昨日、変な夢を見て夜中に目が覚めた。そこは静かな図書館のような所で、私の隣には知人が座り、本を机に立てて読んでいた。彼が私に何か失礼なことをしたか言ったのだが、それははっきりと覚えていない。とにかく腹の立つことを何かしたことは覚えている。私は腹を立てて、彼の本をバンと強く彼の額に押しつけた。
彼は腹を立てたろうと思うが、平然としていた。何事もないように、力む訳でもなく、私の荒っぽい行為など無視するかのごとくしていた。私はその姿がとても眩(まぶ)しく見えた。そして腹を立てていた気持ちは消え去ってしまい、とても仲直りをしたい気持ちに襲われた。
場面が変わって、彼が私の1、2歩前を歩いていた。私は後ろめたい気もあったけれども、笑いを含んだ顔つきで彼に話しかけた。彼も笑みを含んだ素直な態度で応答した。私はその彼の言葉と態度に、本当にうれしさを覚えた。ここで目が覚めた。
振り返って、うれしいことが2つあることに気付いた。
1つは、彼が私の乱暴を赦(ゆる)してくれたことであった。これは本当にうれしく、夢から目が覚めたほどであった。
2つ目は、後で気が付いたことであるが、私が乱暴を働いた後、彼の輝かしい姿を見て、私の怒りは去ってしまい、私はただ彼に赦しを乞いたいと必死に思ったことである。素直に悔い改めて赦しを乞いたいと思った自分の心がうれしかった。
他愛(たわい)のない夢ではあるが、赦されて自由になることができる、赦されて対等に話すことができる、赦されて喜びが湧く。イエス・キリストは、もっともっと大きな私たちの罪の赦しのために立ち上がり、十字架にかかられた。
「七度を七十倍するまでと言います」(マタイの福音書18:22)
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