人はどうして年齢を重ねると死んでしまうのか。
誰しも「死なずにずっと生き続けられたら、どんなにいいだろう」と思うでしょう。(中には「生きるのが苦しい、早く死んで楽になりたい」という人もいるでしょう。)とにかく、人間は死んでいかなければなりません。
死の原因としていろいろな病気があげられますが、ほかに「老衰」もあります。老衰は、何か病気があるわけでもなく、内臓や脳などが順調に働かなくなるようです。それはどうしてかよくは分らないのですが、細胞の老化とか再生不能とか修復機能の限界だとかであるらしく、医学的・生物学的にいろいろとその原因を究明しているところです。ではなぜ、若い時と同じように、いつまでも再生・修復し続けられないのか。これももちろん研究されなければなりません。
にもかかわらず、① 寿命というものがあって、いつかは死ぬようになっています。しかも、② その寿命は最大で120年くらいとなっています。
この ① については、聖書の創世記3:19で「ついに、あなたは土に帰る」「あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない」と宣告されています(動物も巻き添えで死ななければなりません)。
② については、創世記6:3で「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢(よわい)は、百二十年にしよう」と通告されています。そもそもの初めからのことではなく、人間の始祖の反逆・不従順などに起因して、神がお定めになったことです。
人間が死すべきものであることは誰も驚きませんが、後段 ② の定めもその後の世界に驚くほど実現しています。現代でも、どんなに長命な国でも、この定めを超えられていません。
その物理的原因としては、多分、ノアの洪水の際、地球上空のぶ厚い水気の層から大量の水が地上に降り、水気の層が大幅に消えてしまったことにあるのでしょう。それまでは地上動物・人間の皮膚細胞などに有害な紫外線やガンマー線などが水気の層でカットされていたのですが、洪水後はまともに地上に降り注ぐようになって、細胞の再生、修復などに悪影響を与え、徐々に寿命を短くしていったものと推測されます。
そういうわけですから、人間がいくら研究して対策を講じても、多分どうにもならないでしょう。しかしもし、人が死なない、あるいは寿命を百五十年、二百年に延ばすことができたとしたら、地球は(そうでなくても心配していることですが)人口で溢れ、居住場所、食料、水などが万般に不足して、暴動化し、いや人口の重みで地球の軌道自体が狂うかもしれないといわれています。それは世界の終末につながるでしょう。
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