人間が神のかたちに造られたとは、どういうことなのか。
神は霊ですから、手とか足とか、目に見える形態(figure)があるわけではありません。神の属性としての人格性があり、それをかたち(image)といいます。人格とは、人柄がいいという意味ではありません。自分は〇〇という者であり、他の誰でもないという意識の“個別自存性”があること、自己意思を決定する者であり、感じたことや自己意思を表現できる者であること、論理的・道徳的・理性的に考えられる存在であることをいいます。
神には人格があり、その神の人格性に似せて人をお造りになった、と記されています(旧約聖書、創世記1章26、27節)。それが聖書全体の基礎の1つです。新約聖書でも、人について「神にかたどって造られた」と記述されています(ヤコブ3:9)。
間違ってはいけないのは、人に上述の特性があるので神にもそれがあるかのように取り扱っているのだろう、と逆の推理をしてはならないことです。あくまで、人格を持つ創造者なる神が先におられ、その神がご自分の人格性に似せて人間をお造りになったということです。
この特性は、被造物では(御使いを除き)人間だけに与えられているものであって、他の動物には与えられていません。人間が万物の霊長といわれるゆえんです。
つまり、人間は神の御前で特別の存在です。この地上では、人間のみが神と人格的な交流をすることができる存在なのです。いやむしろ、交流すべき存在であるわけです。神から、そのように期待されて造られているということです。そのことを忘れてはなりません。
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