人が生まれ変わること(輪廻[りんね])がないと、どうして知ることができるか。
転生輪廻(サンサーラ)は、インドのバラモン教の思想です。この教えによれば「人間はこの世の生を終えた後は一切が無になるのではなく、人間のカルマ(行為、業)が次の世に次々と受け継がれる。この世のカルマが“因”となり、次の世で“果”を結ぶ。善因は善果、悪因は悪果となる。そして、あらゆる生物が六道〔①地獄道、②餓鬼道、③畜生道、④修羅道(闘争の世界)、⑤人間道、⑥天上道〕を生まれ変わり、死に変わって、転生し輪廻する。これを六道輪廻の宿命観という。何者もこの輪廻から逃れることはできない。それは車が庭を巡るがごとし」と唱え、「その鍵はカルマ(行為、業)にある」といいます。
インド人の思想は、果てしのない輪廻に対する恐怖に脅かされています。釈迦は、この転生輪廻の思想と宿命観を超越し「私は輪廻を解脱した。もう何にもどこにも生まれ変わらない。私は後有(ごう)を受けず(死後は存在しない)」と主張し、一切の宿命的な考えから解脱せよ、と教えました。
そもそも、「六道を生まれ変わり、死に変わる」との説自体が本当であるという根拠は一切ありません。“畜生”を眼前でよく観察して、その前世が意識的存在であったと感じさせるものはもちろんありません。自然界のどこを探しても、生まれ変わりの実例を見ることはできません。
ただ1つ言えることは、この思想はあまりにも悲惨な世界観であるということです。最良の“天上道”で生きる者ですら、いずれそこを離れ、他のどれかに死に変わるというのですから、いつまでも六道のどこかで苦しみ、恐れていなければなりません。永遠に逃れるということができないのです。お釈迦さんでなくとも、こんな悲惨な宿命観に縛られたくありません。
対するに、キリスト教の天国・地獄の観念は、人がその人生で、キリストを信じるという簡単な選択・生き方を選び取りさえすれば地獄ではなく、天国であり、もうどこにも行くことがないというのです。実に簡明であり、安心できる世界観でありませんか。そして、安心と希望のある約束ではないでしょうか。
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