1946年4月11日、戦後初の衆議院議員選挙において、日本初の女性議員が39人誕生した。女性に参政権が与えられたのだ。戦前、戦後を通して女性参政権獲得のために尽力した女性の中には、キリスト教の影響を大きく受けていたとされる市川房枝らも含まれていた。
このことを記念したシンポジウム「女性を議会へ 本気で増やす!」が10日、東京都千代田区の上智大学で開催された。集まった学生や主婦、市民団体関係者ら約400人は、登壇した女性たちの話に熱心に聞き入り、時に笑い、時に「そうだ!」と声を上げ、拍手を送った。日本の女性議員比率は、衆議院で9・5パーセント、参議院でも15・7パーセントと極めて少ない。この数は、下院(衆議院)の男女比率を比べた192カ国・地域の中で、157位と極めて低い位置にある。
シンポジウムの冒頭、僧侶で作家の瀬戸内寂聴氏は、この会に対して「70年前に与えられた女性参政権は、戦勝国アメリカから『たなぼた式』に与えられたものだった。それまでも、日本の女たちは『女性にも参政権を!』と、圧倒的男性社会であるこの国で戦ってきた。図らずも、敗戦という形で手にした参政権ではあるが、その準備は十分できていたのだ。初めて当選を果たした39名の女性議員たちは、しっかりとした自負を持ち、意見の言える立派な女性たちであった。あれから70年。女性議員たちは、週刊誌に書きたてたられるようなつまらない女性が多くなった。まずは、女性候補者の品性を叩き直し、同時に選挙者の女性の政治意識を鍛え直さなければ、この国の前途は明るくならない」とメッセージを寄せた。
第1部は、「女性議員の切り拓いた道」として、『日本の女性議員』(朝日選書)出版記念シンポジウムが行われた。モデレーターに安藤優子キャスターが登壇し、同著を編集、執筆した三浦まり・上智大学教授、共同執筆をした遠藤久美子・元東洋英和女学院大学教授、国広陽子・元東京女子大学教授、大山七穂・東海大学教授、竹安栄子・京都女子大学地域連携研究センター長、目黒依子・上智大学名誉教授、橋本ヒロ子・十文字中学・高校校長(女性の地位委員会日本政府代表)がそれぞれ壇上に登った。
安藤氏は現在、女性議員についての博士論文を執筆中とのこと。論文を書くに当たってさまざまな議員にインタビューを行う中で、ある自民党関係者に話を聞いたところ、「女性が議員になるには、ある通過儀礼がある。それは『女性』であることを捨てることだ。『子どもが熱を出したから、今日のこの仕事ができない』なんていうのは、もってのほかだ」と話されたというのだ。
安藤氏は「女性が男性化するならば、女性が議員になる意味がどこにあるのか?」と疑問を投げ掛けた。三浦氏は、「そういった意見が出てくるのも、圧倒的な男性議員の数があるから。だからこそ、女性議員の数を増やすことは大事」と答えた。
1990年代は、土井たか子・日本社会党委員長(当時)が中心となった参院選で、同党は12人の女性新人候補を擁立、うち9人を当選させて一大ブームを起こし「マドンナ旋風」「おたかさんブーム」などと呼ばれた。
「土井委員長の言葉に『山が動いた』というのがあった。山はこれからも動き続けると思ったが、特に2000年以降、岩盤に当たったようにピタッと止まってしまった。それはなぜか?」という安藤氏の問い掛けに対し、三浦氏は「2000年以降も、数の上では女性議員は増えている。しかし、この時代から議員になっている女性議員は、『~チルドレン』や『~ガールズ』と呼ばれる議員たちも多く、男性目線で推し出されてきた議員たち。マドンナ旋風の時は、市民活動の中から女性が女性を推し出す形で議員になった人が多かった。今までの研究でも、女性議員が政治を変えるには、男性優位な改革に『コミットメント』している女性、しっかりと市民、または超党派の議員たちと『ネットワーク』を築ける女性、そして政策を推し進める上で、それなりの『ポジション』を築くことができる女性であることが大切ということが分かってきている」と答えた。
進藤氏によると、実際、マドンナ旋風が起こった1990年代には、土井たか子、堂本暁子らの女性党首が誕生し、実際の政策を判断する位置に就いた。この時に、女性議員らによって立案されたのが、現在の「DV禁止法」「男女共同参画基本法」「ポルノ禁止法」などだという。
議員になる前の職業、いわゆる「キャリアパス」についても、男女に大きな差があると国広氏は話した。「男性の場合、議員になる前職の段階で、秘書、官僚、地方政治家が約9割であるのに対して、女性の場合、この段階でこれらの職に就いている人が少ない。女性議員の前職を調べてみると、大学教員、医療関係者などが多く、次に地方政治家や労組役員となっている。参議院女性議員においては、芸能、スポーツ、キャスター出身者が大きな割合を示していることも顕著だ」という。
では、女性が政治家になることによって、具体的に何が変わるのだろうか。大山氏によると、「さまざまな現役女性政治家、元女性政治家にインタビューをすることによって、五つの特徴が浮き彫りになった。▽子育て・教育に関する母親としての視点、▽命をつなぐ安心・安全の視点、▽障がい者などマイノリティーに対する共感の視点、▽生活者としての視点、▽女性の人権を訴える者としての視点。これらが政治の場で語られるようになれば、政策に反映されないのはおかしいという議論になってくる。女性議員の必要性が強まるのでは」と話す。
女性の地方議員の実態は国政よりも深刻だと竹安氏は指摘する。市町村議会の中には、女性ゼロ議会がいまだ存在し、さらには女性1人しかいない「おひとり様」議会も多く、「1人くらいいなきゃマズイけど、1人いれば十分」といった思惑が見え隠れする議会も多いという。
男性地方政治家の支持基盤は、町会であったり、同業者組合であったりと、必ずしも「男性」を代表する人であるとは限らない。それに対し、数少ない女性議員の多くもまた、60歳以上で子育てなどが一段落した女性も多く、「女性」を代表しているとは言い難い実態となっているというのだ。地方議員の女性比率を30パーセント台まで上げるのに、このままでは「さらにあと70年かかるのでは」と竹安氏は話す。
マドンナ旋風が吹き荒れた90年代に議員に当選した堂本暁子氏もあいさつに訪れた。「4月10日、70年前に歴史が動いた日に、このようにあいさつをさせてもらえることをうれしく思う。日本は女性差別が甚だしい国。それがすでにこの国を歪めてきているとも言える。世界の中には、紛争を経て、たくさんの命が奪われた後に女性が政治の世界に進出できた国もある。日本の女性の皆さん、勇気を持って戦いましょう」と会場の女性たちにエールを送った。(続き:「女性参政権70年、上智大で記念シンポ(2)」はこちら>>)
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