戦後、女性が初めて参政権を行使してから70年を迎えた10日、記念シンポジウム「女性を議会へ 本気で増やす!」が東京都千代田区の上智大学で開催された。(<<前回の記事はこちら)
第2部では、「韓国・台湾女性議員はなぜ増えたのか?」として、韓国、台湾からそれぞれ、女性の政治参画のために尽力した2人のゲストが講演した。
台湾から来日した李永萍氏は、立法院委員(民進党)、台北市副市長(国民党)などを歴任。現在は、台湾文化創造産業連盟協会理事長を務め、台湾議席割当制の創設に尽力した女性だ。
李氏が政治に関わったきっかけは、ある女性活動家の死であったと話す。女性の政治的地位確立のために意欲的に活動していた彼女は、何者かによって殺害されたというのだ。この事件をきっかけに台湾の女性たちは、「自分たちにもできることを!」と立ち上がった。
結果、議員の男女比を法律で定める「クォータ制」が導入された。現在では、立法院の約38パーセントが女性、地方議会でも約40パーセントが女性の議員だという。
韓国からのゲスト金銀姬氏は、韓国緑の党共同政策委員長で、過去には女性政治勢力民主連帯代表を務め、候補者リスト運動に尽力した。金氏は、「韓国は、ある意味、日本よりも女性の政治参画が難しい国だったと思う。1980年後半に、韓国は軍事政権から民主政権へと移行した。その後、1990年代から『女性を議会へ』との機運が高まってきた。1998年には、女性の政治参画を推し進めるために『女性割当制連帯』が発足した。2004年の総選挙では、各女性団体が連帯を組み、女性を議会へ送るために活動をした。選挙のたびにこのような連帯活動を行い、『クォータ制』導入に至った。女性同士が手を取り合って戦ったことが大きな原動力となった。政党が動くのではなく、市民が動いたことが大きい」と話した。
2人の講演の中で、会場からの反応が最も大きかったのは、台湾の女性議員が民法改訂に大きく貢献した話であった。台湾では、2000年初頭の民法改訂前までは、結婚すると女性の財産は、全て夫の財産になるといった法律があった。しかし、女性議員の積極的な働き掛けで、これを改訂。女性は、結婚後も自分の財産は自分のものとして保持することが可能になった。
また、離婚後についても、女性は結婚期間に行った家事労働について、前夫に請求できるといった法律ができたというのだ。これには、会場にいた女性からも大きな拍手と歓声があがった。
韓国、台湾のさまざまな事例を聞いた司会者は、「いつか、日本の女性たちからも、成功例をアジアの各国に示せるようにしたい」と感想を述べた。
第3部では、「女性を議会へ 本気で増やす!」と題し、政治関係者、各活動団体の代表などが壇上に上がった。
同志社大学の對馬果莉さんは、5月22日に集会「ガールズ・パワーを発揮しよう『5・22保育園落ちた!選挙攻略法』」を企画している。對馬さんは、「日本の待機児童問題は深刻。子どもを預けられなければ、女性はどうやって社会や政治の場で活躍すればよいのか? 私たちは、こういう現象を『ムリゲー』という。攻略不可能なゲームのことを指すが、日本の社会は、女性にとってまさに『ムリゲー』。こうした社会をどうしたら変えられるか、真剣に考える場を作りたいと思い、5月22日に集会をすることにした」とあいさつした。
また、シンポジウム後、本紙のインタビューに対し、「友人の中には、すでに子どもを産んで、保育園に困っている女性もいる。こんな『ムリゲー』すぎる社会では、自分自身も将来が不安だ」と答えた。
18歳以上に選挙権が与えられることを受け、今年18歳になる女子高生もスピーチをした。「近々誕生日を迎え、選挙権を得ることになる。投票することになったら、自分の頭できちんと考え、大切な一票を投じたいと思う。しかし、ワイドショーやニュースで流れるのは、『政治家が資金を不正に流用した』とか『~の党の議員が不倫をした』といったニュースばかり。私が知りたいのは、海外で戦争が起きたときに、自衛隊がどこまで行って、どのくらいのことをすることが許されるのか・・・などだが、そういった情報は知ることができない。先日、学校で有権者教育がされた。ほとんどがSNSの選挙トラブルなどが中心だった。テキストには、『政治とは、自分で判断するのが基本である』としながらも、『政治的な課題は、複雑なことが絡み合っており、判断するのは容易ではない』とある。さらには、『多角的、多面的な判断が必要』ともあり、本人任せの『自己責任』を押し付けられているようだ。テレビでは、政治のスキャンダルばかり。大人は政治の話をしたがらない。この環境で、どうやって判断をすればよいのか」と話した。
シンポジウムの最後には、全員で「女性議員倍増計画」を参加者の起立によって採択し、盛大な拍手のうちに幕を閉じた。
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