明治学院大学キリスト教研究所が主催するレクチャーコンサート「アイリッシュ・ハープの歴史と音楽」が1日、明治学院大学(東京都港区)で開催された。同大の卒業生でアイリッシュ・ハープ奏者・研究者、また教師でもある寺本圭佑氏が、同大での研究生活の体験談を踏まえながら、弦楽器の中で最も長い歴史を持つといわれているアイリッシュ・ハープについて話した。また、講演後には実際にアイリッシュ・ハープの演奏も行った。
今回開催されたレクチャーコンサートは、同研究所のプロジェクトの1つである白金文学文化研究プロジェクトによる公開研究会。昨年度の研究会では、英文学者で詩人の西脇順三郎について、同大名誉教授の新倉俊一氏が講演を行ったが、今年度は、音楽の世界で今活躍している人に注目し、アイリッシュ・ハーブ奏者で、講演やワークショップなど、金属弦ハープの普及活動にも携わる寺本氏が講師として招かれた。
寺本氏は、同大の学部・大学院で学び、2010年から15年まで同大で講師を務め、現在も明治学院記念館小チャペルで毎月行わる音楽礼拝でアイリッシュ・ハープを演奏している。レクチャーでは、その音楽礼拝でいつも話に出てくるという、ダビデとハープの関わりから話を始めた。
旧約聖書には琴という楽器の記載が多いことを指摘する寺本氏は、「神から出る悪霊がサウルに臨む時、ダビデは琴をとり、手でそれをひくと、サウルは気が静まり、良くなって、悪霊は彼を離れた」(サムエル記上16章23節)を引用し、特にダビデと琴は深い関わりを持っていることを話した。そして、ここに出てくる「琴」はどのような楽器だったのだろうかと問い掛けた。
寺本氏は、13世紀から15世紀にかけて描かれてきたダビデの絵を紹介し、ダビデがどういう楽器を演奏していたのか、いろいろ想像されていたことが分かるとした上で、「共通しているのは皆弦楽器であること。ただ、その形はいろいろ想像して自由に描かれ、それがだんだんハープに定着していき、ダビデの楽器はハープと見なされるようになった」と説明した。さらに、レンブラントが描いたダビデが持つハープはアイリッシュ・ハープに似ていると話した。
アイリッシュ・ハープは膝にのせて演奏できる小さなハープで、寺本氏がこのハープを始めるきっかけになったのは、「サウル・ハープ」だ。中学2年の時、地元京都でサウル・ハープを弾く雨田光示(1931~2009)に出会い、その演奏に魅せられ、サウル・ハープを始めることになる。サウル・ハープは、雨田光示はこの小型ハープを普及させたいと活動をしていたところだった。
「練習は厳しかったが、ハープにかける情熱はすさまじく、自分もハープにささげる人生を送りたいと思い、ハープ奏者の道を選んだ」と雨田光示の影響の大きさを語った。その後、いろいろなハープがあることを知る中で、一番しっくりするのが小さなハープであることが分かり、アイリッシュ・ハープに出会うことになる。
アイリッシュ・ハープの大きな特徴は、「金属弦」が張られていることで、寺本氏は、この「金属弦」のハープを演奏する坂上真清氏に東京で出会い、自分でも金属弦で演奏したいと思うようになった。しかし、金属弦のハープは坂上氏から教わることができず、独自でハープの研究を始めることになる。
寺本氏は、「誰も教えてくれる人がいなかったことが、研究への情熱につながり、結果的には良かった」と話し、「金属弦のアイリッシュ・ハープの音色を1人でも多くの人に広めたかったという気持ちが大きかった。明治学院の理念である“Do for Others”が自然にできていたのかもしれない」と当時を振り返った。
寺本氏は、2000年に明治学院大学に入学し、樋口隆一名誉教授に音楽学を学ぶ。樋口氏が、バッハアカデミーを結成し音楽活動を続け、演奏と研究を両立させていることを目の当たりにし、自分も演奏と音楽を両立させる道を選んだ。大学院では18世紀以前のアイリッシュ・ハープの研究を論文とし、音楽学コースでは初めてとなる芸術学博士号を取得した。
ハープの技術とその豊富な知識によって多方面で活躍する寺本氏は、「明治学院での研究生活はいまだに続いている。これまでいろいろな出会いをしてきたが、その出会いをさせてくれたところが明治学院だった」と母校に対する思いを語った。
ミニコンサートの前には、アイリッシュ・ハープの歴史も語られた。アイリッシュ・ハープは、アイルランドの国章とされる楽器であり、その原型は11世紀ごろにさかのぼるとされる。最大の特長である「金属弦」による長く美しい残響音は、英国の哲学者のフランシス・ベーコン(1561~1626)も称賛している。
黄金時代は、16世紀後半~17世紀後半で、この頃は英国やデンマークなどの宮廷にはアイリッシュ・ハープ奏者が雇われていた。また、アイルランドでは、失明したものがハープを習う習慣があり、その演奏で生計を立てたりしていた。とりわけ有名なのが盲目のハープ奏者で作曲家のトゥールロホ・オ・カロラン(1670~1738)で、アイルランドの国民的音楽家と見なされている。
カロランの死後は、アイリッシュ・ハープは他の楽器に取って代わられ、19世紀後半にはアイリッシュ・ハープの伝統は断絶した。それが20世紀になると、ガット弦、ナイロン弦のハープが登場するようになる。寺本氏は、これを「ネオ・アイリッシュ・ハープ」、金属弦のほうを「アーリー・アイリッシュ・ハープ」と区別する。この2つの決定的な違いは音色で、本来アイリッシュ・ハープは、「ささやくような音色」ともいわれるほど、繊細で優しく、楽器のそばまで近づかなければ聴こえない響きもあるという。
金属弦のアイリッシュ・ハープの伝統は途絶えてしまったが、1980年頃に、米国のアン・ヘイマンにより、金属弦ハープの初の教則本が登場し、21世紀に入り、金属弦の伝統的なアイリッシュ・ハープの復興運動が実を結び、金属弦ハープが復活した。
ミニコンサートでは、17~19世紀にかけて作られた作品を中心に10曲が演奏された。カロランの曲も2曲演奏された。使用された楽器は、寺本氏が制作した国産ケヤキ製金属弦ハープ(24弦)で、本体に描かれた絵は、日本画家の寺本氏の妻・中井智子氏によるもの。
演奏された曲の中には、戦争にまつわる曲もあるが、どれもどこか懐かしい気持ちにさせる音色で、優しい響きが心に染みわたる。寺本氏は、「アイリッシュ・ハープの音楽は、コマーシャルの中などで自然に流れていたりしています。いつの間にかどこかで聴いていた…というように、自然に耳になじむ音楽かなと思います」と話した。
また、アイリッシュ・ハープの最大の魅力について尋ねると、「音色です。その独特な音色に引き込まれます。それから、皆が大事にしてきた歴史ということもあります。昔から人々に愛された楽器であるというところに大きな魅力を感じます」と語った。
現在、日本では、ナイロン弦のハープ奏者は数多くいるが、金属ハープの奏者は大変少ないことを残念そうに語る寺本氏。今後もアイリッシュ・ハープの研究や、演奏を通して、その普及や継承に力を入れていきたいと語った。
レクチャーに参加した、明治学院の卒業生だという50代の女性は、「アイリッシュ・ハープという貴重な楽器の演奏を聴くことができて感激した。明治学院からその存在が広まっていったら素晴らしいと思う」と感想を語った。