多くの音楽ファンを魅了するバッハの「マタイ受難曲」。この成立の謎に大胆に切り込み、新しいバッハの魅力を示した演奏会「原マタイ受難曲」(原マタイ受難曲室内合唱団[UMK]主催)が17日、東京都練馬区のIMAホールで開催された。500人が入る会場の座席はほぼ埋め尽くされ、1727年に初めてバッハ自らが演奏し、聴衆が耳にしたであろうイエス・キリストの受難の物語を、3時間にわたって披露した。
演奏会は、音楽学者の加藤拓未氏と音楽家の江端伸昭氏が出会い、「『マタイ』の初演の姿は、どうだったのか?」という同じ疑問を共有したことが発端だった。ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685~1750年)は「マタイ受難曲」(BWV244)を1727年、29年、36年、42年と4回演奏していたことが分かっており、現在よく演奏されるのは、36年バージョンのもの。一方、27年の初演については、演奏したことは確かだが、演奏自体がどのようなものであったか確たる証拠につながる資料が残っていないのだという。
両氏は、互いの持論を展開しつつも「1727年初演時の『マタイ』は、現在知られているような二重合唱・二重オーケストラのような編成ではなく、単体の合唱・単体のアンサンブルによるもっと小さい規模の編成だったに違いない」という仮説に行き着いた。そして、仮説的に再構築された「マタイ受難曲」の初演稿を「『マタイ』の原型」という意味で、「原マタイ受難曲」と加藤氏が命名。2人が監修となり、4年の歳月を経てこの日を迎えた。
「原マタイ」と「マタイ」との大きな違いは、① 冒頭合唱が8声の「来たれ、娘たちよ(Kommt, ihr Töchter)」ではなく、ニ長調に移調したコラール合唱曲「おお人よ(O Mensch, bewein)」となっていること、② 器楽アンサンブルが「一群」のアンサンブルとなっていること、③ 合唱も編成は4声合唱団とし、8声の部分はあくまでも「パート内で一時的に分かれての演奏」としたことだ。演奏に先立ち行われたレクチャーにおいて、江端氏は「何も分からないところから再構築に取り組んだ意欲的な演奏会。ますます新しいバッハを発見してほしい」と話した。
演奏会は、豪華な出演者も魅力の一つで、福音史家役(エヴァンゲリスト)を、北ドイツを代表するテノール歌手のクヌート・ショホ氏が務めた。先月末に来日してから体調を崩し、この日も本調子でないことを気にしての登場だったが、ショホ氏の聖書の朗唱は全くよどみがなく、聴く者の心に届けられた。指揮者は、バッハ芸術の美しさを確実に伝えられると高い評価を受ける音楽家の一人、大塚直哉氏で、定評通りバッハの新しい魅力を引き出した。声楽ソリストも、古楽アンサンブルのコーヒーカップ・コンソートのメンバーも、大塚氏を慕って集まった同僚や教え子たちだ。
「マタイ」は、当時の礼拝では、演奏の途中で牧師の説教を挟んだため、第1部と第2部で構成されている。「自分が知っている『マタイ』とどのように違うのか?」という期待と緊張に包まれた会場に、大塚氏がタクトを振ると誠実な音色が響き渡った。「バッハは『マタイ』を教会のためにささげた」ということが、あらためて伝わってくる。
第1部の冒頭は、よく知られている「マタイ」では「シオンの娘たち」と「信じる者たち」との対話形式により、これから起こるイエスの受難が歌われる。しかし、「原マタイ」では人間の罪に焦点を置き、イエスの受難の意義を説く大規模なコラール合唱で幕を開ける。十字架上での死の予告、祭司長たちの合議、香油を注ぐベタニヤの女、さらに処刑前日の「最後の晩餐」へと進み、ゲツセマネでの祈り、ユダの裏切りによるイエスの逮捕、最後は「私のイエスを私は離しません」と宣言する4声のコラールで締めくくられた。
第2部は、イエスの予備裁判から始まり、ペトロの否認と後悔を受け、「憐れんでください、私の神よ、私の涙ゆえに」と歌うアルトのアリアは、「原マタイ」でも重要なクライマックスの一つだ。夜にイエスが逮捕されてから、翌日早朝の裁判、午前中の処刑、そしてイエスの死と埋葬に至るまでの物語は、24時間に満たない過密な展開で描かれていく。息もつかせぬ迫力のまま、イエスの安らかな眠りを呼び掛ける最終合唱「私のイエスよ、お休みなさい!」で全曲の幕が下りた。
この日の演奏は、加藤氏と江端氏の仮説に従い、単体の合唱およびオーケストラで演奏された。よく知られている「マタイ」は二重合唱・二重オーケストラであるがゆえに、舞台上で左右に扇のように広がって、スケールの大きさを感じさせるが、構成をコンパクトにした分、「原マタイ」は音の密度が濃くなった。こういった点も「原マタイ」の特徴であり、魅力だ。
今回合唱を務めた原マタイ受難曲室内合唱団は、「原マタイ」を演奏するために吉田真康氏により結成された有志のアマチュア企画合唱団。楽譜の準備・監修は加藤氏と江端氏で当たり、歌詞対訳には世界的なルター研究者の徳善義和・日本ルーテル神学校名誉教授の訳を使っている。
演奏を聞いた男性(26歳)は、「アリアなど、結構違っていて興味深く聴けた。合唱も素朴で、今のほうがエンターテインメントだと感じる。今までになかった試みで、歴史的に意味のある演奏会だと思う」と感想を語った。