大阪府東大阪市のアドラムキリスト教会では、貧困や非行などの理由で自立困難な状況にある青少年の自立支援を行っている。特に、少年院出院者、鑑別所出所者であると同時に、児童養護施設退所者である少年や、事情があって、親と暮らすことができない青少年の自立支援に取り組んでいる。
アウトリーチとして、こうした青少年たちのための居場所作りのために設立した「チェンジングライフ」や、自立支援を目的とした「チェンジングホーム」がある。
「子どもの貧困には、経済的な貧困だけではない。親や周りの大人からの『養護』を受けられない精神的な貧困もあります。中でも、児童養護施設を『施設不適合』や『非行』などの理由で『施設退所』となった少年は、容赦なく児童福祉の養護の網から漏れ、児童福祉と少年司法の隙間に落ち込んでしまうのです。そうした少年たちは、帰住地が定まらず、社会復帰のめども立たないため、非行性の大小を問わず少年院送致となってしまいます。収容後も帰住先が無いために、収容期間が伸びてしまうという不安定な状況に陥ってしまいます」と、同教会の野田詠氏牧師は話す。
「チェンジングホーム」「チェンジグライフ」の他に、野田牧師が関わる青少年更生支援は数多くあるが、その中の1つNPO法人「セカンドチャンス!」(少年院出院者のための全国サポートネットワーク:本部・東京)は、元法務教官である大学教員と少年院出院者、法務省矯正局、保護局等のOB、弁護士等によって、2009年に立ち上がった法人で、野田牧師は創立メンバーの1人として、現在、同団体の監事、また、大阪交流会の代表を務めている。
「セカンドチャンス!」大阪では、貸室料がかからないという理由で、同教会を会場に、約2カ月に1回、さまざまな過去のある少年たちと保護司、元裁判官などの支援者が集まり、今後のことなどを和気あいあいとテーブルを囲んで話し合う自助グループを設けている。
先月27日にも、少年院から退院した少年7人と支援者らが集まって集会が持たれた。同集会は、教会の活動とは一線を置き、「宗教的な勧誘は一切しない」ことがルールになっている。他にも、どんなに困っている少年がいても金銭の貸し借りや物の売買はしないこと、飲酒や薬物で酩酊(めいてい)状態の場合は参加を禁止するなどのルールも厳しく定められている。
この日、「ライフストーリー」を話してくれたのは、17歳のSくん。少年院から退院したばかりの彼は、頭は丸刈り、高校球児のようにまだあどけなさの残る少年だった。「知り合いから借りてきた」という大きめのスーツに身をまとい、借り物のネクタイを不器用な手つきで、時折、締め直していた。
Sくんは、2歳の時に乳児院に預けられた。その後は養護施設へ。両親と過ごした時間はほんのわずかだった。
「僕は家庭を知りません」。はっきりとこう断言する。
養護施設は中学1年生の時に退所。児童自立支援施設で中学時代を過ごした。怒りのコントロールができず、小さいことでもすぐに怒りを覚え、暴力をふるってしまう彼は、どこの施設でも問題を起こし、そのたびにたらいまわしにされていた。15歳で少年鑑別所へ。そして精神科のある病院へも送られた。
再び、別の児童自立支援施設へ送られるも、2週間で問題を起こす。けんかを繰り返し、そのたびにさまざまな措置がなされたが、なんとか中学を卒業する時期までを同施設で過ごした。
中学を卒業する年齢になり、地方都市での就職を促されたが、「仕事なんかしたくない。遊びたい」という一心で逃げ出した。
逃げ出したところで、行くあてもお金もない。すぐに犯罪に走り、その後、3度の少年鑑別所、少年院送致をされる。少年院の中でもキレやすく、たびたび担当教官の頭を悩ませていたという。
「集団生活の中に入ると、すぐに問題を起こす自分は、そのたびに懲戒を受ける。いったい何のために生きてるんだろう? なんでこんなことを繰り返してしまうのだろう? いっそのこと死んでしまいたい」。そう思うようになっていた。
Sくんの言動も落ち着き、真面目に少年院での生活を送っていたある日、なぜか別の少年院に送致(不良移送)されることが決まった。
「なんで真面目にやってるのに、俺がまわされなければいけないんだ!」
怒りがこみ上げた。何をやってもうまくいかない世の中に、嫌気もさした。
しかし、少年院を退院する日、教官が「Sくん、君にはまだまだ明るい人生があるよ」と教えてくれた。
退院して数カ月後、再び事件を起こし、鑑別所へ。
「いろいろな人が自分に手を差し伸べてくれるのは、分かっていた。一生懸命、真っ当に生きようとしているのに、俺にはそれができない。できないなら、とことん悪の道で生きていこう」
そう決めた矢先、以前、世話になった施設の先生が面会に来てくれた。さんざん悪態をついたが、最後にその先生が「俺のがんが再発した」と告げると、Sくんの心は揺れた。気付くと、自然と涙を流していた。
「こんな自分にも流れる『涙』があるのか。それなら、俺もまだやり直すチャンスがあるかもしれない。諦めてはいけない」
今年、退院したSくんは、少しずつだが周りの人の愛情も感じるようになっていた。遊びたい気持ちもある。しかし、再び犯罪を犯してしまったら、失うものが大きいのも自分では分かっている。
「本当の幸せを見つけたい。普通の人からみたら、小さなことかもしれない。でも、俺にとっての幸せを見つけられたら、それでいい。俺は人との出会いで前を向いていこうと思えた。これからはしんどいこともきっとあると思う。でも、自分は1人じゃない。こうやって支援してくれる人がいることを忘れず、生きていこうと思う」と話した。
たった数人の前で話すアットホームな会だが、Sくんにとって、自分の過去を大人たちに話すのは初めての経験だったのだろう。初めこそ「緊張しているので、うまく話せないかもしれない。俺は、言葉も知らないし、失礼があるかもしれない」と恐縮して話し始めたものの、話し始めると、何かを訴えるように真剣な眼差しで、言葉を選びながら話した。
少年院を経験した少年たち、大人たちが話す一言一言をしっかりと目を見つめて聞き、「頑張れ。しっかり生きていくんだよ」と声を掛けられると、「ありがとうございます」と答え、一人一人に頭を下げる。
「将来の夢は?」と聞くと、「将来の夢なんて、今は話せないけど、普通に仕事をして、恋愛もしてみたい。誰かと結婚したら、子どもも欲しい。僕にはなかった『家庭』を築いていきたい。そして、子どもにはその温かさを教えてあげたい」と話した。
野田牧師は、「児童福祉法と少年司法の隙間に入ってしまった例の1つが、Sくん。少年犯罪の全てが社会の責任だとは、私は思わない。自己責任だったり、家庭環境だったり・・・といろいろな原因や事情があるでしょう。でも、子どもは環境を選んで生まれてきたわけではありませんから。誰が、生まれた途端、両親がいない・・・なんて想像しますか? 少年犯罪は、少年のうちに芽を摘んでしまえば、真っ当に生きる人はいくらでもいます。しかし、少年犯罪を繰り返し、ヤクザなどに入ってしまうと、抜けるのがなかなか難しい。1人でも2人でも多くの子を更生させたい。願わくは、教会につながっていてほしいと牧師としては思いますが。まずは祈りをもって支えたいですね」と話した。