明治学院大学(東京都目黒区)キリスト教研究所が主催するキリスト教芸術研究プロジェクト公開研究会が2月20日、同大で開催され、学内外から約80人が参加した。音楽家の江端伸昭氏と同研究所協力研究員で明治学院歴史資料館研究調査員の加藤拓未氏が「バッハのマタイ受難曲―その成立の謎をめぐって」と題して、バッハの代表作「マタイ受難曲」について学術的見地から徹底的な解明に挑戦した。
受難曲の中でも最もよく知られるバッハのマタイ受難曲だが、残されている資料が限られているため、その成立に関しては多くの謎に包まれている。1727年、29年、36年、42年の4回にわたる演奏が知られており、現在楽譜のもとになっているのは36年に演奏されたもので、初めて演奏された27年の楽譜は現存しない。同プロジェクトでは、この現存しない初演のマタイ受難曲を「原マタイ受難曲」と呼び、研究を進めている。
先に登壇した江端氏は、バッハの教会カンタータとコラール関連作品の研究に携わるバッハ研究の第一人者。富田庸(英国クィーンズ大学)主宰「バッハ文献集 Bach Bibliography」の主要貢献者で、共著に『バッハ・キーワード事典』(春秋社)などがある。江端氏の基本的な見解は、27年の演奏はそれ以降の再演とは違うものだったというものだ。
江端氏はまず、後年の人々によって位置付けられた偉大な芸術家としてではなく、バッハがトーマス教会の教師、ライプツィヒ市の音楽監督(ミュージックディレクター)だったことに重点を置き、その中でマタイ受難曲がどのように作曲され、演奏されてきたかを話した。
バッハは、ライプツィヒ時代、毎日曜日の主日礼拝に合わせた教会カンタータと、聖金曜日のための受難曲を作曲・上演した。その曲数は一説に教会カンタータ約300曲、受難曲5曲だったとされる。しかし、現存しているのは、教会カンタータ約200曲と受難曲2曲に限られている。当時の礼拝における演奏は、作曲年や演奏年に関する記録が極めて少なく、バッハの年代研究には、残っているオリジナル手稿譜そのものを古文書学的手法で調べるしかないのだという。
続いて江端氏は、36年の演奏では、過去の27ないし29年の演奏で作成したパート譜を使用せず、全て新しく書き直されていることから、すでにバッハの手元にはなかったのではないかと推測している。これまでにファルラウ(バッハの弟子の弟子)という人物の手による初期稿と推定される筆写譜が発見されているが、研究者の間では、この楽譜が27年、あるいは29年の、どちらの演奏を反映しているかで意見が分かれているという。それについて江端氏は、「これは29年の演奏のものと考えている」と説明した。
また、同じくライプツィヒ時代にバッハが作曲した有名な「ヨハネ受難曲」は、24年と25年に演奏されているが、残っている楽譜をもとに調べていったところ、形態が大きく違っているという。江端氏は、「1年違うだけでも演奏がこんなに違っているのだから、27年と29年のマタイ受難曲の演奏が全く同じものであるはずがない」と述べ、27年の演奏は29年のものと考えられる筆写譜とは、大きく違っていたはずだと主張した。
江端氏は、「何も分からないからこそ、何とか復元させたいという気持ちを起こさせる。〈こうだっただろう〉と想像しながら復元するのは、とても楽しい作業だ」と話し、初演の「原マタイ受難曲」を復元する作業は、非常にクリエイティブな活動だとその魅力を伝えた。
続いて登壇した加藤拓未氏は、ドイツ・バロックを中心とする西洋音楽史が専門で、『バッハ・キーワード事典』の著者の一人でもある。また、2004年から10年までNHK・FMの番組「バロックの森」に解説者としてレギュラー出演している。初演のマタイ受難曲を「原マタイ受難曲」と名付けたのは加藤氏で、この日はバッハ以前の作曲家が作った受難曲との対比によって共通項を見いだし、そこからマタイ受難曲の創作過程に迫った。
加藤氏は、ライプツィヒ時代の受難曲演奏を年代ごとに追い、演奏当時、受難曲がどのように準備されたのかを説明した。歌詞は、詩人クリスティアン・フリードリヒ・ヘンリーツィ(筆名ピカンダー)が担当し、聖句・コラール・自由詩の三つから出典されているという。この中で自由詩については、当時の受難説教集をモデルにバッハと相談してアレンジしたと考えられると話し、説教集とピカンダーの歌詞を実際に比べながら解説した。
また、バッハも他の音楽家と同様、先輩らの作品から影響を受けていたとし、当時を代表するハンブルグのオペラ作家、ラインハルト・カイザーが作曲したとされるマルコ受難曲との類似点を、16の譜例を使って説明した。
続けて、構造的類似点についても言及した。取り上げたのは「イエスの死」の場面で、シモンの十字架担ぎ→ゴルゴダの丘→イエスの死と構成されている中で、歌詞あるいは曲調の共通項について、実際にCDで曲を聴きながら解説した。
バッハは青年時代の1710年代にすでにカイザーのマルコ受難曲の楽譜を手に入れ、演奏しており、さらに、バッハがマタイ受難曲を作曲する前年に、カイザーのマルコ受難曲を演奏していた記録が残っていることから、バッハがカイザーのマルコ受難曲を手本にして自作のマタイ受難曲を作曲したのではないかと話した。
さらに加藤氏は、両作品に非常に多くの類似箇所が見られることから、バッハがカイザーのマルコ受難曲と自分のマタイ受難曲を意図的に結び付けようとしていたのではないかと推測している。当時、伝統的にマルコの福音書がマタイの福音書の要約として考えられていたことから、バッハはカイザーのマルコ受難曲を、自分のマタイ受難曲の要約といった位置付けで密接に捉えていたのではないかと語り、参加者の想像をかき立てた。
講演会に参加した30代の女性は「バッハを偉大な芸術家としてではなく、教会に雇われていた音楽家として、その時代にどう生き、音楽を作曲していたかを聞くことができ、とても面白かった」と感想を語った。
27年初演のマタイ受難曲は、学術的な見解をもとに可能な限り復元し、「原マタイ受難曲」として4月17日に東京都練馬区のIMA HALL(イマ・ホール)で演奏されることが決まっている(午後2時開演、全自由席、3000円)。バッハ研究とバッハ演奏の現場がタッグを組む演奏会は日本ではかなり珍しく、バッハの新しい魅力を示せるか期待が高まる。
チケット窓口は電話:080・1122・8505(担当:吉田)、メール:[email protected](担当:加藤)、または東京文化会館チケットセンター(電話)03・5685・0650。