人はそもそも何のために造られたのか。人が存在するようになった意味は何なのか。
神が人をお造りになったのは、当然神のためでした。広い意味で、神のために意義ある存在(役に立つ存在)を造ろうとされたのです。究極のところ、人の何かのために人をお造りになったのではありません。どこまでも神中心であることをわきまえ知るべきです。
つまり、人に楽しい人生を得させることが目的ではありません。人の集団(人類)の幸福のためでもありません。人が、自分こそ造られた目的だと考えるなら身勝手になり、自分たちが中心になり、不満を覚え、神を無視したり、否定したりもします。しかし、人間がどう考えようと、神は人をご自分の目的に従ってお造りになったのです。
神のおられるところ(天の御国、天上の世界)は広いところです。神はその御国で一緒に住むべき神の子たちを生み出すおつもりで、そのために、まず地上で人をお造りになりました。
その人が地上のいのちの間に神を認め、神の教えに従うなら(いや、仮に、それに失敗することがあっても)御子イエス・キリストを信じるなら、神の子とされる特権をお与えになりました。そして、時至るなら、名実ともに神の子とされるのです。すなわち、天上(天の御国)で住み、永遠のいのちを生きることになります。
そのような長い計画・大きな目的を持って、神は地上に人(各人)をお造りになりました。人の地上の人生は、長い計画の前段(準備の過程)なのです。
では、神は何のために、天上で人とともに住むのでしょうか。それは、神の子たちと喜び、楽しむため、といえましょう。人はそこで、神の知恵と力と御業をほめたたえ、賛美することになります。同時に、神の働きのお手伝いもするようです。
まとめていえば、人の存在目的、すなわち造られた目的は「神の栄光をほめたたえるため」ということです。つまり、人は究極的には、神のご栄光のために造られたのです。聖書にそう宣言されています。
「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った」(イザヤ43:7)
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