信州からこんにちは!小さな絵本屋ノエルです。
聖書には心という言葉がたくさん記されています。私たち人間と神様の御心です。そこで、今回は心の絵本を探してみました。
まず最初の絵本は、同郷長野出身の水野源三さんの詩集です。絵本のご紹介の前に、水野さんを知ってほしいと思います。
水野源三について
不治の病と信仰
水野源三は1937年1月2日、長野県埴科郡坂城町に5人兄妹の次男として生まれた。坂城は千曲川のほとり、自然に恵まれた美しい町である。この町で敗戦後間もない46年8月、集団赤痢が発生した。当時小学4年生だった源三も発病し、十数日にわたる高熱が続いて、意識が戻ったときは脳性麻痺に冒されていた。見る、聞く以外は何もできない重い障害を負った彼は、6畳の間に寝たきりの生活を送らなければならなかった。
あらゆる治療も効果なく、数年が過ぎた頃、源三のもとを1人の牧師が訪ねるようになった。自らも進行性筋萎縮症の病を負ったその牧師が語る聖書の話に、源三は徐々に耳を傾けるようになっていく。希望もなく渇いていた心に、聖書の言葉が命の水となって注がれ、明るさを取り戻していった。50年12月には洗礼を受けた。
瞬きの詩
水野源三が詩作を始めたのは18歳の頃からである。母の指さす50音表の文字を見ながら、「はい」の時は目をつぶるという意思表示によって、ゆっくりとではあったが、自分の言いたいことを表現できた。詩は独学だったが、サトウハチローや八木重吉の詩集を繰り返し読んだ。
やがて、キリスト教の雑誌にぼつぼつと投稿した作品が取り上げられ、世に知られるようになった。源三が亡くなるまでに、4つの詩集が刊行された。
家族に守られて
彼の詩を語るとき、家族の存在なしに語ることはできない。家族の温かさ、強い絆が源三の豊かな人間性を育んだと言ってよいだろう。
特に母(うめじ)は60歳でがんに倒れるまで、30年近くを、源三から片時も離れることなく世話をした。その母に対する思いは、彼の作品の中に、ある時はいとおしさとして、ある時は慟哭(どうこく)となってつづられている。
両親の死後、源三は、弟一家によって守られながら詩作に励んだ。しかし、源三の体力は限界がきていた。寒い信州の夜、喘息(ぜんそく)の発作に襲われると、20キロ少ししかない体は急速に衰えていった。
1984年2月6日、弟夫婦に見守れながら、地上の生涯を終えた。享年47。粉雪が舞う朝だった。(巻末より)
『私は私らしく』(水野源三 詩、森住ゆき[ちぎり絵作家] 絵、守屋真理子 訳、フォレストブックス)
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次の絵本の著者は、聖書の中の「神の国は・・・『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです」(ルカの福音書17章20、21節)という言葉からこの物語の発想を得ました。
『心の居場所を探しに』(メアリー・ジョスリン 作、アリソン・ジェイ 絵、千葉茂樹 訳、フォレストブックス)
ぼくは、ぼくらしく・・・のびのびーと。
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