今日、教会に通う多くのクリスチャンは、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣(の)べ伝えなさい」(マルコ16:15)という、主イエス・キリストが彼を信じるすべての人に与えた大宣教命令を理解していない。なぜだろうか。クリスチャンでありながら、これを無視し続けていてよいのだろうか。では、今日はこのことについて見ていこう。
「良い」クリスチャンであること
今日、多くのクリスチャンは、教会に行くこと、手を上げて賛美すること、「ハレルヤ」を叫ぶこと、祝福された気持ちになり教会を後にすることと、キリスト教とを同一視している。もちろん、クリスチャンたちは、聖(きよ)い手を上げて詩編の歌を歌い、神を皆で一緒に礼拝するために教会に行くのだが、それは「祝福された気持ち」を得ること以上のものである。クリスチャンたちは、聖なる責任を負っているのだ。
クリスチャンは、キリストに従うことを期待されている。クリスチャンは、神の語られることを聞き、彼の言葉に耳を傾け、自分たちの生活にそれを適用する。クリスチャンは神のことをただ聞くだけではなく、実際に従うのだ。その時の気分の善しあしに関係のないキリストへの従順が、「良い」クリスチャンを形成する。
ヨハネによる福音書14章23、24節では、主がこのことを的確に説明している。
「イエスはこう答えて言われた。『わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである』」
キリストが命じたこと
良いクリスチャンはキリストに従うということが分かったところで、クリスチャンは何をすればよいだろうか?
まず、私たちは自分の目標やゴールを達成させる代わりに、自分に死に、神自身を追い求める必要がある。マタイによる福音書16章24節でイエスは、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と、弟子たちに言われた。
これは、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」(マタイ22:37)という、イエスが示した最も大切な戒めとも一致する。
次に、他人を愛することだ。イエスはヨハネによる福音書15章12、13節でこう語った。
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」
これは、「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ22:39)という2番目に重要な戒めとも一致している。
最後に、すべての造られたものに福音をもたらすことだ。主が昇天する前に語られたこの戒めを読もう(マタイ28:18〜20、マルコ16:15、ルカ24:46〜48)。私たちには、神の民としてこれに従う務めがあるのだ(コリント二5:18〜21)。
「それから、イエスは言われた。『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい』」(マルコ16:15)
これを行うことにより、神、また人それぞれに対する私たちの愛が、実際に結び付くことになる。私たちが神に従うと、神の愛が私たちを通して、神の愛する人々に広がる。私たちは、まだ救われていない人に救いを宣べ伝える大使となるのだ。
従順に福音を伝える
私は皆さんが、すべての男性、すべての女性に福音をもたらすことが、クリスチャンのアイデンティティーであることを理解するのを助けたいと思っている。キリストに愛されているキリストに従う者として、私たちは、自分の言葉と人生を通じて、すべての人に福音を広めるのだ。私たちが良いクリスチャンになりたいなら、これを無視することはできない。これは私たちが何者であるかということの一部なのだから。