昨日の金曜日にキリストは十字架で死なれ、墓に葬られた。
「(イエスの)遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた。その日は準備の日であり、安息日が始まろうとしていた。イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した。婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ」(ルカ23:53~56)
当時のユダヤにおける1日は、現代のように深夜12時ではなく、日没がその日の始まりとなる。創世記に「夕べがあり、朝があった」(1:5など)と書いてあるとおりだ。福音書にある「安息日」というのも、金曜日の日没から土曜日の日没にかけて。そういうわけで今日、土曜日の日中は、イースター(復活祭)のための準備にあてられる。
そして日没を迎えると、カトリック教会では「聖なる3日間」の3日目、復活の主日「復活の聖なる徹夜祭」として、1年におけるキリスト教会最大の祭儀を持つことになる。
「徹夜祭」というのは、旧約における十字架の救いの予型(かたどり)である出エジプトの出発時、「その夜、主は、彼らをエジプトの国から導き出すために寝ずの番をされた。それゆえ、イスラエルの人々は代々にわたって、この夜、主のために寝ずの番をするのである」(出エジプト12:42)という記述に従って守られてきた過越祭における習慣だ。そして、イエスの言いつけにも、このようにある。「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ」(ルカ12:35~37)
主が死からいのちへと移られたこの最も聖なる夜に、洗礼を受けて新しいいのちに移されたきょうだいたちと共に、主の復活の喜びにあふれる食卓に招かれ、聖体拝領(聖餐)にあずかるのだ。
復活徹夜祭は第1部の「光の祭儀」から始められる。まず会衆は入り口の外に用意された火のそばに集まる。司祭は、復活されたキリストのシンボルである新しい火を祝福してから、復活の大ろうそくにこの火をともす。そして、ろうそくを高く掲げながら「キリストの光」と歌い、会衆がそれに「神に感謝」と歌で応答しながら暗闇の中を聖堂に向かって進む「光の行列」を行う。会堂に入ると、会衆がそれぞれ持っているろうそくに火が移されていく。復活ろうそくが朗読台のそばに立てられると、「声高らかに喜び歌え」と復活賛歌が歌われる。
第2部の「ことばの典礼」では旧約から7箇所(創世記1章「天地の創造」、22章「アブラハム、イサクをささげる」、出エジプト記14章「葦の海の奇跡」、イザヤ書54章「新しい祝福」、55章「御言葉の力」、バルク3章「知恵の賛美」、エゼキエル36章「イスラエルの山々に向かって」)、新約から2箇所(ローマ6章「罪に死に、キリストに生きる」、マタイかマルコかルカから復活の箇所)、計9箇所が読まれ、聖書全体から救いの計画を味わうことができるようになっているが、時間がかかるので最低3箇所に省略されることもある。
福音朗読の後、司祭による説教があり、続いて洗礼式が行われる。キリスト教会における「過越」である「復活徹夜祭」にこそ洗礼を行うのが最もふさわしいとされているのだ。
それに続いて、また会衆は復活ろうそくから火を互いのろうそくへと渡し合いながら「洗礼の約束の更新」をし、自分が洗礼を受けた日のことを思い起こして「信仰宣言」(使徒信条)を唱える。司祭は会衆に祝福された水を灌水棒で振りかけ、会衆は「この水を受けた」(『典礼聖歌』96番)などを歌って自らの信仰を新たにする。
そして最後に聖体拝領が行われ、「感謝の祭儀を終わります。行きましょう、主の平和のうちに。アレルヤ」と派遣の祝福がされると、会衆も「神に感謝。アレルヤ」と応える。
そして、ミサを終えて会堂を出る時に復活のタマゴをもらってそれぞれ家路につく。