昨年3月の明治学院歴史資料館資料集第10集①『バラ学校を支えて二人の女性―ミセス・バラとミス・マーシュの書簡―』の刊行に続き、同資料第10集②『ウィリアム・グリフィスと米国長老教会女性海外伝道協会』が刊行された。
同書は、明治学院の設立母体の1つである米国長老教会の中に設立された女性海外伝道協会(The Woman’s Foreign Missionary Society of the Presbyterian Church)の活動に注目し、同協会発行の子ども向け機関紙「Children’s Work for Children」に掲載されたウィリアム・グリフィスによる日本紹介記事を訳出したもの。19世紀後半の日本人の慣習や文化、日常生活などが女性宣教師の目を通して描かれ、研究資料でありながら、読み物としても十分楽しめる。訳者は、明治学院歴史資料館研究調査員の齋藤元子氏。
グリフィスは、1870年に来日し、福井藩の藩学校明倫校や東京大学の前身である大学南校で教鞭をとった後、1874年に帰国している。帰国後は、牧師となり、日本に関する多くの著作を残し、中でも『The Mikado`s Empire』(1876年)は特に有名。また、グイド・フルベッキ(1830~1898)、ジェームス・カーティス・ヘボン(1815~1911)、サミュエル・ロビンス・ブラウン(1810~1880)の伝記作家として、明治学院との関係は深い。
齋藤氏が同書で試みたグリフィスの記事は、1876年から1882年発行の「Children’s Work for Children」に掲載されたもの。子ども向きに書かれた文章は平易で、米国との比較をすることで子どもにもイメージしやすくなっている。また、版画や挿絵などが常に添えられ、視覚的にもインパクトのある記事として米国の子どもたちに受け入れられていたことが想像できる。
トピックスは、「家庭における日本の父親」「日本帝国」「日本の宗教」「日本のピアノ」「日本の旅」「ミカドの宮廷音楽隊」「日本の医者」「日本の巡礼者」「紅をさす日本の少女」「日本のこどもたちとその日常」「日本の乳児の命名」「日本の骨董店」と多彩だ。
そのトピックスからは、グリフィスが、日本古来の伝統文化や芸術を高く評価しながらも、根強い「偶像崇拝」に心を痛めていたことが分かる。時には、日本人が罪や偶像から真の神への信仰へと導かれることを一緒に祈ろうと呼び掛けている。しかしその一方で、日本の伝統文化が西欧文化に取って代わられることにも危惧している。「もし日本人が邪悪で穢れた憎むべき心の罪や行いや物だけを捨て、美しい習慣を維持したならば、なんと喜ばしいことであろうか!」と述べるグリフィスからは、日本への深い愛情が感じられる。
「Children’s Work for Children」は、米国長老教会女性海外伝道協会により、将来の宣教師育成と子どもたちからの少額献金の喚起を目的として、1876年に刊行された。グリフィスは、そこに寄稿することで、米国の子どもたちに日本のことを教えつつ、女性海外伝道協会の活動をも支援していたことになる。グリフィスは記事の中で、日本の伝道活動や宣教師の様子も伝え、日本に女学校を設立したことで、援助を必要としていることを読者に訴えている。
また同書は、日本の文化を知る上でも最適な資料でもある。日本の宗教について、お歯黒をしなくなった理由、薮(やぶ)医者という言葉の出所、また「おとっつあん」という呼び方、乗り物の籠、子どもの遊びなど興味深い事柄が詳しく記されているのだ。当時、米国人のほとんどが日本を中国の一部だと思っていたという事実は、明治時代の初め、日本が世界の中でどのような位置にあったのかをあらためて考えさせられる。
同書についての問い合わせは、明治学院歴史資料館(電話:03・5421・5170、FAX:03・5421・5409、メール:[email protected])まで。