久しぶりに5代目小さんの「粗忽(そこつ)長屋」を聞いた。この落語は僕の最も好きな落語の1つである。小さんは多くの、いわゆる「粗忽もの」を得意としているが、その中でも出色のものだと思う。
普通あり得ないバカバカしい話ではあるが、小さんは、まくらに粗忽の小話を連ねていき、やがて本題の話に移っていく。この導入の部分が何とも楽しいし、自然と話に引き込まれていくのは心憎いばかりである。
ある長屋に、1人はまめでかいがいしい、おせっかいやきの粗忽者の八っつあん、もう1人は、無精でのんびりやの粗忽者の熊さんが隣り合って住んでいた。ある日、八っつあんが浅草の観音様にお参りしての帰り道で、人だかりに出くわす。何があるのか見ようとするが、群衆で前に出られない。
それなら、と這(は)いつくばって人の股座(ぐら)をくぐって前に出ると、行き倒れの死人である。番をしている人が「誰か、この人に見覚えのある方はいませんか?」との声で、八っつあんがよく見ると、何と熊さん(そっくりの人)なのである。
「あっ! 熊の野郎だ」の声に、番人も「よかった。この方の身内の人に来てもらって、遺体を引き取ってもらいたい」「いや、こいつには身内はいません。独りぼっちのかわいそうなヤツです。でも、当人に知らせて、引き取りに来させやしょう」
「困ったな、この人は。最後にその人に会ったのはいつ?」「今朝、会ったばかりだが、ボヤっとしていた」「じゃ違うよ。この人は昨晩から倒れているのだから」「いや、とにかく当人を呼んできて、確かめさせやしょう」「困ったな、この人は・・・」
やがて、八っつあんは長屋に戻り、熊さんを起こす。「驚くなよ。お前は昨夜(ゆんべ)、横町の路地で死んでるよ!」「そう言われても、死んだ気がしないよ。昨夜、酒屋で飲んで、酔っぱらっちゃって、どう帰ったかよく覚えてねえんだ」
「それ見やがれ。おメエは粗忽だから、死んだのも知らねえで帰って来たろう」・・・とやりとりが続いて、ついに熊さんも八っつあんの言い分に同意し、死んでしまったことに納得する。やがて、気の進まない熊さんを強引に現場に連れてやって来る。
「当人をつれて来やした」「すみません、ちっとも知らなかったもので、お世話になっています」「弱ったな! また訳の分からない人が1人増えてしまった。あなた、しっかりしてくださいよ。これはあなたじゃないんだから」と番人が止めるのも聞かず、八っつあんが「当人のものを当人が引き取ってどこが悪い。さあ持って帰るんだ!」と、熊さんをせかす。
熊さんが死人をつくづく見て「こりゃ俺だ。なんて情けねえ姿になっちまって・・・」と死人を持って行こうとするとき、思わず出るせりふが、この落語の落ちになっている。重要な言葉だ。
「兄貴、なんだか分からなくなってきちゃった。持たれているのは確かに俺だが、持っているこの俺は、どこの誰だろう?」
この落ちのせりふは、笑わせる、実にパンチの効いた言葉である。思わずウーンとうならせる、切れる言葉である。単なる「笑い」の奥に、人間存在について、心の奥底にこだまするような含蓄のある言葉である。
ソクラテスは、「汝自身を知れ!」を哲学の第一歩とした。デカルトの「我思う、故に我在り」が、近代的思惟の出発点になった、と言われている。思うに、私たちは「自分は何々である」とか、「俺は、本来こういう者だ」と思っているものの、ほとんどの部分は、それまでの人生の中で誰かに、直接か、書物や話や映像などを通して、誰かの思想やイデオロギーに洗脳、という言葉は語弊があるが、教えられ、思い込まされて、「自分とは、こういう者だ」とどこかで規定してしまっているところがあるのではないだろうか。八っつあんに思い込まされている熊さんのように。
ところがある時、それが崩される機(とき)がある。何かの拍子に、こんな考えをしている、こんな行動をしている自分が本当の自分なのだろうかと自問する刻(とき)があるかもしれない。「今まで自分だと思っていた自分をつくづく見て、確かにこれが俺だと信じてきたが、これを持っている、すなわち、疑っている、思惟している自分は、どこの誰だろう?」と。
新約聖書の3分の2を書き、キリスト教を形成する礎(いしずえ)を作ったといわれるパウロはある時まで、キリスト教徒は真理に敵する輩(やから)だと思い込んで、これを迫害し、彼らを捕らえては投獄していた。
ある時、同じ目的でダマスコ(ダマスカス)に向かっていたとき、真昼であったが、あのシリアの砂漠の焼け付く太陽より、もっと強烈な輝く光に照らされ、地に倒れた。すると、天から声があり、「なぜ私を迫害するのか」というイエス・キリストの声を聞く。
彼は突然盲目になり、手を引かれてダマスコに入った。そこでアナニヤというキリスト者に手を置いて祈ってもらうと、「目から鱗(うろこ)のようなものが落ち、見えるようになった」。これが一般にも使われている「目からウロコ」の起源にもなったパウロの回心の記事である。
やがて彼は、アラビヤの荒野に退き、ひたすら祈りと瞑想(めいそう)のうちに新しい自分を発見し、行くべき道を確信し、進み出した。ペテロをはじめ、かつて自分の敵であった人々と和解し、彼らから信頼され、使徒として送り出されていく。あのネロ皇帝によってローマで殉教の死を遂げる日まで、当時の地中海世界を隈なく巡回し、テント張りという職で自給しながら、あらゆる苦難辛苦をものともせず、キリストの福音を伝えていった。
そこには少しのブレや迷いもなかった。当時、すでに始まっていたオリンピック競技の選手のように、ゴールに向けてひたすら走ったのであった。
誰でも、熊さんのように他から規定され、そう信じ切っていた自分に、ある時「自分を運んでいるこの自分は、いったいどこの誰だろう」と自問する瞬間があるのではないだろうか。誰でもがパウロのような経験をするわけではなく、そういった経験をする人は少ないであろうと思うが、それでも、新しい自分を発見する契機として、そんな刻を生かしたいものである。
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