ヨハネス・カントーレス第12回定期演奏会が1日、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会(東京都新宿区)で開かれた。演奏されたのは、昨年の受難節に大阪で初演されたJ・S・バッハの「マルコ受難曲」。東京では初めての演奏となり、約400人が耳を傾けた。
バッハの3番目の受難曲とされる「マルコ受難曲」(BWV247)は、自筆譜と別に出版されたピカンダーによる歌詞しか残されていない。この日の「マルコ受難曲」は、京都に在住するアルゼンチンの作曲家パブロ・エスカンデ氏が再構築したもので、それをヨハネス・カントーレスの指揮者で、アルト(カウンターテナー)としても出演した青木洋也さんがフルスコアにし、演奏を実現させた。また今回は、大阪の演奏会にはなかったテノールが歌うアリアが26番に新たに追加されている。
この記念すべき演奏会を成功に導いた青木さんは次のように語った。
「楽譜に従って演奏を再現するが、文章化・記号化されていることは作者の感情表現の一部にすぎず、その先にある作者の思いは想像するしかない。ただし、全くの妄想で作り上げるのではなく、プリントされているものから、さらに見える背景というものを想像し、『こうだったろうなあ』と思える音に作り上げていく。これは、音楽をする上で必要な努力だと思う。
それにしても、今回は初めての曲だったので、次に何が起こるか分からないため、かなりの集中力を要し、これまでに経験したことがない精神的な疲れを感じた。ただ、それは心地よい疲れであって、できればまた再演したいし、他でももっと演奏してほしい」
青木さんが率いるヨハネス・カントーレス(以下、ヨハネス)は、バッハの受難曲に魅(ひ)かれ、歌いたいと思った人たちが集まって、12年前に創設された合唱団。全員アマチュアでありながら、バッハにとどまらず、さまざまな作曲者による受難曲を受難節に合わせて演奏し、独自のスタイルを築き上げてきた。
定期演奏会でのオーケストラのメンバーが毎年ほとんど変わらないことも、ヨハネスの大きな特徴だ。そのため、合唱団とオーケストラのつながりは強く、青木さんにとってもやり慣れたメンバーであるため、言わなくても通じ合えるところが多いという。
「音楽を演奏するとき、ブレスとか約束はありますが、音楽に身をゆだねる中で、その約束はできないことがあります。いい仲間だと、それを察してくれます。全てのことに身をゆだねる。そういう流れを作っているのは自分たちですが、神様がそうしてくださっているのかもしれません」
青木さんは3歳でバイオリンを始め、桐朋学園大学音楽学部付属の子どものための音楽教室に通い、物心ついた頃から音楽の世界で過ごしてきた。歌手へのきっかけは、東京少年少女合唱隊に入ったこと。プエリ・カントレス(カトリック系世界児童合唱連盟)の日本支部である同合唱団が歌うのはヨーロッパの古典宗教音楽。「子どもの頃から、宗教音楽を歌うことが自分にとっては当たり前のことで、むしろ日本のものを歌うことのほうが特別なことでした」
初めてソロとして歌ったのは、日本基督教団三崎町教会(東京都千代田区)でのクリスマス降誕劇だ。小学生だった青木さんは、クリスチャンである母親が通う同教会の教会学校の生徒だった。中学に進学すると教会から離れるが、合唱は熱心に続け、夏休みは毎日練習に通っていた。
高校卒業後は、広島市にあるイエズス会系のエリザベト音楽大学に進学し、グレゴリオ聖歌の勉強をした。特に声楽のレッスンを受けたわけでもなく、流れのままに音大に入り、そこで初めて声楽の勉強をした。飛び級で大学3年の時に同大大学院に進学して宗教音楽を学び、2000年に入学した東京藝術大学大学院では古楽器演奏を学んだ。合唱隊にはこの間ずっと所属しており、現在では指導者の立場にある。
教会学校以来、演奏会を別にすれば、教会に行くことはなかった青木さんだが、広島から戻ってきた2000年4月、銀座にあるヤマハ楽器に行ったとき、当時、聖ケ丘教会の牧師だった山北宣久氏に久しぶりに会って教会に誘われ、同教会に通うようになった。山北氏は青木さんの両親の結婚式で司式を務め(後に青木さん自身の結婚式の司式も務めた)、青木さんにとってなじみ深い牧師だったのだ。その山北氏から03年のペンテコステに洗礼を受けた。
青木さんは日本を代表するカウンターテナーだが、歌手にとっては体が楽器そのものなので、演奏へのプレッシャーは並大抵なものではない。「ステージに立った瞬間、声が出なかったらどうしよう」「朝起きて、声が出なかったらどうしよう」と常に思い、毎日怖くなるという。だからと言って、歌うために何か特別なことをしているわけではなく、歌手として人前で歌うために当たり前のことを無意識に気をつけているだけという。
「自分が歌うためには、全ての内容が自分の中から出てこないと歌えない。今回歌った15番のアリアで『偽りの世よ・・・』と歌ったが、そうテキストに書かれているからそう歌っているのではなく、自分がその瞬間そう思っているから歌っている。単に役作りをするのではなく、そのテキストに身をゆだねているのだと思う」
また、音楽家というと一見華やかに見えるが、その苦悩もあるという。
「演奏する中で、おごることなく音楽に身をゆだねていきたいが、人間である以上、おごりは避けて通れない。演奏する上で、傲慢(ごうまん)になり、わがままになるのが怖い。自分を表現する場合、ある程度『盛る』ことは必要だが、その時に浅はかな気持ちがあると、落とし穴にすぐ落ちてしまう。瞬間の音楽を聴いている人にどう伝えるか。一生正しい答えは出ないので、日々いろいろやっていかなければならない。
歌うことは私にとっては特別なことではなく、日常の当たり前のこと。カウンターテナーとして高い声で歌えることは、子どもの頃から合唱隊でソプラノで歌っていた私にとって普通なことであり、神様から与えられたたまもの。その流れのまま来られたことは、きっと幸せなことなのではないか」
青木さんは13日~16日までバッハ・コレギウム・ジャパンによる「マタイ受難曲」にアルトで出演し、名古屋、東京、埼玉、松本を回ることになっている。詳細は、バッハ・コレギウム・ジャパンのホームページで。
ヨハネス・カントーレスはイースター明けから、来年の定期演奏会に向けての練習が始まる。バッハの次男カール・フィリップ・エマニュエル・バッハの「ヨハネ受難曲」が演奏される予定だ。