刑務所の中ではゆっくり聖書も読みたいと思っています」
現在、鈴木さんは、中国・山陰地方の刑務所で服役中だ。