天地創造は本当に6日間でなされたのか。それが正しいなら、世界の初めは数千年前ということになるが、数十億年前だとする科学とどう調和するのか。
聖書の創世記では、第1章第1節で「初めに、神が天と地を創造した」との総括の宣言があります。次に、第2節で「混沌・荒廃」についての記述があり、そして第3節から第2章第1節までが創造の6日間の記事です。この6日間の創造の内容を見ますと、前提として、既に宏大(こうだい)無辺の宇宙の枠組み、その中の恒星世界、そして太陽系、その中の地球、これらが整えられているようです。
その上で、人間が活動する舞台・すみか、それに関連する場としての地球の表面とその上空の創造であり、そのもとでの植物・動物、そして人間の創造です。(ただし、第4日目の2つの大きな光るものと星については、この段階での創造ではなく、既に創造されていたものの機能の発現についての記述と思われます)
まとめると、神は、“6日間”で、地球の表面と上空、植物と動物、それに人間を造られました。
しかし、この「6日間」を考えるとき、まず問題になるのが「日」です。この「日」の原語(ヘブル語)は「ヨーム」です。この語は旧約聖書で1480回以上用いられていますが、その意味はさまざまで、「期間」「時代」「世」「代」など20以上の語に訳されています。
例えば、当の創世記2:4では「天と地が創造されたときの経緯」と訳され、全6日間を指しています。つまり、「日」は必ずしも24時間の1日を意味しているわけではないのです。また、創造の第7日は、現在に至るまで続いている長い長い日々ですが、これも「日」(ヨーム)で表現しています。ですから、「日」は、むしろ「期間」とか「時代」とか訳したほうがよさそうです。
もう1つの問題点は、各「日」が必ずしも連続した日であるとは限らないことです。各日の次に「ついで」と訳されていますが、原語は「ワウ」で、接続詞です。これに「ついで」という意味はありませんから、連続しているもののように訳する必要はありません。すると、日と日の間に別の期間が、場合によっては長い長い期間があったかもしれないのです。
このような理由から、天地創造の6日間について、次のような諸説が提案されています。
[1] 長期説(古い地球説)
➀ 断絶説 宇宙の創造と地球表面の創造の間に、混沌・荒廃の長い期間を置くもの。
➁ 間隙説 24時間の1日と次の1日の間に(何億年かの)長い間隙を置くもの。
➂ 日・時代説 1日を地質学的時代だとするもの。
➃ 神の日説 1日は地球上の24時間の1日ではなく、神の世界の1日だとするもの
➄ 啓示の日説 長い期間に創造されたことを聖書記者にある6日間にわたって啓示したものだとする。
➅ 枠組み説 創造の過程を6つの枠に入れて、順序をもって創造した、とするもの。
[2] 1日24時間連続6日間説(若い地球説)
現代の科学では、宇宙の年齢はおよそ137億年(あるいは120~180億年)、太陽や地球の年齢は約46・5億年だと計測されています。それをたかだか数千年前の6日間で創造されたとするのは、あまりにも懸隔(けんかく)が甚だしく、両者間での対話が成り立ちません。
しかし、〔1〕の長期説(古い地球説)なら調和して解釈できるし、対話が可能です。新約聖書Ⅱペテロ3:5「天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって」の御言葉も、古い地球説に有利です。
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