日本カトリック司教協議会と日本カトリック障害者連絡協議会(カ障連)の共催で、障害者差別解消法を学ぶ公開講演会「寄り添い、ともに生きるために」が15日、カトリック麹町聖イグナチオ教会主聖堂(東京都千代田区)で開催された。日本の全16教区の司教が集まり、手話通訳、要約筆記によって、参加した障がいのある当事者らとの活発なディスカッションが繰り広げられた。
障害者差別解消法は、障がいのある人もない人も、互いに認め合いながら共に生きる社会を目指して、2013年に制定された。今回の講演会は、同法が今年4月に施行されたのを機に、障がいや差別の何たるかを学び、差別のない社会づくりを目指すことが、社会への福音宣教の使命であることを再認識しようと企画された。
日本のカトリック教会では、1982年にカ障連が発足して以来、司教協議会の社会司教委員会が96年、『障害の重荷をともに担える日をめざして』を出版、また、カリタスジャパンが2007年、全ての人が安心して暮らせる社会に向けて、障害者自立支援法(現・障害者総合支援法)に対する声明文を発表するなど、障がい者への配慮は徐々に改善が進められてきた。
しかし、いまだに障がいのある当事者からは、教会に対する多くの要望が寄せられている。物理的なバリアだけでなく、障がいや差別に対する無知・無関心から、ソフトの部分でも差別などによるバリアが存在しているという。
講演会では初め、司教協議会会長の高見三明大司教が、「いつくしみの特別聖年を過ごす中にあって、神様が造られた者として、互いに尊敬し、愛し、理解し合いながら、少しでも差別がなくなるようにしていきたい」とあいさつ。カ障連顧問の前田万葉大司教が、講演会開催の趣旨などを説明した。
基調講演は「障害者差別解消法を学ぶ」と題して、カ障連初代会長の山田昭義さんが講演。1981年の国際障害者年に、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世が訪日したことが、カ障連発足のきっかけであったという話から始め、カ障連のこれまでの活動の概観や障がい者の教会内での立ち位置について話をした。また、障害者差別解消法が制定された背景に、2006年の第65回国連総会における「障害者権利条約」の批准があることを説明。障がいの概念が医学モデルから社会モデルに転換するという、大きな変化が生まれたことを語った。
特に、同条約が宣言する「障がいは社会の環境がつくり出したもの」「合理的配慮を欠くものは差別に当たる」に注目する山田さんは、「教会における障がいは、教会の制度・仕組み・慣習・環境がつくり出したといえるのではないか」と問い掛け、「99人の問題ではなく、1人の問題として取り組もうという合理的配慮ができる仕組みを、全ての人に与えられた課題として教会の中で考えていってほしい」と語った。
続くパネルディスカッションでは、障がいのある当事者らがパネリストとして、自身の体験談を発表した。日本カトリック聴覚障害者の会横浜教区代表の田島敏子さんは、聴覚障がい者と言っても、「ろう者」「中途失聴者」「難聴者」などがあり、手話か筆記のどちらが分かりやすいかなども違ってくると説明。教会での現状を伝え、「ミサでの説教の手話通訳だけでなく、赦(ゆる)しの秘跡、典礼なども手話で対応できる司祭が必要」「神学校に障がいや難病についての科目・手話講座を取り入れてほしい」といった各教区から集まった要望をまとめて発表した。
筋痛性脳脊髄炎症の会理事長の篠原三恵子さんは、神経系疾患として概念が確立している病気であるにもかかわらず、詳しい病態や有効な治療法が不明なために、理解が得られているとは言いがたい状況にある筋痛性脳脊髄炎(慢性疲労症候群)患者の深刻な症状と実態について説明。寝たきりに近く、日常生活を送ることさえままならない患者が多く、人権が守られているとは言いがたい状況に置かれていることをより広く知ってもらうための、署名活動やドキュメンタリー映画製作への協力を訴えた。
カ障連会長の江戸徹さんは、「初めて行く教会で、十字架や祭壇、聖水のある場所を知りたい。自分だけでは教会に行けない場合、送迎のシステムを確立してもらえるか検討してほしい」と、この日参加できなかった視覚障がい者の声を代弁した。また、カ障連の現在の取り組みとして、実際にどれくらいの人が障がいを抱えているのかを知るために、アンケート調査を各教区で実施していることを紹介した。カ障連は3年に一度、意見交換の場として全国大会を開催しており、次回の2018年は横浜での開催が決まっており、江戸さんは広く関心を持って参加してほしいと呼び掛けた。
パネリストの発表後には、会場の参加者からも積極的に手が挙がり、最近教会で差別と感じたことやニーズの分かち合い、要望の提言があった。最後に高見大司教は、「あらためて生の声を聞くことができ、教会の中での理解の足りなさをつくづくと実感した。司教、信徒が一つの共同体として考えていかなければいけない問題である。特別なことではなく、人間として、信者として当然のこととして、認め合い、尊敬し合い、理解し合うという基本的なことを、もっと実践していかなければいけないと感じた」とまとめ、参加者一同と共に主の祈りをささげて講演会は閉会した。