日本聖公会は2日から4日まで東京都新宿区の牛込聖バルナバ教会で行われた第62(定期)総会で、「ハンセン病回復者と家族のみなさまへの謝罪声明」を採択した。
謝罪声明の中では、日本のハンセン病患者救援活動の草分けである英国聖公会の宣教師ハンナ・リデル(1855~1932)の活動にさかのぼりながら、その後の救済活動が政府による強制収容政策、入所者の男性の断種手術、女性の強制堕胎など人間の尊厳を奪う政策を黙認してきたことや、入所者が尊厳回復を求めて戦った「らい予防法闘争」に教会として真摯(しんし)に向き合わなかった歴史に対する謝罪が盛り込まれている。そして、今後、偏見・差別をなくすための啓発活動に積極的に取り組んでいくことへの決意が述べられている。
2016年は「らい予防法」廃止から20年となり、国賠訴訟勝訴から15年を迎える。現在も全国13の国立療養所と二つの私立療養所があり、1715人(2015年5月時点)の入所者が生活している。聖公会東京教区人権委員会発行の「じんけん瓦版」によると、全入所者の平均年齢は現在85歳となり、その約3割がキリスト教徒で、うち3分の1が聖公会信徒だといい、全国の療養所内には計六つの聖公会の教会があり、現在も礼拝が守られているという。
1996年に「らい予防法」が廃止された後、真宗大谷派など仏教各派や日本基督教団総会議長名による謝罪表明が出され、日本聖公会も1996年の第49定期総会で「『らい予防法』廃止とそれに伴う十全な措置を求める宣言を決議する件」を決議し、日本聖書協会に「らい病」を「重い皮膚病」に変更する申し入れを決議している(1997年版新共同訳聖書から変更)。
また2004年の総会では「ハンセン病問題啓発の日を設け、ハンセン病問題への理解が深まるために祈る件」を決議しているが、これまで歴史的な経緯に対する教団としての謝罪や、回復者である療養所の入所者・退所者とその家族への謝罪はなされていなかった。今回、議案として提出され、4日、正式に採択された。
謝罪声明(全文)は以下の通り。なお、日本聖公会管区事務所のホームページにも掲載されている(PDFはこちら)。
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ハンセン病回復者と家族のみなさまへの謝罪声明
現在、新共同訳聖書の中に「重い皮膚病」とある言葉は、2002年まで「らい病」と記されていました。キリスト教にとって「らい病」は特別の病いであり、「らい病」を患った人びとに対する救援活動を、教会は積極的に行ってきました。
明治維新によって、キリスト教が宣教を許されたとき、宣教師たちが、「らい病」(以下、ハンセン病)患者に対して深く関心を持ち、患者の治療と救済に当たったのは、自然なことでした。日本聖公会に派遣されたCMSの宣教師ハンナ・リデルは1895年に熊本に回春病院を創設して、ハンセン病患者の救援活動を行い、SPGの宣教師メアリー・ヘレナ・コンウォール・リーも1916年に群馬県の草津の湯ノ沢で、聖バルナバミッションを立ち上げて、患者の救援に当たりました。
しかし回春病院も、聖バルナバミッションの働きも、1941年太平洋戦争勃発の年に閉鎖されるにいたります。
日本聖公会のハンセン病療養所教会の信徒数は、療養所入所者の一割に当たりますが、これはリデルやリーの働きの果実です。
このような宣教師の働きと並行して、政府のハンセン病政策も進行していました。その政策の基本は、絶対隔離主義で、「らいは恐ろしい伝染病、文明国の恥」という論理のもと、「無らい県運動」が推進され、患者たちは強制的に療養所に収容されました。その運動は、その後の日本におけるハンセン病に対する偏見・差別の原因ともなりました。この運動に、日本聖公会も含めて宗教界は「患者救済のため」に、積極的に加担しました。
国家が設置した療養所では、結婚を望む男性入所者には断種手術を、また女性入所者が妊娠した場合には強制堕胎が行われました。さらに園長に患者懲戒検束権が与えられ、ついには栗生楽泉園内に「特別病室」(重監房)が設置されるに至り、入所者が園に反抗すれば、重い処罰を受けることになりました。ハンセン病撲滅が、ハンセン病患者撲滅になっていったのです。
療養所内には、終生隔離を前提に、火葬場、納骨堂までが設けられ、同時に入所者の慰安のために、宗教施設も設置されました。
ハンセン病という病いに加え、国家によって、当たり前の人間として生きる権利まで奪われた入所者にとって、宗教が与える「救い」は生きる大きな支えとなったことは事実です。ハンセン病という病いを患い、国家による過酷な政策を受容させられて、信仰に生きる療養所内の信徒の姿は、そこを訪問した者たちに強い感銘を与えました。しかしその感銘には、陥穽(かんせい)がありました。病いを負って生きるということと、国家の政策によって人間としての尊厳を奪われているということ、この二つの異なる原因によって入所者が二重に負わされている苦悩を見抜くことができず、過酷な運命を受け入れて、すばらしい信仰に生きているということだけに目を奪われてしまっていたのです。
ハンセン病は、1940年代に新薬プロミンが開発され、戦後の日本でも使用されて、治る時代となり、さらに1950年代には、ハンセン病患者に対する強制隔離、強制断種・堕胎が国際的に否定されたにもかかわらず、国は処遇改善を行ったのみで、隔離を維持し、療養所内で行われている尊厳を無視した政策を継続しました。
このような国家の政策に対して、入所者は「全国ハンセン病患者協議会」(全患協)を結成して、自らの尊厳回復に向けて「らい予防法」闘争を行いましたが、当時の日本聖公会はこの闘いに真摯に向かい合うことができませんでした。入所者の闘いは政治的な事柄であり、信仰とは別の次元のことと考え、さらには聖書の中に登場する「らい病」にとらわれて、患者を憐れみ、同情の対象と見なして、当たり前の人間であろうとする入所者の運動に、距離を置いてきたのです。
入所者の粘り強い闘いによって、1996年「らい予防法」は廃止されます。同年に、日本聖公会第49(定期)総会は「『らい予防法』廃止とそれに伴う十全な措置を求める宣言を決議する件」を採択しました。しかしこの宣言は、「らい予防法」廃止とそれに伴う十全な措置を求めるのみで、日本聖公会のハンセン病患者に対する過去の関わりについての反省も謝罪もありませんでした。この総会は「日本聖公会の戦争責任に関する宣言」を採択し、戦前、戦中の日本国家による植民地支配と侵略戦争を支持・黙認した責任を認め、その罪を告白し、日本が侵略・支配したアジア・太平洋の人びとに謝罪しているにもかかわらず、ハンセン病回復者に対しては、国家によるハンセン病隔離政策を、日本聖公会が支持・黙認した責任も認めず、その罪も告白せず、回復者への謝罪もありませんでした。
1998年に「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟が入所者によって起こされ、2001年に勝訴しますが、この判決を受けて設置された「ハンセン病問題に関する検証会議」の報告によって、強制堕胎された胎児が標本にされるなど、国の隔離政策がいかに回復者の人権を無視していたものであったかの実態が明らかにされ、宗教界もその責任が問われました。宗教は、結果として「隔離を受容する感覚」を患者に与えるものであったと指摘されています。
「らい予防法」廃止から20年、国賠訴訟勝訴から15年、入所者と回復者のみなさまへの謝罪がかくも遅れたことは、わたしたちの怠慢です。その怠慢の原因は、社会のハンセン病に対する偏見と差別の中にあって、日本聖公会が療養所内に教会を持ち、回復者と交流してきていることへの自負と、患者救済に携わったリデル、リーという偉大な先達をその歴史の中に持っていることへの驕りにあったのだと、深く反省します。
しかしその実、日本聖公会は、日本国家のハンセン病政策を支持・黙認して、ハンセン病を患った人びとに同情を寄せてはいたものの、その彼らが行っている人間としての尊厳回復の運動を積極的に支持することをしてきませんでした。また、偉大な先達の働きを検証することもなく、ただ賞賛するだけであり、また彼女たちの精神と働きを受け継ぐこともできませんでした。
主イエスは、重い皮膚病を患っている人を深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れられました(マルコ1:41)。「深く憐れむ」の意味が、優位の者から劣位の者への憐れみ、同情ではなく、苦しみを共にするということであることを覚え、日本聖公会が全体として、主イエスのような深く憐れむ姿勢を患者の人びとに持ってこなかったこと、そのことによって、回復者の人びとに苦しみを与えた責任があることを認めます。そして謝罪表明が、かくも遅れてしまったことを、回復者のみなさまに深くお詫びします。
今年2016年は、コンウォール・リーが聖バルナバミッションを始めて100年の記念すべき年ですが、わたしたちは彼女が、湯ノ沢地区のハンセン病患者一人ひとりの人間としての尊厳を認めた上で、その活動を行っていたことを改めて想い起こし、偉大な先達を持ちながらも、その行いに倣うことができなかったことを、神に懺悔します。
また、過去の日本国家のハンセン病政策に対して、日本聖公会が支持・黙認したことによって、人間としての尊厳を奪われてきたハンセン病療養所の入所者、尊厳を奪われたまま神のみもとに召された人びと、そして産まれることのできなかった胎児たちに、深く謝罪します。
日本聖公会は、2003年に熊本県で起きた菊池恵楓園入所者へのホテル宿泊拒否事件を受けて、2004年に開催された日本聖公会第55(定期)総会で、「ハンセン病問題啓発の日を設け、ハンセン病問題への理解が深まるために祈る件」を採択しました。日本聖公会が、今なお残るハンセン病に対する偏見と差別に対して、自らの怠慢を認める内容です。社会の偏見と差別によって、辛い思いを持って生活している社会復帰された回復者、入所者と社会復帰された方の家族に対して、日本聖公会がハンセン病問題について十分な啓発活動を行っているとはいえない現状を認め、謝罪するとともに、今後、偏見・差別をなくすための啓発活動に積極的に取り組んでゆくことを約束します。
現在、ハンセン病療養所は、入所者が激減し、平均年齢も85歳を超えています。日本聖公会は、終焉期にある療養所における教会の信徒への宣教・牧会を真摯に行っていくことを誓約します。