パームサンデーから数えて5日目の受難週の今日、木曜日は「主の晩餐」を記念する日だ(マタイ26:26~30、マルコ14:22~26、ルカ22:14~23、1コリント11:23~26)。特にヨハネ福音書だけに記されているイエスが弟子の足を洗ったエピソードにちなんで、「洗足木曜日」と呼ばれる。
カトリック教会では今日から土曜日まで毎晩、信徒が教会に集まり、キリストの十字架と復活を記念する「聖なる3日間」と呼ばれる典礼暦(1年間を通してキリストの生涯の出来事を記念する)のクライマックスを迎える。聖木曜日「主の晩さんの夕ベのミサ」、聖金曜日「主の受難」(十字架は過越途上の出来事なので、主の過越を記念するミサではない)、そして聖土曜日の夜、復活の主日「復活の聖なる徹夜祭」(洗礼式も行われ、2~3時間に及ぶが、実際には徹夜するわけではない)と、主日のミサとは異なる特別なプログラムで行われる。
木曜日の夜のミサは、いつものように入祭の歌のなか司祭が侍者(奉仕者)と共に行列して入堂し、祭壇で集会祈願を祈る。その後、第1朗読では出エジプト記12章の「主の過越」、第2朗読では1コリント11章の「主の晩餐の制定」の箇所が信徒によって読まれる。旧約の出エジプトにおける「過越」(戸口に小羊の血が塗られた家は神が過ぎ越し、裁きから救われる)から「聖体拝領」(小羊キリストの血によって救われることを記念する)へという聖書全体の救いの計画を心に刻むことになる。
続いて司祭がヨハネ13章の「弟子の足を洗う」箇所を朗読する。
過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。・・・食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。・・・「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない」(1、4~5、14節)
この聖書箇所から司祭が説教した後、「洗足式」が行われる。あらかじめ選ばれた信徒が前に出て、司祭が水で実際に足を洗うのだ。
イエスは「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」ことを具体的に表すために、弟子の前にひざまずいて足を洗われた。外を歩いて泥だらけになった足を洗うことは当時の奴隷の仕事だったが、そうやって人を受け入れ、もてなすことが愛を表すことであり、それによって福音を伝えるという働きに私たちも召されていることを覚える時となる。
聖体拝領(聖餐)が行われた後、いつも聖体(ホスチアと呼ばれる小さな円盤状の白いウエハース)を収めている祭壇の聖櫃(せいひつ)ではなく、聖堂内の別の聖体安置所に司祭が行列して聖体を運ぶ。そして、キリストの十字架の死を覚えるため、祭壇上のろうそくや祭壇布など、すべてのものが取り除かれる。