東日本大震災の被災地で復興支援に取り組む立教大学コミュニティ福祉学部の東日本大震災復興支援推進室がまとめた震災5年誌『復興支援ってなんだろう? 人とコミュニティによりそった5年間』の刊行を記念したシンポジウムが21日、同大新座キャンパス(埼玉県新座市)で開催された。学内外から76人が集まり、「復興とは何か」といった根本的テーマを中心にして、現在の被災地における支援の課題と、復興支援の展望について話し合った。
同学部は震災直後の2011年4月、東日本大震災復興支援プロジェクト(委員長=森本圭樹同学部教授)を設置。岩手や宮城、福島、東京都内の計7カ所を拠点として、これまでの5年間に、計230回、2800人を超える学生と教職員が現地での支援活動を行ってきた。シンポジウムでは、各拠点からの活動報告と、同プロジェクトに関わりを持つゲストによる座談会が行われた。
同プロジェクトの活動拠点となっているのは、陸前高田市、気仙沼市大島、南三陸町、石巻市、いわき市、そして被災地からの避難者を受け入れている新宿区と東久留米市の7カ所。最初に報告に立ったのは、陸前高田市で、一緒にいることを最も大切にしていることや、手紙を通して交流を続けていることを報告した。
「復興の道のりは長く在学中だけで終了するものではない。卒業後もつながりを深めていくことを目指す」という。実際に、同市でのボランティアを通して、「卒業しても陸前高田を助けたい」と願い、春からは社会福祉協議会で働くことが決まっている女子学生も紹介された。
気仙沼大島では、「立教大学べんきょうお手伝い隊」を結成し、小・中・高校生と勉強やレクリエーションを通した交流を続けている。報告に立った学生たちは、被災地の活動を通して体験したことや、ボランティアを始めたきっかけと、ボランティアを続けたいと思ったきっかけは違うことなどを話した。また、気仙沼大島には、大学進学や専門的な勉強をしたいと思っている子どもたちが多くいることを伝えた上で、今後の「べんきょうお手伝い隊」の在り方についてのアイデアが語られた。
南三陸町では、支援をするというよりも、住民に寄り添いながら一緒にコミュニティーを再編する中で、支援する側がより多くのことを学んできたという。石巻市では、震災前から交流のあった高齢者介護事業所「めだかの楽園・楽校」で活動する。「目に見える復興は月単位のスピードで進んでいる。ただ、目に見えないところでは、自殺、引きこもりなどがあり、そういう人たちのことを知らなければいけない」と述べ、「今後も、細く長い支援を続けたい」と語った。さらに、「支援活動からの学びを、今後起きるとされている南海トラフなどの大地震の防災にも生かしていきたい」と話した。
続いて、原発事故での影響が大きいいわき市での活動が報告された。ここでは、双葉町から避難してきた人を定期的に訪問し、「傾聴ボランティア」を行ってきた。14年4月からは、いわき市薄磯災害公営住宅が完成してコミュニティーの面でも支援が必要になってきていることを話し、仮設住宅の時とは違った課題があることを明らかにした。
4月からいわき市役所で働くことが決まっている大学院生は、「福島は、津波と原発の2重の問題を抱え、多面的な支援が必要」と話す。また、これからは、現地コーディネーターとしてプロジェクトを支えていくことを伝えた。
福島からの自主避難をしている人々を受け入れる東久留米市を拠点にした支援活動では、支援をこちら側からするだけでなく、普段の自分たちのことも知ってもらおうと学園祭に招待するなどして、相互交流を深めていることを紹介した。また、新宿区でも、避難者と地域の交流活動が子どもから高齢者まで幅広い年齢層と交流の場を持ち、学生が世代間をつなぐ架け橋となっているという。自主避難者にとっての今後の課題は、来年度で国からの住宅支援が打ち切られてしまうことで、今後どのように交流を進めていくかが活動の大きな問題となってくることを話した。
続いて行われた座談会では、9人のゲストが登壇し、「今、復興はどのようなフェーズにあるのか」「これから必要とされる復興支援とは何か」「自分にとって復興とは?」といった三つの問いに沿って、それぞれの立場や経験してきたことなどを踏まえてリレートークの形式で進められた。
立教大学大学院の修了生で、現在は陸前高田市に住みながら活動を続ける大塚光太郎氏は、「めまぐるしい速度で町が変化する中、その変化についていける人といけない人との差が出てきている」と現状を伝え、「被災者の人のニーズが細かく、個別的になってきて、支援が一層難しくなってきている」という。
その一方で、被災地に高校が戻り、若い人が戻ってくることは地元の人たちの大きな希望となっていると伝え、「日常生活が戻らない中、みんなが疲れている。でも、マイナスで終わらせたくない」「みんながすごく幸せと思えなくても、『そんなに悪くないよね』と思えるようになりたい。現地の人たちがそうなっていくことが復興といえるのではないか」と語った。
同じく同大大学院修了生の荻生奈苗氏は、震災発生当時の大学2年生の時、現地に行き、長い支援になると感じ、学生支援局「Three-S(スリーエス)」を立ち上げた。その後大学院に進み、石巻市を研究の対象とし、「この地域は、長い時間をかけて変わっていく、それを見ていきたい。その中で自分ができることがあればやりたい」と思い、就職先を石巻市に決め、現地に住むことを決めたという。
荻生さんは、「被災地の人たちが復興の主役」ということを踏まえた上での支援が大切なこと、被災地の中の人だけで回る仕組みが必要なことを語った。そして、「震災を前向きに捉えられるようになったときが『復興』なのではないか。そのように被災地全ての人が感じられたら『復興した』のだと思う。夢みたいな話かもしれないが、それを目指して小さなことを積み重ねていけたら」と語った。
続いて、元・気仙沼市大島小学校の校長で、現在は気仙沼市立大島児童館館長の菊田榮四郎氏は、仮設住宅での生活が当初考えていたよりも長くなっていることを話した。そのような中で、「べんきょうお手伝い隊」によって子どもたちがやる気を出し、目標を持って勉強に取り組むようになったことを明かした。こういった支援や、地元の人に寄り添うような支援を続けてほしいと話す。
その中で、仮設住宅で交流をしている91歳の女性が、「今日1日笑っていられたらいいよね」と言いながら昨年亡くなったことを話し、立教大の学生とつながっていられることの大切さを語った。そして、子どもたちが前の心を取り戻すことが「心の復興」だと思っていると述べ、これからも子どもたちを見続けていきたいと話した。
石巻市で高齢者福祉事業を行う有限会社めだかグループ専務の石山奏一氏は、「学生が来て、地元住民に寄り添う姿に心温まり、つながりを感じる。『支援はこうあるべき』というよりも細く長くつながっていくことを希望する」と述べた。
元・宮城県職員で、現在は同県社会福祉協議会復興支援福祉アドバイザーを務める本間照雄氏は、「誰にとっての復興なのか。それぞれの被災者にはそれぞれの復興の時があるという認識を持つことが大切」とし、それぞれの人に目を向ける必要性を伝えた。
また、気仙沼市震災・復興企画けせんぬま創生戦略室勤務の小野寺憲一氏は、気仙沼が地方創生のロールモデルとなっていくことを行政では目指していると語った。
いわき市を拠点に活動するNPO法人みんぷくコーディネーターの遠藤崇広氏は、「被災地は若い人にとってさまざまなチャレンジができる場所。若者の発想と行動力で新たな風を吹き込んで、自分たちの成長を糧にして、被災地と共に次の新たなステージを目指してほしい」と力を込めた。
いわき市の被災者が入居する災害公営住宅薄磯団地自治会の大河内喜男会長は、「復興の終着駅は人それぞれ違う。交流を通じての支援が必要」と述べ、「立教大の学生が来てくれ、住民は力づけられている。若いうちからのボランティア活動は、今後ものすごくいい経験になる」と学生たちを励ました。
復興支援ソング「花は咲く」の生みの親、NHKエデュケーショナル生活部専任部長の長野真一氏は、「花は咲く」誕生のエピソードに触れ、「この歌は、亡くなった人からこれから生まれる人へのリレートーク。音楽は記憶と共に残るので、この歌が流れるたびに震災を思い出すのではないか、全国の被害を受けていない人たちにとってもそうなってほしいという思いから作った」と語った。