ついに受難週も「主の受難」の日、金曜日を迎えた。各地の教会やクリスチャンはこの日、それぞれ自分の罪のために十字架に付かれた神の子キリストを思い、復活への希望を持って祈る日だ。バッハが「マタイ受難曲」に取り入れたコラール「血潮したたる」(『讃美歌21』310、311番、『讃美歌』136番など)がこの日に歌われる。
キリストは金曜日の午前9時に十字架に付けられ、息を引き取られたのはその6時間後、午後3時のこと。
「イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。・・・昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ』・・・イエスは大声を出して息を引き取られた」(マルコ15:25、33~34、37)
カトリック教会では典礼暦の頂点である「聖なる3日間」として毎晩教会に集まるが、今晩も聖金曜日「主の受難」の典礼を持ち、キリストの受難と死を記念する。
本来は、キリストの死の時間である「午後3時」から始められるため、国や地域によってはこの日は休日になるが、日本では日中の仕事を終えてから夜に持たれることが多い。
いつもは正面中央に据えられた祭壇(聖餐卓)には祭壇布が掛けられ、十字架やろうそくが置かれるが、昨夜の洗足木曜日のミサのあと、すべての装飾が除かれる。また、入祭の歌も歌われず、静かに司祭たちが入堂して祭壇の前にひざまずき、沈黙のうちに典礼が始められる。
第1朗読はイザヤ書52章13節~53章12節の「主の僕の苦難と死」、第2朗読はヘブライ4章14~16節、5章7~9節の「偉大な大祭司イエス」を信徒が前に出て読む。会衆は、主の僕キリストが「ただ一度身を献げ」て(ヘブライ9:28)救いを完成されたことに思いを巡らす。
そして、枝の主日と同じように、司祭、第1朗読者、第2朗読者、会衆一同が読み交わす朗読劇の形でヨハネ18~19章が読まれ、受難と十字架の死の場面を思い起こす。
この聖書箇所に基づく説教があった後、盛式共同祈願としてあらゆる人々のために式文に沿って助祭が祈りの招きを歌い、司祭が祈るというのを交互に繰り返す。
その後、「十字架の礼拝」が行われる。これは十字架を偶像視するのではなく、十字架にかかられたキリストをたたえるもの。まず司祭が布で覆われた十字架を持って聖堂入り口から祭壇に向かって進みながら、覆いを少し外して十字架を高く掲げ、「見よ、キリストの十字架、世の救い」と歌い、会衆が「ともにあがめたたえよう」と歌で応答する。それがもう2度繰り返され、十字架から完全に覆いが外される。続いて、祭壇の前に立てられたその十字架の前で会衆は行列して一人一人深い礼をする。
その後、昨日の「主の晩餐(ばんさん)の夕べ」で聖別された聖体を受けて(聖体拝領)、帰途につくことになる。