「人間の権利」を求めての戦い
その後、プロミンで回復したから「らい予防法」を改正してほしいという要求運動をずっと続けてきました。吉田茂のばかやろう解散のあと、当時原っぱだった今の衆議院会館の前に座り込んでやりました。東京都の衛生課の職員は完全武装してやって来て、誰一人患者に触る人はいませんでした。
その中で福井出身の社会党の堂森(芳夫)委員長や、共産党の議員、作家の平林たい子さんなどが来ていました。そこで問答しているうちに、東京都衛生課の職員は散ってしまった。私たちは1週間座り込み、厚生省と交渉しました。10月になって超党派の国会議員が、結局、付帯決議を付けて決議した。
病棟の看護は、昭和29(1954)年に患者作業から職員に返還しましょうということになり、栗生楽泉園と多摩が最初に病棟の看護の返還をしました。その時、職員が定年退職すれば患者が順番にその穴埋めをするということになりました。完全に作業が返還されたのが昭和53(1978)年です。
入所者が亡くなったときの火葬も、昭和7(1932)年から36(1961)年まで患者がやっていた。赤ちゃんが生まれるときも強制堕胎とパイプカットがなされていました。そのような人権を無視した中にあったのです。
教会はいかなるものだったかというと、このような問題を耳にもしなかったわけです。われわれは、らい予防法が廃止になって選挙権が与えられて初めて本当の人権が与えられたわけです。そして選挙権の力によって、国会議員の先生の力を借りてあらゆる運動を展開してきたのです。
「懲戒検束権」と重監房
監禁所という問題もありました。昭和6(1931)年以降、療養所では6カ所で暴動事件が起きました。こういう連中をどのように処分したらいいかということで光田健輔先生が内務省にお願いをしたわけです。
栗生楽泉園では、一番高いところは海抜1075メートルあります。そこに今でも特別病室(重監房)跡地が残っています。西の出身の人間は暴れるということで重監房に監禁して放り込んだ。
「懲戒検束規定」という掟があり、一番重い患者は60日そこに入れることになっていたが、守られず死ぬまで入れられていました。92人が収監され、その中で13人が亡くなりました。
私は昭和57(1982)年、『風雪の紋』という本を出して、このことを書きましたところ、うちの弟も特別房に入っていますよとある方から手紙が来ました。それで当時の院長にお話しして陳情をやってほしいと訴えましたが、握りつぶされました。公式資料では92人となっていますが、1人だけは名前が分からないのが現状です。
入れっぱなしで、せんべい布団が2枚、床にそのまま寝る、部屋は4畳半、しきりがあって真っ暗闇、食事も1日に梅干し1個と握り飯程度が2個ぐらい。そういうことを平気で国はやったわけです。これは国を断罪するべきだと思います。現在は復元され栗生楽泉園の納骨堂の脇に跡地として残っております。
【編集注】
1914(大正3)年に光田健輔が公立癩療養所全生病院院長に就任すると、園長たちは、「患者懲戒検束権」を持ち、各施設内に特別病室(重監房)をつくり、所長の一存で患者を投獄できるようにした。栗生楽泉園には特別病室という名の牢獄が設置され、全国から懲罰を受けるために患者が送られた。冬季にはマイナス20度という環境になり、また減食という厳罰が行われたりするなど、過酷な条件のため多数の死亡者が続出した。
キリスト教会は?
そういうことを平気でやってきた国に私たちはあらゆる運動をいたしました。本来ならば院長が厚生大臣にお願いすべきだったのですが、宮仕えからそれはできないわけです。
私たちは昭和35(1960)年から本日まで自治会活動として継続しているわけです。そのために神様の恵みによってこの場に立つことを日々感謝する次第です。皆様も日本聖公会も、らい予防法廃止の運動に手を染める人は誰一人いなかった。そして裁判問題に手を染める人もいなかった。
それで神様に聞きなさい、説教を聞きなさいと言ってやってきた。これはきちんと謝罪をするべきではなかろうかなと私は思っております。今おられる主教様も司祭さんも何のために生きているのか、皆様の献金で生かされているわけでしょう。主教、司祭は神様の言葉を伝える、皆様は実行することが大事ではないでしょうか。
私たちは国民の税金で生かされていることを日々感謝しています。イエス・キリストと12人は裸足で伝道をしたわけでございますが、今は赤い服を着て説教をして、それで終わりだという状況であります。これは非常に危険な状態ではないでしょうか。
やはり神様の御言葉を伝えて実行することが大切なのではないかと私は思っています。真の人権を守るということは、神様の御言葉を伝えるということです。
人間は人の間、平和は平の和です。己れを愛するように他人を愛することが一番大事だということです。愛は命であり、うれしいことも悲しいこともあります。皆様も真剣に考えていただきたいと思います。
今、栗生楽泉園は選挙も何物にも左右されずに自分の意思で清き一票を投じます。かつても今も100パーセントの選挙をしてきました。地元の選挙管理委員会から表彰状をいただいたこともございます。
日本と世界の平和のために本当に真剣に祈りをするならば、一人一人が主権者でありますから、清き一票を何人にも侵されずに投票することが大切なのではないでしょうか。そのために私たちは今の生活を勝ち取ってきたのですから。
今後ともこうした問題を後輩たちにきちんと伝えていきたいと思います。先日も栗生楽泉園を140人の大学生と高校生が訪ねてくれました。18歳から選挙権が与えられることになりましたからハンセン病の話をして選挙権の話をしました。
私は、やがて春が来れば雪の紋は消えるだろう、ハンセン病もこの世から消えるだろう、という願いを込めて、『風雪の紋』を書きました。ぜひ読んでいただきたいと思っております。
とにかく真剣に祈りをし、実行することが大切ではないかと思います。私は神様の恵みによって朝に晩に日々お祈りをしながら生活をしています。皆様も毎日神様の恵みによって生かされているわけです。それを真剣に受け取り、お一人お一人が信仰を守りながら福音を宣べ伝えて、日々前に前に前進していただきたいと思います。