ネパールのカトマンズ北西で2015年4月25日に発生したマグニチュード7・8の地震は、ネパール全域に甚大な被害をもたらし、死者は約9千人に上った。地震発生から1年が経過し、被災地に関する情報は大幅に減少しているが、現地はいまだ復興の途上にある。
今後の復興と発展に向けて何を目指すべきか、日本からは何ができるのかを共に考えようと、シンポジウム「ネパール地震から1年~思い出そう、思い続けて行こう、ネパール~」が4月23日、上智大学四谷キャンパス(東京都新宿区)で開かれた。日本のNGOをさまざまな形でサポートする中間支援団体のジャパン・プラットフォーム(JPF)と、JPFに加盟するNGOで構成された「ネパール中部地震被災者支援ワーキンググループ」が共催。上智大学の田中雅子准教授による基調講演や、パネルディスカッションが行われた。
JPFは地震発生翌日にネパールへの出動を決定、JPF加盟NGOのうち15団体で構成されたワーキンググループは、これまで緊急支援物資の配布、仮設住居建設、仮設校舎およびトイレの設置、教育支援など25の事業を完了。現在はコミュニティーインフラ整備など6事業を実施している。キリスト教団体ではADRA Japan(アドラ)、グッドネーバーズ・ジャパン(GNJP)などがこれに加わり、公共水道修理事業などに取り組んできた。
田中准教授は、在ネパール暦が延べ10年。現在は大学での滞日ネパール人の調査や、昨年6月に発足した「ネパール地震ジェンダー配慮支援の会」で、ジェンダーや多様性に配慮した活動を行うネパールの団体を支援している。「大地震は社会再編をもたらすか―国家再建の途上で起きた災害」と題して講演し、震災前のネパール社会の動き、ネパール社会におけるカーストの特徴、100以上の民族グループ、70以上の言語からなるネパール社会の多様性について解説した。
田中准教授によると、震災前のネパールは、2008年にそれまでの王制が廃止、連邦民主共和国へと移行したことを受けて、社会が再編される過程の非常に混乱した状態にあった。地方選挙が行われたのも1997年が最後で、地震発生時には各地方の行政官が不在の状態。そのため、震災後には復興のためにまず、国家体制を整えることが優先事項とされ、憲法発布、復興庁設置といった政治的な問題が多発し、復興が遅れる大きな要因になったのだという。
だが、行政機関が正常に機能していない一方で、ネパールの人々は持ち前の互助、自助の精神を大いに発揮。外部からの救援が届かずとも、食料や燃料を分け合って生きながらえ、若者を中心としたボランティアによるがれき撤去など、公助に頼ることなしに力強く生活する人々の姿がいたるところで見られた。在外ネパール人による支援も非常に多く寄せられ、「ネパール人」としての連帯意識が復興の鍵になっていると、田中准教授は話す。
また、震災前の社会再編において、民族、カースト、性別間の格差是正がうたわれるようになってはいたものの、震災後には、下位カーストの人よりも上位カーストの人が先に救出されるなど、依然として差別が存在している事例が数多く発生しているという。田中准教授は、部外者として現地での支援に当たる各団体の現地での復興支援活動が▽これまでのネパール社会の課題を克服する、▽格差の拡大を防ぐ、▽結果として全ての人が平等な社会を実現することができる、ものであるかどうかの確認が常に必要なのではないか、と問い掛けた。
パネルディスカッションのパネリストとして登壇したのは、田中准教授、「CODE海外災害援助市民センター」事務局長の吉椿雅道氏、ヒマラヤトレッキング専門店「サパナ」代表の浅原明男氏、ネパールで教育支援を行うNPO「YouMe Nepal」代表理事のシャラド・ライ氏。アドラ事業部長の橋本笙子氏がモデレーターを務め、それぞれの団体がネパールで展開している支援活動の紹介、会場からの質疑応答の時間を持った。
4人のパネリストが所属する団体は全て、JPFには加盟していない。震災前のネパールの文化、震災前からネパールに関わっている人々を大切にしたいというJPFの思いが反映された人選になっているのだという。
ネパール出身のシャラド氏は、ネパール政府の奨学金で高校を卒業し、日本の大学で学ぶ機会を得た。母国に恩返しをしたいと、震災前からネパールでの学校建設、運営の活動を続けている。シャラド氏は震災後、「ネパール人は世界一美しい」という言葉を聞いたという。「美しさというのは、ネパール人の強さ、優しさ、自分よりも他人を優先して考える在り方のこと。地震を通して、国民が一体となり、世界中のネパール人が一つになった」と振り返る。
「しかし、政治家が動き出したのは地震発生3日後だった。政治家が至らないために、美しい人々が苦しい生活を強いられている現実はいまだにある。本当の意味で国に恩返しするために、良い政治家になりたい」と自身の目標を語ると、会場からは大きな拍手が起こった。
ネパールの復興のために日本でできることは何か、という問いに対して、パネリスト一同は口をそろえて、「興味を持つこと、思い続けること、実際に行くこと、帰ってきてフィードバックすること」と話す。先月発生した熊本・大分での地震は、ネパールでも大きく報道され、ネパール人からの非常に多くの励ましの声が送られてきているという。
世界各地で災害が次々と起こる中にあっても、ネパール地震の話題を忘れることなく、現地の人々と交流を続けることが、日本の人々の震災への意識を高め、互いの学びへとつながる、とパネルディスカッションはまとめられた。
「日本が豊かだから支援するのではなく、私たちも過去の震災においては非常に多くの国から助けられたことを忘れずに、ネパールを含め世界の国々にどのように返していけるか、一人一人の問題として考えていきたい」という橋本氏のあいさつでシンポジウムは閉会した。