天地創造の記事は“おとぎばなし”のように見える。本当のことなのか。創世記の記事は現代の科学の説明に反しないか。
人類の歴史のほとんどの時は、科学が未発達でした。ほとんどの人がいわゆる教育も受けておらず、字を学ぶことすら十分にはできませんでした。そのような人々の多くが理解できるように、簡明でやさしい表現で創造のありさまを伝えようとされたのです。
聖書は科学の教科書として書かれたのではありません。ちょうど、母親が幼子に話し掛けるとき、腰を屈めてやさしい言葉で話すように、神は無学な人のレベルにまで下って、どんな階層の人にも、どんな年齢の人にも分かるように、簡明なやさしい言葉で語ってくださいました。
しかし、内容はごまかさず、おごそかに述べています。おとぎばなしや作りばなしのように架空のことではありません。本当にあったこととして述べています。
天地創造の記事は、創造の要点のみを、わずか34節の文章で記述しています。創造の詳細については記述されていません。記述しようとしていないのです。つまり、要点のみ、輪郭のみです。その詳細は科学が究明するよう、残されているのです。
科学は多くのことを解明してきましたが、天地の始まりのことについては、今なお未解明の点や断定できない点を多く残しています。創世記の創造の記述が誤りだと証明するには至っていません。逆に、ビッグバン理論などは、神による天地創造論に近いものになっています。
これからも、科学は変わっていきます。他方で、創造についての聖書の解釈も変化してきており、科学の成果に対応・調和できるものになってきております。
*詳細は拙著『創造論と進化論~覚え書~古い地球説から』を参照!
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